12

 アルの心の声を聞いただけでは場所さえ分からない。分かるのはアルを喰った川の辺り。アルは川の上流から流されて来て、僕が拾った。虫の息だったアルは僕に身を捧げた。


 アルは川に流されながら、体をぶつけて酷く傷めていた。血が流れ、骨が折れ、赤黒く腫れ上がっている。しかも病魔に冒されていて、治る見込みはないと判断した。


 喰ったのは、喰うことでしか救うことが出来なかったからだ。


「アルは僕に面倒事を押し付ける」


 喰らった場所に戻り、上流へと視線を向ける。


 ここが東の大河であったのなら、ユリウスとは無関係でいられたのに。


 現在地はユリウスの国の南西になるが、川の上流へ向かえば、ユリウスの国に入ってしまう。アルを捨てた人が遠くからやって来ていれば良いのにと思うけど。


 旦那様——アルの記憶にある言葉。記憶にある香り、音、そして痛み。


 それらに耳を傾けながら進んで行く。


 アルは奴隷だった。奴隷から身受けをされ、売られた子供だ。アルの首には奴隷を隷属させる首輪があり、紋が焼印として胸に刻まれていた。紋は籠の中の黒揚羽蝶。


 川沿いの街に行き、街道を眺める。

 奴隷を乗せた馬車は見た感じで何となくわかる。わかると思っていただけなのに、多くの馬車に黒揚羽蝶の紋が記されていて——嫌な気持ちにさせられる。


 ユリウスの胸にも籠入りの黒揚羽蝶の焼印があった。紋が嫌で無意識に掻きむしるのだろう。ユリウスの胸は傷跡が膿んで爛れていた。


 ユリウスの胸の紋を見た時から、アルとの繋がりを予感したけど、それは単に奴隷という意味だと思ったんだ。それなのに家紋も同じなんて——最悪だ。


「あれぜんぶ消しても良い?」


 救いに思っているのは、ユリウスの制服の胸に家紋を示すピンバッジが無かったこと。それが意味するのは、ユリウスの家への反意だと思う。


 アルを買ったのは誰だろう? 見れば身の内の心が反応する。


 警備の行き届いた門の前を通る。中には馬車がいっぱい停まっている。ローデンシュタイン侯の屋敷は棟が四つに分かれている。十字に庭があり、四つの棟には役割がある。


 家族が住まう棟や仕事や軍関係はどうでも良い。地下だ。地下に奴隷が繋がれている。


 ああ、そうだな。

 僕が買われてみれば良いのか。


 屋敷の地下に潜り込むなど容易いこと。

 奴隷のひとりを眠らせて、衣服を交換する。首の奴隷枷を付け替える。効力は消えてしまうけど、見目でバレたりはしない。


 他の奴隷たちは薬を飲まされているのか、目が虚で動きが鈍く、無意味な声を出している。それでも身なりは整えられている。性的な魅力を見せつけるような、薄い生地の服。下着も何も無く、体の殆どの部分が透けている。


 廊下の先から高級な香水の香りが流れて来て、鼻が潰れてしまいそうだ。


 一人ずつ連れて行かれてる。連れて行かれて戻って来ない。連れて行かれるたびに歓声が聞こえて来て、男の張り上げた声がする。


 奴隷オークション。

 僕の中のアルが怯えている。アルもここに来たことがあるのだろう。ここで旦那様に買われた。きっと高級品ではなく、劣化品の安値で。


 僕はいったい幾らになる?

 見目はアルと同じだけど、髪と虹彩は僕の色だ。人には珍しい赤。お披露目とは別の者になっていると驚かれるか、捕らえられるか。


 考えるだけでゾクゾクする。人とは分かりやすく、哀れな生き物だ。


 部屋に入って来た男に無理矢理引き摺られ、歩かされる。両脇を抱えられ、ほぼ足が浮いた状態になっている。うーうーあーあー言ってみる。視線は下げて見つからないようにしながら、辺りを探る。


 赤い絨毯の先は光に溢れていて、光の中に入って行くと、歓声に包まれた。目が眩む。僕に向かって光が当てられている。


 値が釣り上がって行く。

 僕にお金の概念が薄いから良くわからないけど、今回一番の高値だと騒いでいる。札を上げているのはふたり。


 壇上に上がって来て、間近で僕を観察している。目の色、髪、肌、唇の感触をたどり、視姦されている。


「——おまえは……いや、ちがう」


 小さな呟きを聞き逃さなかった。

 舞台のふたりではない。観客のうちのひとりだ。視線を向ける。思わず笑んでしまった。身の内の意識が震えている。正解だ。


 僕は黒い燕尾服とカラスの羽根の仮面を付けた男に落札された。

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