18 運命を認めましょう
〇
向かいから走って来た(少なくとも見た目は)幼女もといメルヘントリックスターを捕獲した。
俺は、捕獲したメルヘントリックスターの両脇に手を差し込んで持ち上げ、視線の高さを合わせる。
メルヘントリックスターは、手足をバタつかせながら、大きく目を見開いて俺を見ていた。そして叫ぶ。
「んごっ!? ぃぅんっ! あんおぃうぃぉぃうててぃえぁぉあほぁんえ!!?」
クレープを口に咥えたまま喋ろうとするせいで、クリームとかパンクズが飛んでくる。
汚い。普通に汚い。
俺が顔をしかめてこの幼女(?)の扱いに困っていると、息を切らしながらおじさんが駆け寄って来た。
暴れ出す幼女(?)。
「ちょ、こら! 静かにしなさい!」
メルヘントリックスターは手も使わず器用にクレープを口の中に収めて嚥下すると、口の周りをクリームでべとべとにしながら喚く。
「なにすんねん自分! あんときはウチを置いて逃げたくせになんで今はウチが逃げるの邪魔すんねん! ワザとやってんか!? あんなぁ! 自分ええ男になりたかったらレディファーストを心掛けんかい! そんなやったらコウキとの結婚認められへんで!」
なぜメルヘントリックスターがコウキのことを知っているのか。
つーか結婚って色々話が飛躍し過ぎだろ……。全然状況に着いていけない。
しかしまさか例の占いの手がかりが向こうから勝手に飛び込んでくるとはな……。
占いによると、俺はメルヘントリックスターのハートを奪えばいいらしいのだが。
ひたすら喚き続けるメルヘントリックスターの声を聞き流していると、おじさんが肩を上下させながら俺に言う。
「君はこの子の知り合いかい?」
「違います。差し上げましょうか?」
俺がメルヘントリックスターをおじさんに渡そうとすると、メルヘントリックスターは急に焦り始める。
「いやいやウチら知り合いやん! もう知り合いやろ!? 勝手に捕まえといて無責任にほかそうとすんのはちゃうて! あかんて!」
「いやでも食い逃げしたんですよね?」
「ちゃうて! 食い逃げちゃう! サイフ忘れたから取りに帰ろうとしとっただけやん! ウチはすぐ戻るゆーてんのにこのおっちゃんが追いかけて来たんや!」
「そうなんですか?」
俺はおじさんを見る。
「いや、ウチのクレープを受け取った途端に逃げたから追いかけたんだよ」とおじさん。
「…………」
メルヘントリックスターが俺から目を逸らす。
「やっぱり差し上げます。煮るなり焼くなり」
「まちぃ! じょーだんや! じょーだんやって! でもサイフを忘れてしもたのはホンマなんや! つい逃げたのも、その、あれや。お茶目や! だから自分、奢ってくれ」
なんて図々しい幼女だ。あとサイフを忘れたから食い逃げしようと思い至る発想がヤバい。確実にお茶目じゃ済まない。
「いくら?」
「おっちゃんいくらやっけ?」と、純粋な瞳のメルヘントリックスター。
おじさんの額に青筋が浮かぶ。
もう殴っていいんじゃないかな? 見た目幼女とか関係ないだろこれ。
しかしそこは大人なおじさん。落ち着いた声で言う。
「八百九十円だ」
結構するな……。まぁ俺の手持ちに余裕はあるけどさ。
「なぁ、たのむて。奢ってくれたらほっぺにちゅうくらいしたるから」
ほっぺにちゅう。これが例のハートか……? 絶対違う気がするけど。
「ウチみたいな美少女のちゅうが千円以下とか破格やで! あ、でも、コウキに怒られるかもな……」
「……まぁ、分かりました。ひとまず俺が出します。話はそのあとで」
「おぉっ! 流石やなぁ! やっぱ男は甲斐性やで!」
そして、調子の良いこと言っている幼女を担ぎながら、おじさんのあとに続いてクレープ屋へ向かう。
おじさんが経営しているというクレープ屋は視線の先にすぐに見えて、それを見た時、隣にいた千花が「あっ」と声を上げた。
「先輩、思い出しました」
「何が?」
「ほら、例の占いでわたしが言われた『忘れていた何か』ってやつです。あのクレープ屋さん、最近できたばっかりのお店で、美味しいってよく聞くので、ずっと食べてみようと思ってたんですよ。ようやく思い出しました。先輩奢ってください」
「……クレープ食いたいからてきとうなこと言ってない?」
「そんなことないですよー、それにどの道、先輩には何か奢ってもらう予定だったんですし、いいですよね?」
「いやまぁいいけどさ」
しかし、こうなると本当に占いが当たってしまったということになる。
もちろん千花のこれだけなら偶然で済ますところだが、セナがああ言った上での、これだ。
だとすると、やっぱりあの占いはホンモノなのか……。
いやでもまさか、そんな都合の良い魔法みたいなことが……。
でも仮にそうなのだとすれば、ここに俺の悩みを解決する手立てがあるはずだ。最近の光希が可愛すぎてどうにかなってしまいそうという俺の悩みが……。
と、あれこれ頭の中で考えていると、俺の肩に担がれていたメルヘントリックスターが声を上げた。
「自分ら、もしかして付きおうとんの?」
「違いますよ? なんならわたしはさっき先輩にフラれました」と、半目で俺をにらむ千花。
「なんやそうなんか。いや、よかったわぁ。もしせやったらコウキが泣いてまうからな。しかしあれか、嬢ちゃん失恋したんか、そらあれやな、悲しいな」
「んー、失恋っていうほどのものでもないんですけどね」
「なんやったらウチがその内、自分に素敵な恋を運んだるわ」
「え、ほんとですか?」
「あぁほんまや。ウチはこれでも恋愛に関してはエキスパートやからな。かつては『メルヘントリックスター』と呼ばれとったくらいや」
「あ、その名前知ってますよー」
「お、ほんまか? やっぱあれやな。ウチくらいになると卒業して二十年経っても話題になるもんなんやな」
「そうなんですかねー。そういえばあなたのこと、なんて呼んだらいいですか?」
「せやな、ウチのことはセアちゃん♡って呼んでくれ」
「分かりました。セアちゃんですねー」
なんで千花はこの濃すぎる幼女(幼女じゃない)と普通に会話できてるの?
「あの、結局あんたは光希の何なんです?」
「あー、ウチはあれや。コウキの保護者みたいなもんや」
そんな訳ないだろ。こんな意味不明のロリババアの話なんか聞いたことないぞ。
〇
メルヘントリックスターことセアちゃんと、可愛い後輩千花の分のクレープの代金を払った。
予想外の出費。
「先輩ありがとうございます! 先輩はいいんですか?」
「甘いものあんまり好きじゃないんだよな」
「あぁ、そうでしたね。んー、でもなんかわたしだけ食べるのも申し訳ないですね」
そう言いながらも、千花は一切俺を気にした様子なく幸せそうにクレープに噛り付いていた。
クレープ屋から少し離れた通りの端っこに突っ立っている俺たち。
さて、これからセアちゃんに聞きたいことがいくつかあるんだが、近くにある公園にでも行くか?
俺はそのことを提案しようとセアちゃんを見下したのだが、そこで、彼女の様子がおかしくなっていることに気が付く。
ドレスの横ポケットに手を突っ込んでいるセアちゃん。
「あっ」と声をもらすセアちゃん。
少しだけ青い顔になって、冷や汗を流すセアちゃん。
俺は察した。
「さてはサイフあったな?」
「あ、やっぱわかってまう?」
少し気まずそうに照れ笑いするセアちゃん。
これだけ見ると可愛らしい幼女の笑顔だが、彼女の中身をもう知ってしまったので、純粋な気持ちでは見れない。
「お金返してください」
「わかった、わかったって。まったくあれやな、最近の若者は金にがめついというか何というか……年上に対する尊敬が無いというか……」
ポケットに手を突っ込みながらブツブツ文句を言っているセアちゃんのこめかみを、みさえリスペクトでゴリゴリしてやろうかと迷う俺。
俺の殺気を察知したのか、セアちゃんはピクリと肩を震わせ、満面の笑みでこちらを見上げる。
「いやー、すまんなぁ。いつもと逆のポッケ入れとったからすっかり――」
そう言って、千花ちゃんがポケットからがま口サイフを抜き取る瞬間、別の何かも一緒になってこぼれ落ちた。
地面の上に転がったソレは、直径五センチほどのハート型の石だった。
ちょっと隕石っぽい。
石の表面に、サインペンで書かれた『姫』という字が見えた。
刹那、俺に電撃が走る。蘇る占いの言葉。
『メルヘンで悪戯好きのお星さまからハートを奪い、運命を認めましょう。さすればあなたの悩みは解決されます』
これだ。これで俺の悩みが、解決する。
俺はハートの石を拾い上げる。それに気付くセアちゃん。
「あ、自分それは」
「もらってもいいですか? これ」
「あ、あかん、それは、なんというか、めっちゃ大事なヤツでなくしたらマズイんや」
つまり、貰える訳ではない、と。……奪うしかない訳だ。占いの通りに。
俺は逃げた。
「ちょぉっ!? 自分アホなん!? まちぃ!」
〇
セアちゃんから逃げる俺。背後から叫び声が聞こえる。
「こらまてアホウ! あんなぁ自分! 知っとるか!? 人のもの取ったらあかんねんで!? それ泥棒ゆーねんで!?」
その通りである。いくら相手が食い逃げロリババアとは言え、窃盗は窃盗だ。
我ながら何をやっているのか分からない。完全に勢いだった。
その場の勢いに身を任せてしまった。人生ノリと勢いだ。
やはり俺もあの天然夫婦の息子だったということか。
もうここまで来たら最後までやるしかない。
例の占いの結果が得られるまで、借してもらおう。
このハート型の石が何の役に立つかは知らないが……。
にしても、これを持っていると妙に懐かしい感じがする。
「すみません! あとでちゃんと返しますから!」
「そういう問題ちゃうわドアホォッ!」
商店街のど真ん中を通って人の波を掻い潜りながら追いかけっこする俺とセアちゃん。
周囲の人たちが「なんだなんだ?」とばかりにざわつきながら俺たちに視線を向けている。注目の的というやつだ。
その時、視界の先に、見覚えのある顔が見えた。
あれは、『風紀委員会の狂犬(俺が名付けた)』、カナタちゃんだ。隣には白花ネームドの一人、白花の風紀委員長にして『妖艶風紀乱し』こと一ノ瀬先輩もいる。
商店街で放課後デート中だろうか。
一早く俺の存在に気付いたカナタちゃんは、その場の空気から俺が悪者であると察したのか、それとも無条件に俺を敵と見なしているのか、淀みない動作で腰の警棒を抜き放つつと俺に向けた。
「きさまぁ! ここで会ったが百年目! このカナタが成敗してくれるわ! 覚悟しろ!」
もう面白過ぎるだろこの子。顔はめちゃくちゃ怖いけど。
正面には警棒を構えた狂犬、背後にはロリババア。
二人に前後を挟まれた俺は、すぐ横にあった細い脇道へと逸れる。
その際、横目にだが、慌てて俺を追い駆けようとしてすっ転びパンチラをかましている一ノ瀬先輩が見えた。
流石と言わざるを得ない。
〇
ひと気の少ない裏通りをどんどん進んで、何度か適当に角を曲がりながら追っ手を撒く。
どこかで「逃げる気かケダモノ! この臆病者めぇ!」と叫んでいるカナタちゃんの声が聞こえた。
薄暗く細い道をいくつか抜けると、閑静な住宅街に辿り着いた。
静かな雰囲気で、周囲に人の影はない。
ふと空を見上げると、夕焼け色もだんだん薄れて、夜に入りかけているところだった。
一番星が、遠くの空で光っていた。
昔のことを思い出す。夕方と夜の境目、西の空に見える一番星の正体は、金星であるらしい。俺にそれを教えてくれたのは、姫ちゃんだった。
姫ちゃんは、星が好きだった。小さい頃、周りによく揶揄われていた俺の名前を、『星野王子』という名前を、彼女だけは大好きだと言ってくれた。
とても素敵な名前だと心から褒めてくれた。
そんな彼女に、俺は救われていたのだ。
俺の捻くれこじらせ具合がこの程度で収まっているのは、彼女のお陰とも言える。
彼女は今、何をしているのだろうか。
俺のことを「王子くん、王子くん」と元気に呼んでくれて、泣き虫で、笑顔が可愛くて、俺と気が合って、一緒にいるととても楽しい、あの素敵な女の子は今、どこに――。
その時、泣き声が聞こえた。
その声を聞かなければ、きっと見逃してしまったと思えるくらい小さくて寂れた公園から、それは聞こえた。錆びついたブランコが二つと、ちっぽけなすべり台。それだけの公園。
そのブランコに座っている長い影があった。とても大きい影なのに、それはなぜか、俺の目には酷く小さく映った。
俺はその人影の側に近寄って、声をかける。いつかのように。
「泣かないで」、と。
するとこんな返事があった。
「王子くんのせいでしょ、ばかぁ……」
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