第二話 対魔師と協力者

 効力を失って床に落ちていた人払いの霊符を回収した僕は、屋上の鍵を返しに協力者のいる保健室に向かっていた。

 見回りの先生に見つからないようにこそこそと移動していたから少し時間がかかったけれど、幸いまだ授業中だったので問題なく到着。

 念のためにドアを少しだけ開けて、隙間から他の生徒がいないか確認してから保健室に入った。


「失礼します」


「――ん、ああ、先代君か。お疲れ様だったね。無事に解決した?」


 目を通していた書類から顔を上げて出迎えてくれたのは、この保健室の主である工藤美緒くどうみお校医だ。

 肩に届かない程度に伸ばした黒髪と整った顔立ち。少しきつめの目つきを柔らかくするために銀縁眼鏡をかけていて、何時も不敵な笑みを浮かべている。

 初対面だと何処か近寄りがたい知的な雰囲気を醸し出しているけど、話してみると意外とお茶目な部分と面倒見のいい性格ということもあって、頼れる先輩として男女問わず人気があったりする。

 そんな工藤先生は、大学時代に怪異関係に巻き込まれたらしい。そこで色々あって神仏郷国の協力者になり、この高校に三年ほど前から勤務しているとは本人談だ。


「はい、怪異は封印しましたので屋上はもう大丈夫です。鍵、ありがとうございました」


「そう。それじゃあそこに座って」


 差し出した鍵を受け取ることなく、工藤先生は何時もの軽い口調でひらひらと手を振ると、椅子に座るように促してきた。


「あの、鍵を返しに来ただけなんでこのまま教室に戻ります」


「ダーメ。そんな疲れた顔して戻っても、また戻されるだけよ。そうしたら私が嫌味を言われちゃうじゃない。ほら、私を助けると思って。すぐにお茶入れてあげるから、このまま昼休みまでゆっくりしていきなさい。しっかり休まないと鍵は受け取らないわよ」


 そこまで言われれば流石に逆らう気もなく、大人しく近くの丸椅子に座る。

 腰を下ろしたことで緊張が解けたのか、先ほどの怪異の呪詛の影響かどこか身体が重く感じる。

 ……あー、うん。これは霊視しなくても分かるくらい瘴気が纏わりついてる。

 瘴気としての濃度は弱いし、死の穢れとかよりは今回の恨みの瘴気の方がまだマシだけど、放置したままだと余計なモノが寄ってくる。とりあえず瘴気を祓う浄化の霊符を貼っておけば大丈夫か。できれば清めた塩も舐めて内側からも祓っておきたいけど、今手持ちにないからしょうがない。

 浄化の霊符に霊力を込め、怪異に近かった左腕に貼り付けると、纏わり憑いていた瘴気が少しずつ霊符に吸収されていく。


「……ふぅ」


 吸収されていく瘴気を眺めながら一つ息を吐いた。そうして落ち着いたことでふと頭に浮かんだのは、先ほどの怪異の存在だった。


 ……あの怪異は何だったんだろうか。

 僕の眼で視ても噂を基にした怪異であることは間違いない。だけど何処か腑に落ちない。噂が独り歩きして自然発生した怪異だとは思うけど、噂も変なものだったし。


「ほら、そんな難しい顔してないでこれでも飲んで。熱いから気をつけなさいよ」


「ありがとうございます」


 うーんとあれこれ考えていると、呆れた顔の工藤先生がお茶の入った紙コップを差し出してくるので礼を言って受け取る。

 ……あ、美味しい。温かいお茶を飲んでホッと一息吐く。

 そんな僕の様子を見て、同じようにお茶を飲んでいた工藤先生は口を開いた。


「それにしてもそんなに疲れているなんて。それだけ大変だったの?」


「いえ、これは昨日も依頼があったのでそれの疲れですね。今回も余計なことをしないで封印に専念すればそこまで大変じゃなかったですよ……あ」


「余計なことをしたのね……」


 しまった、気が緩んでいたせいでつい口が滑ってしまった。

 ハハッと笑って誤魔化すが当然通じる訳もなく、あの屋上での一件を洗いざらい話すことになってしまった。

 話し終えた時には、入れてもらったお茶もすっかり温くなっていて、聞き終えた工藤先生は呆れたように深々と溜息を吐いた。


「相変わらずというべきか。あまり私はそちらの知識について詳しくはないが、それでもキミたちは自分を大切にしないね。いい加減にしないと、早死にするわよ」


「アハハ……僕も自分の命は大事ですからね。そこまで無茶はしませんよ」


 そう。今回の件も、さっさと怪異の動きを封じて封印の霊符を使えば余計な呪詛を喰らわずに解決したことだった。

 普段から除霊よりも浄霊や調査、友好的な怪異の相談を受けたりだったから退治の方はあまりしなかったこと。

 生まれたばかりでまだその怪異による被害は何もなかったから、もしかしたら説得できるかもしれないと判断を間違えてしまったのが、今回の失敗だ。


「先代君の大丈夫の基準は周りを巻き込まなきゃ自分が多少傷ついても問題ないでしょ。……はぁ、萩野さんたちに伝えておくから怒られてきなさい」


 工藤先生は頭が痛いとばかりに片手で頭を押さえると首を振る。

 それは何処か芝居がかっていて――え、ちょっと待って。あかりや春たちにも伝えるの!?

 ニコニコ笑って禊に行きましょうとホワイトボードを持つあかりと、その隣でジト目で呆れる春の二人の姉妹の姿が頭を過る。

 間違いなくあの二人――いや、あかりならやる。


「あのー、前も怒られてるんで流石にそれは止めてほしいかなー……って」


「自業自得。これに懲りたら一人で何でもしようとしないこと。まったく、キミたち対魔師は誰もかれも本当に自己犠牲が過ぎるわ……」


 工藤先生はこれで話は終わりとばかりにパンっと一度拍手すると、ベッド使っていいからしっかり休んでおきなさいよと保健室から出て行った。


 「……あー、余計なこと言った…………寝よ」

 

 保健室に取り残された僕は、先ほどとは違う意味のため息を吐く。

 一先ず怪異の封印が完了したことをハイドで報告して、ベッドに倒れ込んだ。

 疲れがあったせいか横になると同時に身体の力が抜ける。

 

 ……詳細は後でまとめて報告すればいいや。


 そう現実逃避をしながら僕の意識は途切れた。


 そうして目を覚ましたのは昼休みを告げるチャイムの音だった。

 ゆっくりと体を起こして眼を擦っていると、工藤先生が丁度戻ってきた。

 十分休めたかと笑いながら言ってきたから、愛想笑いを浮かべて鍵を返すしかなかった。絶対わかってて言ったでしょ。


 それから教室に戻ってきた僕は、クラスメートに気遣われるのに罪悪感を覚えながらも、友達数人と一緒に雑談しながら昼食を取っていた。

 友達とバカ話に盛り上がりながらも、何時あかりたちが来るのかと戦々恐々としていたが、昼食を取り終えても誰も来なかった。そのことにホッと安心していると、一通のメールが届く。メールが送られてきたことに嫌な予感がしつつも、そのメールを開いた。


《怪異の封印、お疲れ様です。凪君、放課後詳しくお話聞かせてくださいね》


 あかりからのメール。それも仕事用のスマホじゃなくて、僕のスマホの方に送られてきている。

 ……やばい。いつもより丁寧なこの口調は絶対に怒ってる。

 その後あかりからのメールを皮切りに、ハイドの方ではなく、一般に普及している連絡アプリの『クレイドル』にも仲間たちから次々とメッセージが届いた。その中でも春からの≪姉さんに気を付けて≫というメッセージに思わず気が重くなった。


 ……どうしよう。



 大型連休明けというのもあって、普段よりも少しだけ早めに授業が終わって放課後。

 教室を飛び出した僕は別棟にある理科準備室に来ていた。

 ここは僕たち対魔師が集まるための隠れ蓑にしている自然科学部という同好会の部室代わりとなっている。ちなみに理科室の鍵については、工藤先生から予備を渡されている。

 理科室は授業を受ける教室と機器などがある準備室、薬品などの保管室の三つの部屋に分かれている。その中でも理科教室だけは危険な物も置かれてないので、部室として利用する許可が下りたわけだ。

 それなのに何故僕が準備室の中に入れているのかというと、とある理由で準備室の立て付けが悪いので、ちょっと工夫すれば簡単に鍵を開けることができるからだ。


「――それで、ここに逃げて来たっちゅうわけか」


 似非関西弁口調で言ってくるのは理科準備室の住人であり、人に友好的な怪異である人体模型の自称タケシ。

 去年、僕が隠れていたのを見つけてその時に色々あった。

 それ以来、この学校内にいる友好的な怪異たちのまとめ役をしている。


「いや、逃げたわけじゃなくてね。早く来て心の準備をその……ね」


「一緒やわ。ってか、このやり取りも何回目やねん」


 分かってるよと返しつつも、ついついあれぐらいなら大丈夫なんだけどと考えてしまう。そんな僕の考えはどうやら筒抜けのようで、タケシは呆れたように指摘してきた。


「せやけど自分さあ。前も言ったけど、あかり嬢たちが大丈夫やからって無茶したら心配するやろ」


「……まあ、そうだね」


「はぁ、自分でもわかっとるやないかい。自分は良くて他は駄目っちゅうやつ……ダブスタ? まぁどっちでもええけど、ぐちぐち言って逃げんなや。自分でもわかっとるんなら何時ものように素直に怒られてきい」


 模型なので表情こそ動かないが、タケシは明らかに面倒くさげにそう言うと、それ以上口を開かなくなった。

 本当にこの怪異は面倒見が良いというか、言い辛いこともズバズバ言ってくるよ。でも確かにタケシの言う通りなんだよね。結局の所、なんとか救えないかと粘った僕の判断ミスで、無駄に呪詛を受けて心配させたんだし。

 ……いい加減覚悟決めようか。気合いを入れるために頬を両手でパンっと叩いたぼくは、タケシに礼を述べると準備室を出た。


【お疲れ様。大変だったみたいだね】 


ホワイトボードを持って笑みを浮かべたあかりが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る