第九話 分断された一と三

 凪たちが行動を開始した頃、空き家の中に入ろうとする恭たちを何とか引き留めようと、幹也は一人奮闘していた。


「だから考え直せって!」


「おいおい、ここまで来て本当にビビったのか? 大丈夫だって、どうせ何も出やしないさ。ズミたちもそう思うだろ?」


 同意を求める恭に史郎と和泉の二人も頷いた。

 そんな楽観的な言葉に幹也は分かってないとばかりに苛立った表情を見せると、開いたままの裏口を勢いよく指差す。


「あのな、玄関もしっかり鍵かかってて、雨戸も全部閉めてあるのに、何で都合良く裏口だけが開いてるんだ? どう考えてもおかしいだろ!?」


 普段の幹也からは考えられない程必死な形相で、感情的に声を荒げている。

 ここまで幹也が感情を露わにしているのは、今にも家に入ろうとしている恭たちを引き留めるためであった。

 恭たちと合流した時に幹也が思いついたのは、土壇場で感情的に一人反対する立場を演じることであった。それによって時間を稼ぐとともに、場を白けさせて肝試しに消極的にさせる。

 無論、逆上して暴走する可能性も十分にあったが、今にも家の中に入りそうな恭たちを見て、これ以上は考える時間がないと判断した幹也は、賭けに出ることにしたのだった。

 そうして行動を開始したものの、恭たちの説得は難航していた。


「それにな、もしかしたら浮浪者とか住み着いてる可能性があるんじゃないか? 電気も付かないだろうし、あんな真っ暗な所でもし襲われたらどうする気だ?」


 当然ではあるが、この空き家のインフラは現在止められている。なので雨戸が閉じられた明かりの無い家の中は当然真っ暗闇である。

 裏口の先の台所らしき部屋だけは、外の明かりのおかげで薄暗くではあるが、視認することはできた。だがその先は何も見えない黒一色。彼らの眼には只々闇が広がっていた。


「そ、そうだよね。幹也が言う通りなんか変だし、やっぱり帰らない?」


 そんな幹也の必死の説得が功を成したのか、それとも家の中の雰囲気にえも言われぬ恐怖を感じたのか。和泉は少しだけ後ずさり、引き攣った表情を浮かべると、ちらちらと入って来た入り口の方角に視線を向け始める。

 史郎も口には出さなかったが、その表情は同じものであった。

 そんな二人とは対照的に恭だけは鼻で笑うと、ポケットから手の平サイズの懐中電灯を取り出した。


「これなら問題ないだろ?」


 恭が懐中電灯のスイッチを入れ、入り口から奥へと向ける。

 暗闇の中を伸びる一筋の光。光を向けた台所の先に見える引き戸は何故か開いており、その先の廊下らしき部分を懐中電灯特有の丸い光が照らしだす。

 恭の言う通り、懐中電灯によって確かに室内は目視できるぐらいに明るくなり、探索も問題ないと言えるだろう。

 しかし、それによって物陰に何かがいるかもしれないという想像が生まれてしまい、和泉にはより一層恐怖が掻き立てられる結果になってしまった。

 そんな風に家に入ることに消極的になった和泉に、今まで笑っていた恭は突然人が変わったかのように和泉を睨みつける。


「――ああっ、くそっ。ならもういい!! 俺たちだけで行ってくるから、ズミはここで幹也とビビってろ! 行くぞ、シロ!」


「あ、ちょっと待てよキョー! 急にどうしたんだよ!?」


 一方的にそう言い捨てると、引き留める声に耳を貸す様子もなく、恭は一人家の中へと突撃してしまい、その後を焦った史郎が続く。

 取り残されてしまった二人は一瞬ポカンとするも、直ぐに我に返った幹也はこのままでは不味いと後を追うべく駆けだした。

 その後に続いて和泉も一人残されてしまってはたまらないとばかりに、同じように家の中に入ろうとするが、恐怖の感情がそれを躊躇させてしまう。そしてその迷いは、事が起きてしまうのには十分な時間でもあった。


「――なっ!?」


 幹也が踏み込んだ瞬間、外開きに開いていたドアがガタガタと音を立て、ひとりでに動き出す。

 音に気づき振り返った幹也が見たものは、閉まりゆくドアの隙間から驚愕の表情を浮かべている和泉の姿。それも一瞬で見えなくなり、幹也の視界は闇に閉ざされる。


「くそっ、開かねえ!?」


 慌てて幹也はドアを開けようと目の前に手を伸ばしてドアノブを掴むと、回して押し込むがビクともしない。ならばと霊力を纏わせることで、先ほどより力強く押し込んでも動くことはなかった。


「これでも駄目か――なら、壊すことになるけど仕方ない! 和泉! 聞こえてるか!! ドアから離れてろ!」


 ドア越しの和泉に聞こえるように大声で警告すると、幹也は霊力を右腕に集中させる。依然返事が返ってくることはなかったが、和泉が離れてくれるように十秒程の間を空けると、勢いよくドアに正拳突きを放った。


 ――瞬間、ドアと拳がぶつかり合ったとは到底考えられないほどの鈍く、重い衝撃音が室内に響き渡る。それに確かな手ごたえを感じた幹也であったが、暗闇が晴れることはなく、ドアは健在であった。


「駄目か。とりあえずスマホのライトを……圏外になってるな」


 壊せなかったことに多少気落ちする幹也であったが、すぐに気を取り直すと明かり代わりにスマホを取り出す。

 画面を見た時に表示された圏外の文字に眉を顰めるも、ライトを起動させた。

 霊視能力が低い幹也にとっては、暗闇の中で多少目は慣れたとはいえ極端に狭い範囲しか見渡せない。片手を塞いでしまうことによるリスクもあったが、怪異のテリトリーの中という現状では不意打ちを避けたいという思いが幹也にはあった。


「へこんでもいない……か。封印、条件を満たしたか、それとも正面玄関からしか出れないのか。力業での脱出はできそうだが、時間は掛かりそうだな」


 拳をぶつけた部分を軽く撫で、そう呟いた幹也は背後から襲われないように近くの壁に背を預ける。

 本来ならば結界を張って安全地帯を作成すべきであったが、手持ちの霊符の残り枚数を考慮すると、そう簡単に使うべきにはいかなかった。

 そのため、暗闇に背を向けるよりも比較的マシな壁に背を預けると、周囲を観察しながらこれからの行動を思案する。


(……まず、感覚的にここは現世で間違いない。で、今いる部屋は台所だよな? 流し台や調理スペースもある。なんであるのか知らないけど戸棚には皿とかの食器も見えるな……さすがに冷蔵庫はないか。まあ俺が見ている光景が正しいのか分からないから何とも言えないけどな。勘に引っかからないならこれは無視でいいか。それよりも問題は、恭たちが走っていった廊下の先だな)


 右から左へとスマホのライトで照らしながら今いる部屋を観察する。

 幹也がこの部屋を台所だと判断したのは、自身の家の台所の配置と概ね一致したからだ。違いがあるとするならば、設置されている流し台などはどこか古臭く、長い間使われていなかったためか、蛇口は錆びついているようにも見えた。

 その中でも幹也が奇妙だと思えたのが、食器棚とそこに仕舞われている食器であった。台所に食器棚があるのは別段変わったことではないが、そもそもこの家は空き家のはずである。

 前に住んでいた住人が残していった物なのか、それとも過去にこの家に同じように忍び込んだ者たちが悪戯で残していった物なのか。はたまた本当にこの家に住んでいる者がいるのか。

 どれにしても、本来あるのがおかしい物がこの家には存在していた。

 しかし幹也自身の霊視能力では、認識しているそれらが本当に正しく存在している物なのかが分からない。

 結局、自身の勘も何も異常を訴えてこなかったことから、今考える必要のないことだと思考の片隅へと追いやるのだった。


(――どうするべきだ。何とかして裏口を空けて退路の確保と和泉と合流するか。恭たちを優先して追いかけるべきか)


 幹也の中には二つの選択肢があった。

 このまま裏口のドアを開けることに専念すべきか、それとも家の中にいる恭たちを探し出して合流するべきか。

 退路を優先する場合は、必然的に恭と史郎の二人を一時的にとはいえ見捨てることになる。勿論恭たちの身の安全を少しでも保障するため、自身を危険に晒すことになるが、怪異をこちらに引き付ける誘引と呼ばれる霊式を使おうと幹也は考えていた。

 しかし霊力を込めた力業で開かなかった以上、怪異がこのドアを開かないように何らかの力を使っていることは明らかであり、それを突破してドアを開けるには時間がかかる。

 だがこれを何とかすることができれば、一人取り残された和泉と合流するとともに退路の確保というメリットがあった。


(いやこれじゃ駄目だ。こっちを優先したとして、大人しく和泉は外で待っているか? それに一人外にいる和泉を怪異が放っておくわけがない)


 それ以上のデメリットがあることに気づいた幹也は、一人首を振る。

 ドアを開けることに注力すれば時間は掛かるが退路は確保できるだろう。しかしその間の和泉の身の安全は一切保障はできない。

 現状でもドア一枚という、大声を出せばドア越しでも聞こえるはずの厚さにも関わらず、外にいるはずの和泉の声は幹也の耳には届かない。これでは和泉に何があっても気付くことができない。

 何よりも分断される前の和泉の状態は、幹也自身が煽ったせいでもあるが、恐慌状態に近いものであった。その状態で目の前で怪現象が起きたとなれば、冷静に行動するのは難しいだろう。

 そして幹也が最も危惧していることは、和泉がこの家の中にいない他の怪異に襲われる可能性であった。唯一対処ができる幹也自身が外に出られない現状では、もし和泉に何かあったとしても何もすることができない。

 それら全てを考慮し、自身はどう動くべきか。暫しの沈黙の後、幹也は決断した。

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