17 恋は盲目


 〇



 白花高校の最寄り駅付近には、そこそこ大きな商店街がある。

 平日の放課後は、ここに白花の制服が多く見られる。


 千花の占いに出た商店街というのも、普通に考えてこれを表しているのだと思われる。


 千花と一緒に商店街にやって来て、辺りを見渡すと、白花の生徒たちや買い物に来た主婦たち、フラフラしているご老人などなどが視界に入った。


 特に当てもなく千花と歩いて、雑貨屋を冷やかしたり、アパレルショップに立ち寄ったりと時間を潰す。


 通りを歩きながらスマホで現在の時刻を確認していると、背伸びした千花が画面を覗き込んできた。

 そして「うわぁー……」と引いたように、むしろ感心したように呟く。


「彼女でもないのにこれは……、いや彼女でもあれですけど」


 千花が言っているのは、ロック画面に表示されている光希からのラインについてだ。

 光希が送ってきたメッセージが六十件くらい溜まっているのが分かる。


「いや彼女もなにも、あいつは男だって……」


「えい」


千花が勝手に画面にタップしてメッセージの中身を確認しようとしたので、彼女の手が届かない位置にスマホを持ち上げる。むくれる千花。


「いいじゃないですかぁ。見せてくださいよ。あの光希先輩がどんなめんどくさいライン送ってるのか気になります」


「やだよ」


 しつこく手を伸ばしてくる千花の手をはたき落としていると、握っているスマホに着信が入った。バイブレーションしながら流れるメロディ。


「…………」


「光希先輩からですか」


「……あぁ」


 しばらく無視していると、着信が止まる。


「でないんですか?」


「今でてもな……」


 出たらまず今どこにいるか聞かれるし、俺が一人かどうかも聞かれると思う。

 一人でいるとウソを吐くのも違うし、千花と二人でいると言っても絶対面倒なことになる。

 つまり正解は沈黙だ。


 いや、でももう白雪が光希にそのこと伝えている可能性もあるのか。

 なんにせよ、今はまだ光希の気持ちを受け止めきれる気がしないのだ。

 もう少し考える時間をください。


 俺はスマホをポケットにしまう。


「あの、先輩は光希先輩と付き合ったりする気はないんですよね」


「あぁ、ない」


「それは何でですか? 光希先輩が男だからですか?」


「それもあるけど……、もう俺は好きな子がいるんだよ」


「そうなんですか!?」


 目を見開いて驚く千花。


「あぁ」


「え、わたしですか?」


「なんでだよ」


 いやまぁ俺も千花に恋心を持たれてるかもと勘違いしたけどさ。よう口に出すなこいつ。


「だってわたしみたいな可愛い後輩がずっと側にいるんですから、普通に好きになっちゃいません?」


「お前のその自信はどこから来んの?」


「先輩がそれ言います?」


「……うーむ、確かに」


 俺、自分に自信しか持ってないしな。

 しかしそうは言っても、弁えるべきところはしっかり弁えている。そういうできる男なのだ俺は。……こういうところか。


「え、気になります。白花の子ですか?」


「いや違う」


「じゃあ同じ中学の子ですか? ならわたしも知ってますかね」


「いや違う、何なら同じ小学校でもないし、今どこにいるかも知らないし、連絡も取ってない」


「えぇ……、ちなみにその子と最後に会ったのはいつなんですか?」


「七年前かな」


「うわぁ…………」


 「わたしドン引きしてます」という気持ちが分かりやすく顔に出ている千花。


「それ、ほんとにまだ好きなんですか?」


「もちろんだ」


「でも、連絡先も知らないんですよね」


「俺と彼女はいずれ再会する運命にある」


「……本気で言ってます?」


「もちろんだ」


「いや、もうなんかすごいですね。普通に気持ち悪いです」


 ほんと素直だなこいつ。いっそ清々しいわ。


「でもじゃあそういう人がいるんなら、光希先輩にそう言えばいいじゃないですか。無視したり逃げたりするのは、光希先輩が可哀そうです。先輩がそうハッキリ断れば、流石に諦めてくれるんじゃないですか?」


「言ってるよ。俺に好きな人がいるってことも、光希と付き合う気がないってことも、ちゃんとハッキリ」


「あ、そうなんですか?」


「おう」


「それでもアレなんですか?」


「あぁ……」


「はー、すごいですね。よく挫けないですね、光希先輩」


 そうなんだよな。

 それに、ずっと前から好きな人が他にいるから、というようなことを俺が言った時、光希が変な表情を浮かべていたのが未だに気になっている。


 悲しそうな、悔しそうな、苦しそうな、そして嬉しそうな顔にも見えたのだ。

 そういう複雑な表情だった。


 嬉しそうな顔に見えたのはたぶん俺の気のせいだと思うんだけど、それでも妙に引っかかる。

 そしてよくよく思い直せば、俺はそれと似たようなことをこの十日間で何度か言っているのだが、不思議と光希は俺にそれ以上のことを尋ねてこない。

 今の千花みたいに、俺の好きな相手が誰なのか、気にならないのだろうか。


 なんだろうか。何かが腑に落ちない。とても大事な何かを見逃している気がする。


「あの、先輩」


「なに」


「わたしが先輩の彼女になってあげましょうか?」


「急にどうした」


「いや、だからわたしたち付き合いませんか? っていうお誘いです」


「俺に好きな人がいるって話聞いてた?」


 マジで急に何なんだ。こいつやっぱ俺のこと好きなの?


「まぁそれは知ってますけど、その子とは連絡も取ってないし、いつ会えるかも分かんないんですよね。じゃあ別によくないですか? わたしも今カレシいなくて寂しいですし、流石に先輩に彼女ができれば光希先輩も諦めざるを得ないですし、ほら、良いこと尽くしじゃないですか」


「千花お前俺のこと好きなの?」


「好きですよ? そこそこ」


「そこそこ、ね」


「はい、そこそこ」


 そう言って、千花はにっこり明るく笑う。たぶんそれは、彼女の本心なのだろう。


「なるほど、断る」


「……即答ですね」


 ムッとした顔になって、俺を見つめる千花。

 しかしすぐに笑顔を作ると、俺の腕に抱き着いてきた。

 やわらかいものが押し付けられる。ぎゅうと俺の腕を抱え込み、上目遣いをしながら悪戯っぽく微笑む。


 その時、どこかで誰かが俺の名前を呼んだ気がした。

 声が聞こえた背後に振り返ろうとすると、千花が俺の耳を引っ掴んで、自分の方に向ける。痛い痛い。


「どこ見てるんですか全く……。あの、今の状況分かってるんですか? こんなに可愛い後輩が、先輩の彼女になってあげるって言ってるんですよ?」


「……いや、色々軽いんだよお前は」


「んー……。まー、そうかもですね。でもわたし思うんですけど、たぶんこれくらいの軽い感じの方が上手く行くんですよ、恋人の関係って。真面目なゆきちゃんはなんか色々言ってましたけど、正直ああいうのって重いですよね」


「見解の相違だな」


「……む、何がです?」


「別に千花の考え方は否定しないが、俺は違う。俺は、恋人ってやつは、お互いがお互いにとっての理想で、真剣に互いのことを想い合っている二人こそがなるべき者だと思ってる。運命の相手ってやつだ」


「いやー、重いですって」


「重くて結構。恋は盲目なんだ。恋ってのは、恋した時から相手のことしか見えなくなるような、そういうものなんだよ。だからまぁ、光希のあれは確かに重いんだけど、仕方ないことだとも、思う……。俺がそれに応えるかどうかは別問題だが」


 一体俺は何を語っているんだろう。恥ずかしい。

 だが、本心だ。

 だから、俺は幼い頃に出会って別れてしまった彼女のことが今も忘れられないでいるのだ。こんなにも可愛い後輩に言い寄られても、靡かないくらいには、彼女に盲目になったままだ。


 隣を見ると、千花が口に大量の粉砂糖を詰め込まれたような顔をしていた。

 そして不意に俺から離れて、「あーっ」と叫びながら大きく伸びをした。

 豊かな胸部がブラウスを押し上げている。無意識に視線が奪われる。


 ちなみに今の今まで押し付けられていたおっぱいも気になってしょうがなかった。

 必死にクールを装ってたけど。

 男ってホント単純だわ。これだけはどうしようもない。ごめん姫ちゃん……。


 千花が拗ねたように、呆れたように言う。


「あー、はいはい分かりました。負けです。わたしの負けです。もうさっさと光希先輩とくっついてくださいよ」


「いやだから、俺は光希とは……」


 その時、正面の少し先のあたりがにわかに騒がしくなった。

 ザワザワと喧騒が広がって、一人の小さな女の子がこちらに向かって走って来る。

 黒髪のおかっぱの、日本人形のような、派手な洋風ドレスに身を包んだ幼女。いつか見た顔だ。


 幼女(?)は、何かを口に咥えて走っていた。あれはクレープか? その後ろから、中年くらいのエプロンをつけたおじさんが走って来る。


 おじさんが叫ぶ。


「その子食い逃げ! 誰か捕まえて!」


 捕獲した。



 ●



「王子くんのばかぁ……」


 心の叫びが喉を通って口から漏れた。


 今の私が何をしているのかと言うと、こっそり王子くんの様子を観察している。

 人によってはストーキングと言うかもしれないが、そこまでのことではない。

 ちょっと気になって、遠くから様子を見ているだけだ。

 

 十分ほど前、白雪ちゃんから王子くんと千花ちゃんが商店街へデートに行ったという情報を受け取った私は、慌てて学校を出て商店街の方面へ向かった。

 ちなみにその時の私はまだ校内で王子くんのことを捜していた。バカだ。


 夕刻現在、私の視線の先では、王子くんと千花ちゃんが仲良さそうに並んで歩いている。

 それを私は、物陰に隠れたりしながら観察しているという訳だ。


 この上なく心を抉られる光景である。

 千花ちゃんが私に協力してくれるみたいな話を白雪ちゃんから聞いたんだけど、あれは何だったのか。


 もしかすると、千花ちゃんなりの策略だったのかもしれない。

 きっと、千花ちゃんも王子くんのことが好きだから、ライバルである私を油断させようとしたのだ。


「うぅぅ、うぅ……」


 それにしても、楽しそうである。

 二人の間の距離が近いし、千花ちゃんから王子くんへのボディタッチが目立つ。

 積極的だなぁ……。


 千花ちゃんが王子くんに触れる度に、胸がナイフで抉られるようである。

 今すぐ飛び出して邪魔したいけど、まだ彼女じゃない私がそんなことするのもなんか違う気がするし……、学校の外までわざわざ二人のあとをつけて来たなんて知られて、重い子って思われるのもイヤだし……。


 あぁぁぁ、辛い、辛いよ。

 楽しそうな二人を見てるのが辛いのに、見てないと不安で仕方ない。

 ちょっと前まで、王子くんの隣にいたのは私だったのに……。


 王子くんもバカだ。

 ずっと昔に心に決めた人がいるからって言って、私の告白を断ったのに、千花ちゃんとデートするなんて……。

 あぁもう! 

 王子くんの好きな人は絶対私なのに……っ、なんでこんな思いをしなきゃいけないの!?


 王子くんのバカ。

 まだちゃんと好きでいてくれてるなら、早く本当の私に気付いてくれてもいいのに。こんなにアピールしてるのに。今の私を受け入れてくれてもいいのに。


 その時、視線の先で笑い合っている二人を見て、嫌な思考をしてしまった。


 ずっと昔に心に決めた人がいると言っているのは私の告白を断るための建前で、実はもう、彼の気持ちは千花ちゃんに傾いてしまっているのではないか……?


 そんな、まさか。


 だが、一度その思考の沼に片足を入れてしまうと、ズブズブと深みにはまって行く。

 暗雲のような不安が重苦しく私の心を覆う。


 いやだ。そんなのいやだ。絶対にイヤだ。


 そんな私の不安を助長させるように、視線の先の二人がイチャつき始める。

 千花ちゃんが背伸びして手を伸ばして、王子くんと手を触り合ったりしてる。


 何をしてるのか分からないけど、絶対イチャついてる……!


 ついに耐え切れなくなった私はスマホを取り出して、王子くんに電話をかけた。

 卑怯だけど、自分でも卑怯だと思うけど、でももう我慢できない。


 王子くんは固まって、しばらくスマホを眺めていたが、結局応答してくれなかった。

 私のスマホには、王子くんとのラインの画面が映っているが、今日の放課後になってから私が送ったメッセージは一つも既読になっていない。

 無視されているのだ。


 ……そりゃ、私もちょっとはしつこかったかもしれないけど、何も無視はしなくてもいいんじゃないだろうか。


 酷いよ王子くん。喉の奥から何かが込み上げる。泣きそうだ。


 そのあとの王子くんと千花ちゃんは立ち止まってその場で何かを話していた。

 どことなく真面目な雰囲気だった。何話しているんだろう。

 まるで、告白でもするような……。


 と思った次の瞬間、千花ちゃんが満面の笑みを浮かべて王子くんの腕に抱き着いた。

 彼女の大きな胸が、思いっきり彼に押し付けられている。


 瞬間、理解してしまった。


 二人はたった今結ばれて、恋人になったのだ。

 じゃなきゃ、あんな大胆にくっついたりしない。

 高校生の女の子が、自分のおっぱいを、恋人でもない人に押し付ける訳がない。


 きっと私は明日にでも二人から「わたしたち、俺たち、恋人になりました♡」という報告を聞かされるのだ。

 毎日のように惚気話を聞かされ色々見せつけられて、不幸のどん底に落ちた私はヤケになり例の王子くんと私(男)のBL同人誌に心の安定を求め毎朝毎晩読みふけって妄想の海に沈み逃げ込み堕落に堕落を重ね紳士とも淑女ともつかぬ何者かに成り下がりながら「男の人は男の人同士で、女の子は女の子同士で恋愛すべきだと思うの!」と周囲に喧伝しながら走り回って暴れ回った挙句に逮捕され刑務所の中でひとり寂しい余生を送るのだ。


「王子くんのばかぁぁぁぁああっ!」


 もう見てられない。私はくるりと踵を返すと、王子くんから逃げるように駆けだした。


 涙が止まらなかった。


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