第八話 逢魔が時の噂話
僕たちが戻ってきた時には既に二人とも帰り支度を済ませていた。
どうやら僕たちが席を外している間に清水先輩が他のオカ研の人たちに今日の部活終了の連絡をしていたみたいだ。
「柊が心配だから俺も一緒に行くけどいいか?」
清水先輩をどう同行させようか考えていたので、本人からの提案はまさに渡りに船だった。
「それじゃあ待ち合わせの場所に急ぎましょうか」
思いの外時間は経過していたようで、僕たちが外に出た時には少しずつ空が暗くなり始めていた。
目的地へのコンビニに向けて、先頭を柊さんとあかり、その後ろを僕と清水先輩がついていく。道中設置された街灯や住宅の窓から零れる灯りだけでは心もとないので、それぞれスマホのライトで前を照らしていた。
前の方で話が弾んでいる二人とは違い、僕と清水先輩の間に会話はなく、時折、清水先輩が何かを言おうと唸っている。
……やっぱり、先輩の中で僕も対魔師だと断定できていないから聞こうにも聞けないという感じだろうか?
僕から話題を振るべきかとも思ったけれど、周囲の警戒を優先しておきたい。
でもこのだんまりの空間はやっぱりちょっとだけ居心地が悪いなあ。
……あ、あかりが何時の間にかタブレットに持ち替えて会話してるや。
「――夕暮れ、逢魔が時ってやつだな」
「急にどうしたんです?」
あかりたちに聞こえないように小さく清水先輩は呟いた。
視線を向けると、清水先輩はこちらを見ているわけでもなく、ただ前を向きながら独り言のように言葉を続ける。
「知っているか? 夕暮れの中、一人だけで歩いていると化け物に攫われるっていう噂。地域によっては、複数人でも攫われるとか襲われるとか似たような話はあるが、こういう噂っていうのは、大体が子供が暗くなる前に家に帰ってこさせよう。夜に出歩かせないようにしようっていう大人が作った作り話なんだ。……だけどな、その中には本物も混じってた」
……混じってた、ね。
恐らく純が言っていた数日前に清水先輩が怪異に襲われた時のことを言っているのだろう。
――ん-、この不自然な言い回しは僕の反応を確認しているのかな?
……でもなんだろう、清水先輩らしいけど、らしくない。
どう返答しようかと考えていると、隣を歩いていた清水先輩の歩みが不意に止まった。
二、三歩先に進んでそれに気が付いた僕は、足を止め、振り返る。
何時の間にか俯いている清水先輩の表情は暗がりというのもあってよく視えないが、僕の答えを待っているようだった。とりあえずは――
「清水先輩……。それ、今ここで話すことですか? あなた、そこまでバカでしたか?」
「は?」
文字通り魔が差してしまっている清水先輩を正気に戻すことにした。
僕の罵倒が予想外だったのか、間の抜けた表情で僕を見つめる清水先輩を無視して、その背後に素早く回り込み、霊力を纏った手で少し強めに背中を叩いた。
これはさっきあかりが柊さんを抱きしめたのと同じで、霊力を用いて瘴気に戻す方法だ。まだ取り憑かれているわけではなかったから、これで正気に戻るでしょ。
「ほら、先輩。バカって言ったのは謝りますから、早く行かないと二人に置いてかれますよ」
「え? ……あ、ああ。そうだな……」
どうやら正気に戻ったようで、自分でも何でそんなことを言ったのかわからず、戸惑っているようだ。
困惑している清水先輩に悪いけど、さっさと先に進むために再度背中を叩きながら前を指差す。
指差した先にはあかりがちらちらと僕たちの様子を窺っていて、その視線に気づいた清水先輩は、悪いと僕に謝ると早足で二人を追いかけていった。
――ふぅ、危ない危ない。もう少しで怪異の実体がいる幽世に引きずり込まれるところだった。
清水先輩たちの後を追いながら、ちらりとあかりが本当に視ていたモノに目を向ける。
「――ィァ」
ソレは見た目だけならば小学校低学年くらいの小さな子供。しかし片腕がその背丈と同じぐらい肥大化していて、眼球がないのか目の部分は真っ黒な空洞になっている。
その怪異は暗がりに隠れてジッと佇みながらも、去っていく清水先輩から視線を離さない。そして肥大化している怪異の腕が、先ほどまで清水先輩のいた場所まで伸びていた。
こっそりと怪異と清水先輩の間に縁がないか視ると、その縁はもう薄っすらとしか繋がっていなかった。放っておいても勝手に切れるだろうけど、念のためにお祓いで縁を切っておくように蒼波寺の人たちに伝えておこう。
それにしても時間が悪かったというか、場所が悪かったというか。色々と条件が重なっちゃった結果こうなったけど、一言で言うならば運が悪かった。
早めにここの怪異も対処しておいた方が良さそうだけど、下手に突いて藪蛇になると面倒だから後回しにしておこう。
清水先輩の言葉で出てきた可能性もないとは言えないし、僕が視ても何もしようとしなかった。条件が重ならないと現世には干渉できないと考えていいかな……多分。
――それにあかりも気づいてるみたいだけど、人気があるはずの道を選んだはずなのに、僕たち以外誰も歩いてないんだよね。
念のために視るだけ視ておいた方が良いだろうと改めて後ろを振り向くと、何時の間にか街灯や家の明かりも切れていて、僕たちが通ってきた道は薄暗く不気味な雰囲気を醸し出している。そしてそれに重なるように、何処か色褪せたおかしな世界が僕の眼にははっきりと視えてしまった。
……うわぁ、現世と幽世の境界おかしくなってる。
…………うん、今は見なかったことにして早く二人をコンビニまで送り届けよう。
「でもやっぱり先輩は色々と持ってますね。……何がとは言いませんけど」
「先代、今何か言ったか?」
呟きが聞こえていたのか、清水先輩は顔だけをこちらに向ける。
僕はそれに視えていないだろうけど、小さく笑みを浮かべると、清水先輩を追い越してくるりと振り返った。
「いえいえ、こっちの話です。それよりさっきのことですけど、聞きたいことはたくさんあると思いますが、寺まで行けば知りたいことは知れると思いますよ。……それを聞いてどうするかは、先輩次第ですけどね」
語るのは僕じゃないですけど。その言葉は流石に飲み込んだ。
僕の行動にポカンとしている清水先輩の背後は、既に怪異はいなくなっていて、何時もの風景になっていた。
◇
あわや怪異に遭遇しかける事態になりかけたが、それ以降は特に問題が起きることもなくコンビニに到着した。
既に到着していた蒼波寺の迎えに、先輩と柊さんはよろしくお願いしますとそれぞれ頭を下げる。
三人が車に乗り込む中、僕は幹也の所に向かう必要があるので乗り込まなかった。
予めあかりには二人と一緒に寺に向かってもらって、僕は一人で帰ると決めていたけれど、当然僕も一緒について来ると思っていた柊さんたちが声を上げた。
「ちょっと、なんで一人で帰ろうとしてるの!? ほら、こういうのって一人帰った方がナニかに襲われるってホラー物の定番じゃん。センダイ君も一緒にお寺に行く方がいいって!」
「柊の言う通りだ。無事に帰れたとしても、家で待ち構えられているというパターンもあるしな。明日学校行ったら、先代が怪我してたり、行方不明になっていたなんてことになったら、何でもっと強く引き止めなかったんだって後悔するし。大人しく一緒に行こうぜ?」
「……まず、僕が襲われること前提で話すのは止めてくれない?」
本当に好き勝手言ってくれるよ。というか清水先輩は微妙に私怨混じってない?
何気に幾つか当たっているのがあるから、反論しにくいし。
「心配してくれるのは嬉しいけど、本当にここから走って帰ればすぐだから。今は僕なんかより柊さんの厄祓いの方が大事でしょ。ほら、心配なら後でクレイドルで無事帰ったって連絡入れるからさ。それじゃあ、柊さん。清水先輩。また明日!」
これ以上時間を掛けたくないので、一方的にそう告げると、助手席のあかりに、二人を頼むと視線だけを合わせる。あかりは困ったように笑ったがすぐにわかっているとばかりに頷いてくれた。
それに笑みで返答すると、二人が止める前に家の方角へと勢いよく駆けだした。
「え、ちょっとまっ――はやっ!?」
後ろから柊さんの声が聞こえてくるが、そこまで速く走ってはいない。
そう内心でツッコミを入れながら、姿が見えなくなるように住宅街の狭い脇道へと飛び込んだ。
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