第十話 役割と一つの誤算
住宅街を抜けた佳奈と春の二人は、目的地である空き家を目指していた。
先導している佳奈は、多少遠回りになろうとも比較的見晴らしが良いルートを選んでひたすら駆け抜ける。
何が起きるか分からない幽世内で、何の準備もせずに雑木林などの見晴らしが悪い場所を通るのは、そこに潜む住人たちに襲ってくれと言っているようなものだからだ。助けに行くのに自分たちが襲われてしまっては意味がない。
それを理解している二人だからこそ、逸る気持ちを押さえつけて比較的安全なルートを選んでいた。
無論見晴らしが良いルートを選んでいるということは、佳奈たちの姿も怪異たちにはっきりと目撃されている。
当然襲い掛かってこようとする怪異たちもいるため、ほとんどは相手にせずに躱していくが、どうしても避けられない場合は、春が五行を用いた陰陽術で足止めを行っていた。
「ああもうっ、しつこい! 水を用いて木を生し、土を
火・水・木・金・土の五行元素において、助け、抑制する関係だ。
詠唱と共に春の指先から後方に向けて幾つもの水球が放たれる。
地面に着弾した水球が破裂し、水飛沫が土に染み込む。水の力によって目覚めた草木が、大地の養分を吸い取ることで急速に成長して怪異たちを絡めとった。
何とか逃れようと足掻く怪異たちであったが、やがて足元から成長し続ける木に吞み込まれた。
「……それで先輩。もうすぐ着くけど、どうするの? 今回の件、色々とややこしいことになっているみたいですけど」
「幽世の中の空き家も気になるけど、一人分断されてその人の偽物が出たみたいだから、現世に戻ったらはぐれた民間人の保護優先ね。それはもう伝えておいたわ」
「オッケー。結界張るし、怪異が襲って来ても私が守るから扉の方をお願いします」
「そうね。適材適所、春にお願いして私は扉に専念するわ。……それに霊符を使う私の方が扉の作成は早いもの」
「あのー、佳奈先輩? もしかしてさっきのこと気にしてましたか? 気にしてましたか、先輩?」
「あなたはいつも一言多いのよ」
そんな軽いやり取りをしながら役割分担を行った二人は、空き家を目視できる距離で静止する。
怪異が邪魔をしてこないように自身を中心に結界を張った佳奈は、現世への扉の生成を始めた。
集中するために目を閉じる佳奈は、人差し指と中指の間に霊符を挟むと、扉を生成するために必要な霊力を注ぎ始める。
幽世内において視界を閉じるという危険なことを躊躇なく行うその姿は、守ると宣言した春に全幅の信頼を寄せているようであった。そんな佳奈の信頼に応えるべく、春も気合を入れなおす。
「――ふぅ、早速来たんだ。でも、結界に触れる前に帰ってもらうよ。木を用いて火が生じる! 急ぎ、物事を成せ! 苦手な火行でも、場所と霊符を使えばどうにかなるの!」
赤字で霊式が描かれた霊符を結界の外に向かって投げつけると、迫り来る怪異と結界を隔てるように足元の草木を勢いよく燃やす。
そのまま春は反対側にも同じように火行の力が込められた霊符を投げつけ、そのまま流れる様に祝詞を紡ぐ。
「火よ、目前の災いを祓い、清め給え」
紡がれた祝詞によって、ただ燃え盛るだけであった火に浄化の力が宿る。
結界を破壊しようとした怪異たちは浄化の力を恐れて近づけず、聴覚に訴えかけて二人を結界から出そうにも、燃え盛る炎の音がそれをかき消した。
祝詞も、陰陽術も、使えるものならば何でも使う。使えなければ使いやすいように改良する。それがあらゆる術を霊式という形へと落とし込んだ神仏郷国所属の対魔師たちの基本的な戦い方でもあった。
そのようにして春が怪異を退けている間にも、現世への扉の生成は進む。
結界の中心に立っている佳奈の持つ霊符が青白く発光していくとともに、目の前の空間が徐々に歪み、現世への扉が形作られていく。
一見すると本当にそこに扉があるのか分からないが、佳奈の方から見ると、まるで水の中に石を投げ込んだ時のように幾つもの波紋が生じては消える。
佳奈がイメージする世界を重ねる扉は水面であった。
「――生成完了。春、すぐに現世に戻れるわよ」
「うん、すぐに行くよ! 燃え尽きた草木は灰となって土へと還り、水を剋して土は壁へと転ずる! 急ぎ、物事を成せ!」
合図を聞いた春は青字で書かれた霊符を真上に投げると、徐々に勢いを失い始めていた火に手をかざす。
それによって火が完全に燃え尽きると、周囲を舞っていた木灰が意思を持つように火の代わりに結界の周囲に降り積る。そこに放り投げられていた霊符から生み出される水が混ぜ合わさり、頑丈な土壁を作り上げた。
「行きましょう」
幽世に来る前に用意しておいた通行の霊符を取り出すと、二人は現世への扉に駆け込んだ。
ちゃぷんと水の中に潜りこむような感覚とともに、霊力で適応させていた違和感が消失していく。そして扉を完全に潜り抜けた瞬間、二人の認識していた世界が既知のものへと戻る。
先に扉を潜り抜けた佳奈は、春が現世に戻って来たのを確認すると、扉の自然消滅を待たずに自らの意思で扉を閉じた。
「うわっ、もう夕暮れじゃん。佳奈先輩、手分けして探すのは止めといた方がいいと思いまーす」
「わかってるわ。ハイドの方はあれから誰も返答なし。凪たちの方でも何かあったとみていいわね」
空を仰ぎ見ていた春は、ゆっくりと沈み行く太陽を見て顔を顰めると提案する。
当然佳奈もその提案に反対することはなく同意した。未だ連絡がない凪たちが気になる二人であったが、それよりも幹也たちとはぐれた人の捜索を優先すべきだと思考を切り替えた。
「それでどう探すの? 私たちも空き家の庭に入る?」
「その必要はないわ。言ったでしょう、適材適所って」
佳奈は親指と人差し指で輪っかのようにして口内に入れると、手慣れた様子で指笛を連続して三度吹いた。
指笛の音は周囲一帯に響き渡ると、一匹のカラスがカァーカァーと返事をするように飛んでくる。佳奈は腕を前に伸ばすと、カラスもそれが分かっているように伸ばした腕に舞い降りた。
「今日はあなたなのね。来てくれて、ありがとう。あそこに見える家の周囲に誰かいないか調べてきてほしいの。私よりも背が高い男の人で、眼鏡……ここの部分にあなたたちが好きな光っている物を付けてるわ」
探している人物の特徴を伝えると、カラスはバサバサと羽ばたいてからわかったとばかりに一声鳴いた。
ありがとうと頭を一撫でしてから、佳奈は小さな結晶の付いた首飾りをカラスの首に掛ける。 この首飾りは幹也が作成した物で、協力してくれる動物たちが被害に遭わないようにちょっとした護りの力が込められている。
そして行ってらっしゃいと、カラスが乗った腕を勢いよく振り上げた。
その勢いに乗ってカラスは飛び立つと、鳴き声をあげながら空き家の周囲を旋回しながら捜索を始めた。
「これで家の敷地内に入らずに調べられるわね」
「いやー、その能力相変わらず便利だねー」
「私はただお願いしているだけ。あの子たちが助けてくれなければ、ただ話ができるだけの力よ」
感心した声を上げる春に、佳奈は大したことはないと返す。
佳奈が生まれつき持つ動物や動物霊たちと意思疎通が行える力。
今回の噂に関しての情報も動物たちから教えてもらったものであった。
この力は非常に便利なように思えるが、佳奈自身が言う通り、意思疎通ができるだけである。当然聞く耳を持たない動物たちもいるので、そこから友好的な関係が構築できるかどうかは、佳奈自身の力量が問われることになる。
「そういえば佳奈先輩って式は作らないんだね。式にすれば近くにいなくても呼び出せるのに」
「あの子たちの気が乗ったら助けてくれる。それくらいがちょうど良いのよ。それに特定の式を作っちゃうとね、助けてくれている子たちが拗ねるの」
その言葉に春は思い当たることがあるのか、あー、と声を上げた。
佳奈は能力に関係なく動物に好かれる。それは先ほどのカラスなどの野鳥や、野良猫、近所の飼い犬など。佳奈が近くを通ればすり寄ってくるほどである。
時折、子猫などの動物霊やすねこすりといった動物の妖怪が来ることもあるが、佳奈自身は危害を加えないのなら自由にさせたり、供養を行ったりしている。
そういったこともあり、佳奈自身は特定の式を作ろうとしない。
そんなことを話していると、捜索をしていたカラスが戻ってきた。
再び佳奈の腕に停まると、何かを知らせる様に鳴き始める。
その声を一字一句聞き逃さないように耳を傾けていた佳奈は、ご苦労様とカラスに礼を言うと、聞いた内容をそのまま春に伝え始めた。
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