第十九話 浄化を始めよう

 凪の目の前では、作務衣さむえと呼ばれる黒い上着ともんぺを身に着けている短髪の少年――中園純の声だけが響いていた。


 最初は霊符で浄化しようとしていた純であったが、穢れの浸食度合と凪自身の消耗を考慮して、時間は掛かるが略式の経を読むことを選択した。


 目を瞑り、凪の体から穢れや瘴気が浄化されるようにと、祈りを込めて経を読む。

 純の声に反応するように、凪の体を蝕んでいた黒い靄のような何かは、時間と共に少しずつ薄れていた。

 やがて経を読み終えた純は、最後に場の空気を清めるようにパンッと一度拍手を打つと、持っていた数珠を懐に仕舞いながら凪に話しかける。


「幽世ではこれ以上は無理だな。凪さん、霊符でも問題ない程度には穢れも引いたから。これ以上悪化しないように浄化の霊符を使っておいてくれ」


「うん、わかったよ。……改めてありがとう。助かった」


 純の見立てではまだ穢れは抜けきっておらず、完全な浄化を行うためには一刻も早く現世に戻る必要があった。

 だが凪の性格上、消耗していたとしても残りを任せて一人脱出はしないだろうとわかっていた純は、せめてこれ以上の悪化を防ぐためにそう提案した。


 素直に承諾した凪は、この空き家に入ってきた時と同じように霊符を組み合わせた浄化の灯火を周囲に浮かばせる。これによって結界の外の瘴気や穢れの中でも問題なく動けるようになった。

 見つけた時よりも顔色が良くなった凪を見て、ようやく純はホッと息を吐いた。


 春が取り乱していたために表に出さないように努めていたが、無事な凪の姿を見るまでは、純も気が気でなかったのだ。

 後処理のために凪が残ったことを幹也から聞いた当初は、一同は凪から直ぐに連絡は来るだろうと思っていた。しかし、その後の嫌な予感という幹也の言葉に、幹也の勘を知っている者たちは、一抹の不安を覚えてはいた。

 その不安は見事に的中することになり、時間が過ぎても凪からの連絡は一切なかったことから、どのような状況でも対処が可能な純と春の二人が幽世へと向かうことになった。


 急ぎ凪の無事を確認しようと空き家の入り口にて二人の目に飛び込んできたのは、リーパーが作り上げた惨劇。

 浄化しないといけないような事態が起きたと聞いていた二人であったが、思わず目を覆いたくなるような光景を見てしまったがために、凪も同じような目に遭ったのではないかと一瞬だが考えてしまった。


 純は大丈夫であったが、春にはそれがいけなかった。

 一度頭に過った嫌な考えは、解消されるまで消えてなくなることはない。

 更には直前に聞いてしまっていた幹也の言葉が追い打ちとなって、より不安感を駆り立てられていた。生じた焦りは、慎重に動くべきはずの思考を曇らせる。

 それによって凪の安否を確認しなくてはという思いが先走ってしまい、春は普段ならば安易にしないであろう叫ぶという行動を取ってしまった。それに焦ったのは純だ。

 春の焦る気持ちもわかるが、自分たちの居場所を知らせてしまった。

 こうなってしまっては、事態が悪化する可能性も考慮して迅速に動くしかない。

 そう判断した純は、霊符を取り出して奥へと駆け出そうとする春に、凪がいる可能性が高い場所を伝えると、二人は戦闘態勢を整えながら二階へと急いだ。


 そうして凪が居るであろう奥の部屋に躊躇なく飛び込んだ春に、純はまた肝を冷やした。

 幸いにも目的を果たしたリーパーは、凪をそのまま放置して去っていったため、戦闘が起こることはなかったが、二人の目に入ったのは瘴気や穢れに侵される凪の姿。

 明らかに冷静さを欠いていた春を純は竦めると、凪の浄化が行われた。


 そして現在、凪の浄化に一段落ついたタイミングで、一人家の浄化のために準備をしていた春が戻ってきた。

 先ほどよりかは幾分か落ち着いた様子で、戻ってきて早々に純に頭を下げる。


「純君、さっきは一人先走っちゃってごめん」


「俺も内心焦ってたし、春の気持ちもわかるからな」


 そこで純は一度言葉を区切る。春の気持ちは純にも理解できていた。

 だが春の迂闊な行動を許せるかというと、それはまた別の話だ。

 今回の春の行動は自分たちだけでなく、救助対象である凪にも危険が及ぶ可能性が十分にあった。


「――だけどな、もしかしたら凪さんがより危険なことになってた可能性もあるんだ。次からはもっと考えて動けよ」


 春が同じ過ちを繰り返さないようにするために、純はあえて自分たちよりも凪が危険にさらされるということを強調した。

 その方が春には効果的だとわかっていたからだ。そして純が思っていた以上にそれは効果的だったようで、春は暗い表情のまま改めて凪にも謝罪をする。


「……うん、本当にごめん。兄さんも危険に晒してごめんなさい」


「ううん。助けに来てもらったのは僕の方だからね。春が謝る必要はないよ。それに春たちが救援に来ることは時間稼ぎのために喋っちゃってたから、謝るのはむしろ僕の方だよ」


 幹也と別れてからすぐに現れたリーパーとのやり取りを凪は話し始める。

 あの惨劇を作り上げたのがリーパーであること。推測交じりではあるが、知り得た情報からのリーパーの目的など。

 唯一、リーパーから忠告を受けた謎の霊符については話さなかったが、それ以外のことは全て話した。


「色々と言いたいことはあるが、凪さんも迂闊すぎだ」


「……そうだよねぇ」


 話を聞き終えた純は、一言そうバッサリと切り捨てた。

 純がそう言うのも無理はない。幾ら喋ることでしか時間を稼ぐことができない状況下だとしても、救援のことを話すのは迂闊としか言いようがない。

 百歩譲ってそれしか手がなかったとしても、その後の凪の状況判断のミスの連続は擁護することはできなかった。

 だからといって仮に自身が同じ立場になった場合、どうすればよかったか簡単に思いつくことでもない。そのため純はその一言だけで留めることにした。

 何よりも、二人の迂闊な行動で一番被害を被ったのは純である。凪自身もそれを理解しているからこそ、純の言葉を素直に受け止めた。


「――とりあえず、後で反省会でもするとしてこの話は一端終わりだ。凪さんも春もそれでいいな?」


 暗い雰囲気を切り替えるように純はこの話はお終いだと一度パンと拍手をして、二人に同意を得る。


「幹也さんたちが蒼波寺に向かったって連絡が来たからな。あと残ってるのは浄化だけなんだが、あの押入れの霊符の山はどうする? 凪さんを襲ったリーパー? だったか。そいつが狙ってたのは回収されただろうけど、まだ残ってるのは調査のためにも回収しておいた方がいいんじゃないか?」


「そうだね。誰が何の目的でこの家にあれだけの霊符を張ったのか。誰が描いたのかもわかるかもしれないし、さすがに全部は罠が仕掛けられてるかもしれないから何枚かだけ回収しておこうか」


 純の提案は尤もなものであり、凪も同意する。

 霊符の実物さえあれば、それ専門の対魔師や筆跡鑑定などの様々な方法で調査することができる。

 一応別の手段として、罠を警戒してカメラなどで押入れ内の霊符を撮影して後から確認するという方法もあるのだが、幽世では現状ハイドのアプリしかまともに機能しないため、それはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る