第七話 蒼波寺の後輩
「……さっきの話をしてくれた友達……誰か、分からない……です」
消え入りそうな声でそう呟いた祈里の言葉が、静まり返った部室内に木霊する。
祈里の言葉の意味が理解できないのか、誰も言葉を発しない。
ただ立て掛けられた古臭い時計の針の動く音だけが部室内に反響していた。
「え、あっ、違う。ま、まって。ちょっと忘れちゃってる……だ、だけだから」
自身の一言でできてしまった場の空気に耐えられなくなったのか、祈里は引き攣った笑みを浮かべながら凪たちにそう取り繕うも、その視線はスマホから離さない。
そうだ、そんなはずがない。うっかり忘れてしまっただけだ。教えてくれたのは友達なんだから、電話帳に名前がきっと載ってるはずだ。
祈里は恐怖で顔を歪ませながらも、そう強く自身に言い聞かせながら話してくれたはずの友達を探す。
何度も、何度も、繰り返し探す。だが、結果は変わることはなく見つからない。
内心では答えに辿り着いている。これが無駄な行為だともわかっている。それでも祈里は探し続けた。
そうしなければ、恐怖でどうにかなりそうだったから。
当たり前だった日常が、当たり前じゃなくなるから。
(俺はどうすればいい……?)
スマホの画面を食い入るようにして探し続ける祈里をただ困惑した表情で晃は見つめていた。
最初は祈里の言葉の意味を理解することができなかった。
ただふざけているのかとも思った。しかし一年近く同じ部活で一緒だったこともあり、祈里がそんな冗談をするとは到底思えなかった。
他の誰かと勘違いしているんじゃないか。
聞いた話がごちゃ混ぜになって分からなくなっているだけじゃないか。
そんな考えも頭を過った晃であったが、今まで見たことがない程取り乱した祈里の姿からは、何らかの怪現象が起きているのだと確信させるものであった。
「な、なあ柊――」
このままの状態は危ない。まずは落ち着かせてゆっくり話を聞いてみよう。
一先ず祈里を落ち着かせようと声をかけた晃であったが、その先の言葉が出てこなかった。
晃自身がこれまで
そうして言葉を選んでいた晃の様子を黙って見守っていたあかりは、凪に視線を向けて小さく頷くと、静かに立ち上がった。
「萩野、お前何を――」
「清水先輩、あかりに任せてください」
静かに祈里に近づいていくあかりを見て、何をするのか声を上げようとした晃を凪は大丈夫だと制する。そして未だ同じことをうわ言のように繰り返す祈里の隣まで来たあかりは、祈里を優しく抱きしめた。
「えっ、やめっ――」
突然抱きしめられたことでスマホから視線が外れた祈里は、邪魔をするなとばかりに振り払おうとしたが、霊力で身体を強化していたあかりには無駄であった。
そのままあかりは母親が子供をあやす様に祈里の頭を優しく撫でる。
大丈夫だと、何も心配することはないと、そう想いを込めてあかりは頭を撫でる。
暫く撫で続けていると、祈里の中に生まれた恐怖心はゆっくりと溶けていく。
そして振りほどこうと暴れ続けていた祈里は徐々に大人しくなり、やがて正気に戻ると、あかりの胸に顔を埋めている現状に目を白黒させた。
「――あ、あかりん!? も、もう大丈夫だから!!」
祈里は恥ずかしさから顔に熱を帯びるのを自覚しつつも、誤魔化すようにそう叫ぶ。それを聞いたあかりの手が止まったと同時に祈里はがばりと顔を上げた。
その様子にあかりはもう大丈夫だと安心するように笑みを浮かべると、椅子を持ってきて祈里のすぐ近くに腰掛けた。
「あー、柊。大丈夫か?」
「ううっ、すいません。……取り乱しました。……二人も、ごめん」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせた祈里は、気遣うような晃の言葉にしっかりと返事をした。その顔色は先ほどより遥かにマシであったが、未だ優れないものであった。
そんな祈里の状態から、今は話を聞きだすべきではないと判断した凪は、祈里のケアをあかりに任せ、厄介なモノが憑いていないか霊視を行う。
あかりが落ち着かせている時に憑いていたのは祓ったのではないかと内心思いながらも、祈里を襲った正体不明の怪異に繋がるモノがないか目を凝らす。
【祈里ちゃん。私があげたお守り持ってる?】
「……あ、そうだよね。こういう時はお守りが守ってくれるんだもんね。うん、鞄に付けてるよ」
端の方に放り投げていた自身の鞄を持ってきた祈里は、そこに付けられているお守りを見せる。
そのあかりお手製のお守りは、所有者が怪異や邪に気づかれないように厄除けと目くらましの力を持っている。見た目は巾着袋のように丸い形で白い布地に綺麗な金色の刺繍がされており、その中には石と厚紙のような物が入っていた。
祈里に許可をもらったあかりは、お守りを手に取ると軽く握る。
そして中に入っている石が割れていないことを確認すると、祈里を安心させるように力強く頷いた。
【お守りは穢れてないから、大丈夫だよ】
「ホント!? よかったぁ~、あかりんが言うんだから大丈夫だよ……ね?」
【もし不安なら今から蒼波寺に行く? 時間が時間だから私の所は無理だけど、蒼波寺でもお祓いを受けられるよ。それにお寺なら安心できるでしょ?】
寺と神社の両方で受けることができるお祓いであるが、それぞれのお祓いの考え方は少々異なっている。
寺は正確には加持祈祷であり、『厄除け』と呼ばれ、これから受ける厄を避け、災厄から身を守るものとなっている。
その一方、神社は『厄祓い』であり、既に降りかかっている厄を追い祓うものとなっている。
本来なら神社でしか受けられない厄祓いであるが、神仏郷国が組織されて以来、そのどちらにも対応できるようになっているのだ。
「え、いいの!? でも何で神社じゃ……あ、そっか。夜の神社は色々と危ないもんね。……だけどさ、信じてくれるのかってのもあるけど、いきなりお寺にそんなことお願いしちゃってもいいのかな?」
祈里の疑問は尤もであった。
あかりが巫女見習をしている神貸神社が駄目なことは、夜の神社の危険性を理解しているから理解できる。では何故そこで蒼波寺が出てくるのか。
自分の身に何時、何が起こるかわからず、不安でしかない祈里としては願ったりであるが、自身の知識から尋ねずにはいられなかった。
【神仏郷国って団体知らない? 日本の神社や寺の支援や管理している団体。私の所や蒼波寺はそこに所属しているから、こういったオカルトがあった時にスムーズに対応できるようにしてるの】
「純――蒼波寺の人に聞いたんだけど、お寺も神社もそういうお祓い関係は何かあったら連携できるように各所に通達してるんだってさ。“だから安心してお祓いを受ければいい”よ」
あかりの説明に凪は補足を行う。その際に少しだけ言霊の力を込め、祈里が迷いなく選択できるように後押しをした。
凪の扱う言霊は、才能がないと本人が断言している通り、ほんの少しだけ話を聞き入れやすくするぐらいしかできない。
しかし今の祈里のような、自身の不安を解消したい状態であるならば、それだけの力でも絶大な効果を発揮した。
「……うん。二人がそう言うならそうしよっかな」
【それじゃあ蒼波寺に連絡して迎えを呼んでくるから、待っててね。凪君、連絡しに行こう】
「はいはい、じゃあすぐ戻ってきますから。清水先輩は柊さんを見ててください」
あかりが自然な流れで部室から連れ出そうとしていることに気づいていた凪は、それまでやり取りを黙って見ていた晃に声をかける。
急に話を振られたことに一瞬面食らった晃であったが、しょうがないとばかりに片手で頭を搔きむしると頷いた。
「……色々聞きたいことはあるが、わかった。後で詳しく話せよ」
弱弱しく頷いた祈里を晃に任せると、凪たちは一度オカ研の部室から出て行く。
オカ研の部室のドアが閉じられるまで、出ていく二人の背を晃はジッと見つめていた。
「部長、巻き込んじゃってすみません……」
「別に謝る必要ないから気にすんなって。ま、こんな状況じゃ部活は続けられないからな。鳩羽たちには上手く誤魔化してそのまま解散させるか」
「アハハッ、後でハトっちが知ったらズルいって騒ぎそうですねー」
そんな何時もと変わらないやり取りに、祈里は少しだけ笑みを浮かべる。
それを見た晃は同じように笑みを浮かべると、残りのオカルト部員に連絡するためにスマホを手に取るのだった。
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