逢魔が時の噂話 後編

 脇道を走り抜け、先ほど僕たちが通ってきた道へと戻るために急ぐ。

 今から僕がすることは、バレたら確実にあかりたちに怒られることだ。


「でも急がないといけないし、簡単に条件が揃えられるのなら仕方ないよね」


 誰か言う訳でもなくそう口にしつつ、頭の中の地図に従って走り続ける。周囲は先ほどよりも薄暗くなってきていて、少しでも遅れてしまえば条件は整わない。


 僕が今からやろうとしていることは簡単だ。さっき清水先輩が攫われかけた場所で、怪異に幽世に引きずりこんでもらう。ただそれだけだ。

 ここから人気のない場所を探して、更に幽世への道を開いて――なんて悠長なことをせずに済むので、この方法が一番手っ取り早い。

 問題があるとするなら、幽世じゃなくて異界に攫われる可能性や、引きずり込む怪異が厄介な場合だけど、普段人が行きかう一般道が異界になることはまずない。

 あとは怪異が問題なく対処できるものかだけど、恐らく清水先輩を攫おうとした怪異は出ないだろう。

 だって、あの怪異は清水先輩が直前で複数人でいる場合って話をしていて出てきたやつだし。出てくるとしたら一人でいる時に攫ってくるタイプの怪異だろう。それもこの住宅街ならばいくらでも対処法はある。


「よしっ、間に合った!」


 到着してすぐに人気がないことを確認する。もしも誰かがいたら巻き込んでしまうからだ。

 幸い歩行者はいない。これなら先ほどの状況を再現するのに問題ないだろう。

 一つ深呼吸をして覚悟を決めると、歩きながら目の前の何もない空間に言霊を用いて語り掛ける。


「夕暮れ時、一人で道を歩いていると化け物に攫われる」


 歌うように紡いだその言葉は、誰の耳にも届くことはなく、ただ周囲に響き渡る。

 一瞬視界が揺らいだような気がしたが、歩みは止めない。

 怪異が僕を狙ってくれるように歩幅を狭くしてゆっくりと歩く。

 そして唐突にその時は来た。怪異に引っ張られたわけでもなく、更に一歩を踏み出した瞬間――自分の認識する世界が幽世のものへと浸食される。


「おっと――」


 世界が一変したと認識した瞬間、予め足に霊力を込めていた僕は適当な家の屋根に向かって勢いよく跳躍した。

 ただ霊力を込めすぎていたせいで、想定していた高さよりも跳んでしまったが、何とか屋根に飛び乗り即座に身を隠す。

 怪異に引寄せられる形で幽世に来た縁を断ち切るために、僕が先ほどまでいた場所に身代わりの霊符を張り付けたお菓子を投げ込んだ。


 ――直後、僕が先ほどまでいた場所を取り囲むように、怪異たちが歩いて来た。


 それは小さな人のような見た目をしてはいるが、その肉全てが爛れていて、あれでは目の部分も何も見えないんじゃないかと思うぐらいだ。唯一確認できる大きな口からは異常な長さの舌がだらんと伸びていて、そこからポタポタと唾液が滴り落ちている。まさに化け物だと言えるような怪異だった。

 なにより異常なのは、足がない。正確に言うならば、足の部分に手が生えていて、その手で歩いている。

 最初は普通に足だと思ったけど、よく視たら指の長さや大きさから手であることが分かる。そして何か赤黒いモノを握りしめながら歩いている。それが複数体。どうやら集団で行動するタイプの怪異のようだ。


「――! ァアア! イタイタ!」


 その怪異の一体が僕が投げた身代わりの箱を見つけると、嬉々とした声を上げて箱を叩き潰した。そして潰れた箱を見て満足そうに声を上げると、舌で器用に掬い上げて呑み込む。


 その様子を見ていた他の怪異たちは残念そうに体を震わせると、足音? 手音? を鳴らしながらそれぞれ散らばっていった。


「……この件が片付いたら、ここら辺の幽世との境界がどうなっているか一度調べた方がいいか」


 身代わりを食べていた怪異も去り、僕に対しての縁が切れているのを確認してから立ち上がる。

 そして幹也と合流することをハイドで報告し、空き家の住所の方角に目を向けた。


 僕が視えている幽世は色褪せたような、仄暗いような世界。

 所々にぼんやりと見える街灯の光は電気の切れかかった電球の様な明るさしかなく、ひどく頼りない。かと思えば、一部の街灯や家は現世のものと変わらない明るさで照らしている。きっと迷い込んだ獲物を誘う何らかの怪異がいるのだろう。


「そこら辺は避けるとして。じゃあ、行きますか!」


 目が疲れるので霊視の力を通常まで戻し、肩にぶら下げていた鞄をしっかりと握りしめる。

 世界の色はおかしく暗いが、僕の霊視に影響はなく、ライトも必要ない。

 周囲をもう一度見渡してから霊力を全身に纏うと、勢いよく屋根から屋根へと真っ直ぐに駆け抜けた。


 ◇


 凪が幽世へと入った時を同じくして、幹也たちが肝試しを行っている空き家から少し離れた場所に佳奈と春の二人の姿はあった。


「佳奈先輩、寺の人たちもここに向かってるって」


「そう、わかったわ。……九十九、百。これくらいね」


 歩数を数えながら一人作業を行っていた佳奈の耳元に、小さくそれでいて何処か力強い春の声が聞こえてきた。

 霊力で強化された聴力によってしっかりと聞き取った佳奈はそう返事を返すと、目の前の木に視線を向ける。その手には一枚の霊符が握られていた。


 その霊符に描かれた霊式は、凪や幹也が持っていた結界の霊式と酷似していたが、何処か欠けた様な形をしている。


 佳奈は一度確認するように霊符に視線を向けると、目の前の木にゆっくりと霊符を貼り付けた。

 貼り付けた瞬間、その霊符に描かれた霊式が青白く発光すると、そこから白い光が空中に放たれる。それと同時に、佳奈が今いる場所から大体二百歩程離れた位置からも同じように黒い光が放たれた。

 佳奈はそれを確認することなく、霊符を貼り付けた木を基点にぐるりと周ると、背後から聞こえてくる足音を無視して春がいる場所まで歩き出した。


「おー、流石は佳奈先輩。大体向かい合う形に対の霊符を設置してくれたね。それじゃあ、こっちもひと頑張りしますか!」


 霊符から放たれた二つの光は、待機していた春のいる上空で混ざり合う。

 周囲を警戒していた春は満足げに頷くと、簡易結界を解除して懐から白と黒の勾玉を取り出した。

 それらを一つに組み合わせて陰陽の形を作り上げると、予め足元に準備をしていた一枚の霊符の上にその組み合わせた勾玉を乗せた。


 ――勾玉が置かれた瞬間、空中で混ざり合っていた光は勢いよく勾玉に吸い込まれると、その下に置かれた霊符と共に青白く輝きだす。


「我々に降りかからん禍事、罪、穢れ、聖は内に、俗は外に、全てを別け隔たん」


 詠うように祈るように春は詞を紡ぐ。

 それに呼応するように、力を吸収した勾玉と霊符を中心に半径五m程の黒白の円形の陣が広がり、邪気を弾き一切通すことのない強固な結界が生成された。


 その一方、生成された結界の外にいた佳奈は、背後から聞こえる足音を無視して結界の境界線に迷いなく踏み込んだ。そしてそのまま数歩歩くと、軽く息を吐いた。


「これで一先ずは安心ね」


 先ほどまで佳奈の背後から聞こえていた足音は聞こえない。

 振り返っても誰もいない。だが、結界の外から何か得体の知れない存在が見ているような気がした。

 事前に春が作り上げたこの結界の力を聞いていた佳奈は、何も起きないことで結界が上手く機能しているということを実感する。


「言われた通りにしてきたけど、そっちはどうかしら」


「んー……やっぱり駄目、全然起きない。先輩の言う通り、使い方が違うからすぐには効果が出てないみたい。これだと純君たちが来るのを待つしかないね。――あ、あの怪異はどうなった?」


「問題なく結界の外に置き去りよ。仮に憑いて来るとしても私の方だから問題ないわ。それでこれからのことだけど、無事保護を終えたことを報告したら蒼波寺の人たちを待ちましょう。さっきも言ったけど、私たちの目的は幹也の手助けをすることだから。鶴屋君をここで守ることも幹也の助けになるわ」


 そもそも幽世にいた彼女たちが何故現世に戻って結界を作成することになったのか。その答えは春の後ろで小さな置物を握りしめたまま気を失っている鶴屋和泉の存在だった。

 何故和泉だけが気を失って、空き家の外にいたのか。

 それは二人が幽世で移動していた時、幹也が情報共有をして恭たちと合流した時まで遡ることになる。

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