06話.[気に入っている]

「ただい……って、芽衣子か!?」

「こ、こんばんは」

「久しぶりだなあ!」

「そ、そうですね」


 やっぱりそう、明らかに嬉しそうだった。

 こうなってくると洲浜さんは居づらいかなと見てみたものの、彼女は全く気にした様子もなくソファに座って兄に挨拶をしただけ。

 陽キャというのはこういうときでも気にならないものなのかもしれない。

 溝蒋さんが言っていたことが本当ならひとりでいるよりもよっぽどいいのかもね。


「でも、どうしているんだ? 春からもう関係が終わったみたいなことを聞いたんだけど」

「……我慢しきれなかったんです」

「そうか」


 殺意というのは感じられなかった。

 でも、傷つけたいという気持ちは伝わってきていたから……。


「秋葉がいるのはどうしてだ?」

「ちょっとお兄ちゃんっ、なんで名前で呼んでいるのっ」


 いきなり詰めすぎるこの感じ、なんかあんまり上手くいかなさそうだ。

 人によっては急に名前で呼ばれることを嫌がるわけだからもっと気をつけた方がいいと思うけど。

 それでも非モテの妹よりはマシ、というところだろうか?


「別にいいわ、私がここにいるのはその子が彼女に変なことをしていたからです」

「変なこと? 久しぶりに会えて嬉しくてハグ……とかか?」

「違います、カッターで切りつけようとしていたんです」


 こうなると思った、隠しきれるわけがなかった。

 驚いたような顔で兄が「本当か?」と聞くと、芽衣子は俯きながらこくりと頷く。

 私の方が関係を切られたとしか分かっていなかったわけだから困惑していることだろう。

 私が切られてそういう行為に~ということならちょっとぐらいは、ね。


「ま、俺が出しゃばるのは違うから部屋に行くよ」


 結局兄が帰ってきたところで、ということか。

 私と芽衣子がなんとかしなければならないことなのになにをしているのか。

 遅い時間まで洲浜さんだって巻き込んでしまったし、ちょっと馬鹿だったばっかりに迷惑をかけてばかりだ。


「お兄ちゃん、悪いんだけど洲浜さんを送りたいから」

「あ、そうか」

「私は今日泊まります、彼女のことが心配なので」

「そうか? 分かった」


 兄を当たり前のように利用することになってしまうからこれは実はありがたいところだった。

 ただ、俯いて黙ったままの芽衣子はどうするのかという話だ。

 電車や新幹線の動いている時間を把握しているわけではないため、大丈夫なのかどうかこちらが不安になってしまう。


「今日はあんたの部屋で寝るわ」

「うん」

「それよりこの子、どうするの?」


 本当にそれだ、帰るのか泊まるのか、それだけははっきりしてほしい。


「芽衣子、明日学校じゃないの?」

「……学校だけど」

「それなら帰らなきゃ」

「いい、帰らない」


 学校はつまらないけどそれでも一度も休んだことはないと過去の彼女は私に話してくれた。

 休んでしまったら人間として負けている感じがして嫌だとも教えてくれた。

 そんな子がこんなことで簡単に休もうとしてしまっている。


「いらないわ」

「「え?」」

「いまのあんたがいても春は落ち着かなくなるだけよ、学校があるならさっさと家に帰りなさい」


 やっぱり洲浜さんが遠慮するなんてことはありえないよ、溝蒋さん。

 初対面の相手にここまではっきり言えるなら私相手にならいくらでも言うことができるはずで。


「……泊まろうとしているくせにおかしいでしょ」

「それはあんたが悪い」

「……別にあんなの本気でしようとなんてしてないし」

「冗談でやろうとしたってこと? そういうのが一番質が悪いのよ」


 私としてはそういう不安優先というより学校を優先してほしかった。

 休日にでも来てくれれば相手をするから、あ。


「芽衣子、お家の場所を教えてよ」

「ど、どうして?」

「そんなの私から行くからに決まっているでしょ、これでやり取りをすることが無理になってしまったからさ」

「……分かった」


 なるほど、隣県でもない場所にひとりで行くのは怖いよ!

 真逆の方向へ進む電車などに乗ってしまいそうでいまから冷や汗が出てきた。

 とはいえ、洲浜さんに頼むなんてこともできるわけがないし……。


「さ、帰りなさい」

「はぁ、春の友達は変な人だね」


 廊下に出たら何故かそこには兄がいた。

 芽衣子の頭を撫でてから「送る」と。

 次に会えるのがいつになるのか分からないから少しでも一緒にいたいのかも。


「秋葉は厳しいな」

「なんでですか、春やあなたがおかしいんですよ」


 芽衣子と別れてから兄が急にそんなことを彼女にぶつけていた。

 彼女は兄が相手だろうとはっきり言うからなんか格好いい。

 それに喋れば喋るほど可愛い声を聞けるわけだから私としては嬉しい。


「無傷みたいな態度でいますけどちょっと切られていますからね」

「え、どうしてそれに……」


 彼女はこちらを怖い顔で見てから「良人さんはもう少し厳しく接してください」とさらにぶつけていた。


「んー、だけど春の悪いところなんて暗いところが苦手なのに無理して行くところしかないからなー」

「もっとありますよ」


 怖い怖い、今日はなるべく話さないようにしよう。

 なにか言おうものならその度にこういうトゲトゲした態度になってしまいそうだ。

 そんなことになってしまったらさすがの私でも震えることになってしまうからできないよ。


「お、お風呂に入ってください」

「なんで敬語? 入らせてもらうけど」


 それでもこういうことはしっかり言っておかなければならない。

 これが初めてというわけではないから全部教えなくていいのは楽だけど、さすがに自分が泊まっているわけではないから話しかけないなんてことはできないし……。


「あれ? どうして私も洗面所にいるの?」

「そんなの不安だからに決まっているじゃない」

「そっか、じゃあ待ってるね」


 結局、出てくるまでに寝てしまった形となる。

 もしかしたらあれかもしれない、芽衣子とのあれよりも彼女の怖い顔に負けて疲れてしまったのかもしれなかった。




「洲浜先輩――ど、どうしたんですか?」

「同じめいこでもあんたの方がいいわ」

「え? あ、ありがとうございます」


 佐井ちゃんからすればあまりにも唐突なことだった。

 こんなことを言われても私なら固まるしかないところをありがとうございますと返したところはさすがとしか言いようがないけど。

 というか、洲浜さんは佐井ちゃんのことを気に入りすぎだ。

 会う度に頭に触れたり抱きしめたりしているわけだから勘違いというわけでもないだろう。


「あ、めいこさんに会えたってことですか?」

「まあね」

「羨ましいです、僕も会ってみたかった」


 同じ名前として気になるということか。

 佐井ちゃんもちゃんと言えていいなあ。

 でも、気に入っている彼女からすれば気に入らないことかもしれない。

 だって他の子に会いたいとか言われてしまっているからだ。


「崎内さーん」

「佐井ちゃん、洲浜さん、私はちょっとあっちに行くね!」

「ちょっ、逃げないでよー!」


 何故かあれから追われているから休まる時間がない、まだ芽衣子がいたときの方が休まるというものだった。

 溝蒋さんから逃げるために色々なところまで歩いてみたものの、教室まで戻るのが大変だとすぐに分かったから逃げることはやめた。

 教室で大人しくしていれば横には洲浜さんがいてくれるからその方がいい。

 ツッコミ役というか、常識人の洲浜さんであれば止めてくれるだろうから。


「こっちは大丈夫だよ」


 それでもお昼休みはやっぱり出てきてしまった。

 あの教室ではできないことだってできるわけだから悪いことばかりではない。

 それにまたこうしてやり取りをできるようになったからね。


「いつ来てくれるの?」

「夏休みかな、その方がゆっくりできるから」

「え、遠いよ……」

「そう言われても、土日とかに行くと落ち着かないからさ」


 可能であれば一泊二日とかではなくて二泊や三泊したいところだった。

 彼女が私の県に来ていたときは一週間とか泊まったこともあるぐらい。

 お金がかかるからどうしてもそれならとケチくさい自分が存在しているのだ。

 その際は彼女のお家に泊まらせてもらうことになるわけだから上手くいくかどうかは分からないけど。


「貸して」

「え? ああ!」


 携帯を取られてしまったからご飯を食べることにした。

 まだ慣れていない相手にもぺらぺら喋ることができるのはすごいけど、さすがに取り上げるのは違うと思う。

 佐井ちゃんが不思議そうな顔でこちらを見てきていたから「相手は芽衣子だよ」と言ったら興味がありますと言いたげな顔に変わった。

 表情に出やすいというのも可愛い子がすれば可愛いなあと分かった。


「返すわ」

「うん」

「ぼ、僕もお話ししてみたい」

「じゃあ……」


 きっといま頃、慌てていることだろう。

 って、兄相手にもあれだけ普通に話していたわけだからそんなこともないか。


「あ、ありがとう!」

「う、うん」


 耳に当てた瞬間に切られてしまったからポケットにしまって食べることに集中。

 大丈夫、今度は私から行くから切られそうになることもない。

 だからやっぱり私の想像は間違っていなかったことになるわけで、なんとなく当てられてふふんと得意げな気分だった。


「私も行くわ」

「え」


 で、唐突に変なことを言い出すのが彼女でもあった。

 佐井ちゃんは先程のあれで満足して戻ってしまったから止めることもできそうにないから困る。

 普段止めてくれる側の存在がこうなってしまうのが一番大変なことだと言えた。


「暴走したらまたやるわよ、だからあんたを守らなければならないの」

「いいよ、守ってほしくて洲浜さんといるわけではないんだから」

「じゃあどういう風にいてほしいの?」

「そんなの友達としていてほしいに決まっているでしょ」


 またこうして来てくれるようになったけど、残念ながらそこには友達だからとかそういう感情が含まれていない。

 傷つけられそうになっているところを見たから心配になっているというだけ。

 同情とかそういうのから一緒にいるということならやめてほしかった。

 そこまで弱くない、私は彼女と違ってひとりには慣れている。


「……友達だからでしょうが、友達だから心配になるんでしょうが」

「私にとってはあんな危ないことをする洲浜さんの方が心配だよ」


 タックルということは突っ込んだというわけだし、もし芽衣子が冷静に対応できていたらあの時点で切られたか刺されたか、というところだった。

 まあ、私が腕を掴んでいたから大丈夫だと判断したのかもしれないけど、意外と彼女も冷静に対応できるというわけではないみたいだ。


「はあ!? 私がああしなければどうせやられていたくせになに言ってんのよ!」

「いやっ、私だけだったら私らしく回避していたよっ」

「ないわね、あんたにそんなことできるわけがないじゃない」


 腕を掴むことには成功していたのだ。

 掴んだまま立ち上がって押さえつけてしまえばそれも不可能ではなかった。

 追い詰めてしまったのなら云々と考えた私だったものの、本気で傷つけられそうになったのなら本気で自分を守るために動いていたはずで。


「あんなことされていたのにあんな顔をしていたあんたができるわけないじゃない」

「あんな顔って?」

「焦りや怒り、少なくともそういう感情は出ていなかったわ」


 どうして、何故、そんなことを考えていた後に悲しくなったから仕方がない。

 多分、人よりも抑えることができないからそれはもう分かりやすかったはずだ。


「実際、なんか物凄く悲しくなったんだよね」

「なんでそこで悲しくなるのよ」

「分からない、だけどあの瞬間は涙が出そうなぐらいだったよ」


 深呼吸をしてからお弁当箱に意識を向ける。

 食べ始める前よりも減ったそれを見て、多分芽衣子とのそれもこんな感じだったのではないかと想像してみた。

 話す度に、会う度になにかが増えるのではなく減ってしまっていた。


「私が悪い、とか考えてない?」

「私に原因があったんだよ」

「はぁ、あんたがそんな考えを続けるなら絶対に付いていくわ」

「それはいいけどさ」


 残りを食べ終え、少し足を伸ばして休憩する。

 隣を見てみたら「なによ?」と言われてしまったから見たかっただけと答えた。

 できることなら佐井ちゃんといてあげてほしいとも言ってみたら、


「求められているわけじゃないからね」


 と、つまらなさそうな顔で言った。

 確かにあの子は絶対に来るというわけではないから不安になってしまうか。

 でも、私と話しているときとは違って楽しそうだから気にしなくていいと思う。

 一緒にいたいならちょっとずるいけど先輩特権として付き合ってもらうのもありかもしれない。


「よしよし」

「は?」

「大丈夫だよ、心配しなくても佐井ちゃんなら優しく対応してくれるよ」


 怖い顔をしていても帰ろうとしないから面白い子だった。

 そうやって強がっているだけのようにも見える。

 本当のところはこの前の芽衣子みたいに弱々なのかもしれない。


「そろそろ戻ろっか」

「やっとね」


 少し勇気を出して手を握ってみたら意外にも文句を言われなかった。

 よし、今日から私は彼女の姉として過ごしていこう。

 来てくれたときだけ付き合うのではなく、自分からどんどん近づいて変えていく。

 待っているだけでは変わらないと痛いほど分かったから。


「どういうつもり?」

「仲良くしたい」

「ふーん」


 いまここに溝蒋さんがいたらどう言ってくるだろうか?

 仲良くしたいという気持ちが伝わってこない、そう言われるだろうか?

 今回ばかりはよくやったと褒めてくれそうな感じもするけど、あの子のことだからそれでも言ってきそうだなんて想像してみたりもした。


「私は明衣子の方がいいわ」

「そりゃそうだよ、佐井ちゃんに勝ててるなんて思っていないしね」

「それなのにこれは続けんの?」

「まあ、これぐらいは許してよ」

「はぁ、別に損するわけでもないからいいけど」


 それでも迷惑をかけないために自分達の教室のある階に移動したタイミングで離しておいた。

 彼女はすぐに切り替えてくれるからいい、というか、いつだって彼女らしくいてくれるからそういうことにも触れないでくれるからありがたかった。

 そこからはあくまでいつも通りで特になにかがあったというわけではない。

 私は放課後暇なのをいいことにまたあのベンチに座ってゆっくりしていた。


「好きねここ、あっちのめいことの思い出の場所なの?」

「ここで一緒に過ごしたことがあるというだけだよ」

「その割には気に入りすぎでしょ」


 それはそう発言している彼女もそうだ。

 あまりに急に変わりすぎている。

 こういうときにこそ溝蒋さんがいてくれればいいのにそうではないから困る……。


「この公園の静かな感じや、空を見ると毎回綺麗なのが好きなんだ」

「いやいや、青空ばっかりというわけでもないでしょ」

「違う、気分がいいときに見れば天候なんて関係ないんだよ」


 ただ、ここにいるとまた不意に芽衣子が現れるんじゃないかとそわそわする。

 でも、今度会うときは私が行ったときだからそんなことありえないんだけど。

 彼女も行くとか言い出したから本当に不思議なことばかりだ。

 私がもっとしっかりしておけばこんなことにもならなかったのにと、少し後悔している自分がいるのも確かだった。

 だから今日はそんなに綺麗には見えなかったものの、彼女越しに見るとよく見えるという単純なところが出て苦笑する。


「私、秋葉の声が好きなんだ」

「は? なに呼び捨てにしてんの?」

「まあまあ、それにそんな冷たい声音でも結局可愛いから意味ないんだよね」


 それこそ芽衣子が不機嫌なときに出す低いやつじゃないと迫力が足りない。

 あ、なんであのときは通常状態だったのだろうかといまさら気になっていた。

 本人が言うように本気でしようとは考えていなかったということなの?


「可愛いって曖昧ね、どう可愛いのよ?」

「高いんだけど甲高くないところがいいよね」

「それどこが可愛いの? と聞かれたことに対しての説明じゃないでしょ」

「あと、ちょっと低いところもあるんだけどそれがまた絶妙でねー」


 あ、なんだこいつ……という顔で見られている。

 たまには笑顔を見せてほしいという感想を抱いたけど、残念ながら言ったところでそうできるものでもないからいまは諦めることしかできなかった。

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