15 オカ研の花子さん

 〇



 光希の告白を受けてから十日が過ぎた。


「セナさん助けてください、光希が可愛すぎる」


「随分と面白いことになってるようだね」


 女装した光希から逃げ出して、旧校舎の屋上に避難した俺は、毎度の如く給水塔の縁でタバコを吸っていたセナに助けを求めた。

 こいつに助けを求めるのは屈辱でしかないが、まともに頼れそうなのがこいつしかいない。


 愉快であるのを隠そうともせずくつくつと笑っているセナを張り倒したくなる気持ちを押さえ込んで、はしごを登り、彼の隣に座ろうとした時、ガチャリと屋上の扉が開く音がした。

 慌てて俺は足を上げて、寝そべるような体勢になる。


 これで下からは見えないはず……。


 息を潜める俺。近づいて来る足音。


「あ、セナさん」


「やぁ光希くん、どうしたんだい?」


「すみません、王子くんがここに来ませんでした?」


 セナが横目で俺を見る。必死に首を横に振る俺。吹き出すセナ。決めたこいつ張り倒す。


「いや、見てないね。どうかしたのかい?」


 俺が手を振り上げかけた時、セナがそう言った。俺は手を降ろす。


「いえ、その、えへへ、王子くんにこの服見てもらおうと思って……。でも、まだ校内にはいると思うんですけど、見つからなくて」


「ほー、そうかい。しかし随分と似合っているね、可愛いよ」


「そうですか? 王子くんも可愛いって言ってくれるかなぁ……」


「言ってくれるさ、いかにも少年が好みそうな衣装だ」


 セナが俺を横目にしてニヤけながら言う。やっぱり張り倒そうかな。


「そ、そうですかね……? そうだと、いいなぁ……」


 俺がセナを張り倒そうかどうか悩んでいると、


「じゃあボクは王子くんを探してきます。セナさん、ありがとうございました」


「あぁ、ではまた」


 そして、また屋上の扉が開閉する音が聞こえる。

 安堵の息を漏らす俺。


 セナが、さりげなく光希に見えないよう隠していたタバコをまた口に咥えた。

 少し吸って、携帯灰皿に灰を落としながら煙を吐く。


 セナは、口元に笑みを張りつけながら俺を見る。


「いやぁ、面白い」


「俺に張り倒して欲しいならそう言ってください」


「別に好きにすればいいけど、少年はオレに助けて欲しいんだろ? なら、常識的に考えて、少年はオレに相応の誠意を見せる必要があると思うのだが、どうだろうか」


 やっぱり張り倒そう。あんたが常識を語るんじゃない。


 俺が立ちあがって腕を振り上げると、また扉の開く音がした。

 激しくビビる俺。危うく落っこちかける。

 危ない! 危ない!


 俺が必死に縁の部分にしがみついていると、下から呆れたような声が聞こえた。


「先輩、何やってるんですか……?」


 千花の声だ。

 それを確認して落ち着いた俺は、ゆっくりと縁に座り直す。クールに足も組んでおく。

 そして千花を見下ろした。


「どうした千花、何しに来た?」


「いや、今さらカッコつけても遅いんですけど、めちゃくちゃダサかったんですけど……。って、そうじゃなくて」


「なんだよ」


「わたしは先輩を捜し来たんですよ」


「…………なぜ?」


「ゆきちゃんに頼まれたからですけど」


 あぁ、兄を見捨てて完全に光希の味方してるあの妹さんの差し金か……。


「俺を売るつもりか?」


「まぁ、条件次第では」


「いいのか? 俺を売るってことは、お前が好きな光希の恋を助けるということだ。それでいいのか?」


「いやいや……流石にわたしも光希先輩のことはもう諦めましたよ。あの光希先輩に立ち向かっていける女子がいたらむしろ見てみたいです」


「……確かに」


 この十日間の光希は本当にヤバかった。もう俺のことしか見てなかった。誰の目にもそれが分かるくらいだ。最近の校内は、その話題で持ちきりである。


 光希が俺を落とすことができるのかどうかで賭けが行われているという話もある。あと、女装した光希が可愛すぎて新しい扉を開いてしまった男子が大勢いるという話も聞いた。


 最近の光希は『白花の王子様』ではなく、『白花のトラップリンセス』と呼ばれている。

 海外のスラングで『男の娘』のことを『トラップ』と言うらしいので、そこにかけているのだろう。


 『男の娘』とは、外見が女子のようにしか見えない男子を指す造語である。

 女装男子とはまた別らしいのだが、最近の光希は普通に男子用の制服を着てても女子にしか見えないので間違っちゃいない。


 あいつ、どんどん女子っぽくなってなるんだよな……。


 ちなみに放課後になると女装して俺を追いかける。

 どこまでも追いかけてくる。休日も追いかけてくる。怖い。

 一度捕まるとめちゃくちゃ可愛くてどうにも抵抗しきれないからなお怖い。抵抗しきれない自分こそ怖い。


「それで、そちらの不良さんは先輩のお知り合いですか?」


 千花がタバコを咥えているセナを見上げながら言う。

 光希の前では隠していたのに、千花の前では普通に吸っていた。どうやらセナなりの基準があるらしい。


「あぁ……、こいつ、いや、この人は虚空蝉那、『漫研の魔物』って言えば分かるか?」


「あっ、その人が噂の。知ってますよ。初めまして、三枝千花です」


 にっこりと笑って、ぺこりと頭を下げる千花。


「どうも初めまして千花くん。オレのことはセナと呼んでくれたら嬉しい」


「じゃあセナ先輩で。王子先輩とは仲良いんですか?」


「そこそこね。少年とは付き合いも長い、もうかれこれ七年ぐらいになるのかな」


「ならわたしの勝ちですね、わたしの先輩との付き合いはもっと長いですよ」


 ふふんと胸をそらす千花。何の勝負をしてるんだこいつらは。


「それじゃ、先輩を連れて行ってもいいですか?」


「どうぞお好きに」


 そうしてはしごを登ってこようとする千花を俺は押し留める。


「待て待て待て! さっき条件次第と言ったろ!? いくら欲しいんだ」


 すると千花ははしごにかけた足を降ろして、顎に人差し指を添え、くりっと首を捻った。


「そうですね、先輩を捕まえるのに協力したら今度ゆきちゃんが駅前のパンケーキ奢ってくれるみたいなんで、それ以上の何かが欲しいですね」


 あいつ友達をもので釣ってるのか……。

 白雪がガチで光希に協力してるっぽいのも怖いんだよな。一体何が白雪をあそこまで駆り立てているのか。


「じゃあ俺もなんか奢る」


「なに奢ってくれるんですか?」


「何が欲しい?」


「うーん、何か欲しいものがあった気もするんですけど、パッとは思い付かないですね」


「いやなんかあるだろ。パンケーキとか」


「パンケーキはゆきちゃんに奢ってもらうからいいです」


 こいつ両サイドからむしり取る気だ……。ほんと良い性格してる。


「しいて言うなら恋人が欲しいです。最近さみしいんですよ~。光希先輩も先輩に夢中になっちゃいましたし」


「知らねえよ、お前ならいくらでも周りに男いんだろ」


「んー、でもみんなパッとしないんですよね」


「じゃあこいつはどうだ」


 俺はセナの肩に手を置く。顔は悪くないと思うが。顔だけは。


「すみません、年上嫌いじゃないですけど、わたしタバコ吸う人好きじゃないので」


「オレは今フラれたのかな?」


「そうだよ」


「うーむ……、納得いかないね」


 微苦笑しながらセナが言う。


「じゃあ、その内千花が欲しいものができたら奢るから」


「分かりました」


 頷くと、千花は普通にはしごを登ってきて、俺の隣に座る。


「え、なに」


「わたしも特にやることないので、話に混ぜてください」


「前から気になってたけど、千花って白雪以外にちゃんと女子の友達いるの?」


「いますよ~、失礼ですね。まぁでもわたしは男の子と一緒にいる方が好きです。みんなちやほやして甘やかしてくれるので」


「俺はお前がいつか誰かに刺されないか心配だよ」


「面白い子だね」


 千花に気を使ったのか、タバコを片付けながらセナが言った。


「ところで、先輩たちはさっきまで何の話をしてたんですか?」


「あぁ、少年に光希くんが可愛すぎるから助けてくれと泣きつかれてね」


「泣きついてはいないが?」


「へー、へーっ」


 千花が半目になって「へーへー」言いながら俺を見てくる。


「なんだよ」


「いや、まぁ確かに可愛いですもんね光希先輩。びっくりですよホント。恋をすると人って変わるもんなんですねぇ」


 変わる方向が色々おかしいんだよな。どうしてこんなことになってるんだろう。


「でも、光希先輩って男性ですよね」


「そうだな」


「可愛いって思うんですか?」


「お前も今自分で可愛いっていったろ」


「いやまぁそうなんですけど。なんか気に入らないというか。先輩は、光希先輩とわたし、どっちが可愛いと思います?」


「……それ答える必要ある?」


「いいから答えてくださいよぉ」


 ぷっくりと頬を膨らませて千花が言う。あざといなぁ……。


「答えたくない」


「いやそれ光希先輩って言ってるようなもんじゃないですか」


 ため息を漏らす千花。


「うーん、一体何が違うんでしょうか」


「なにが?」


「別に男の人が可愛くなることに文句つける訳じゃないんですけど、一応、わたしも女の端くれとしてプライドがあると言うか、男の人に可愛さで負けたくないというか」


 まぁ、なんとなく言いたいことは分かる。


「わたし、この前までこの学校で一番可愛いのは自分だと思ってたんですけど」


「お前ほんとすげぇな」


 尊敬するわ。


「でも、なんか今の光希先輩には勝てる気がしないんですよね。悔しいんですけど。だから、わたしと光希先輩の何が違うのかな、と」


 すると、そこにセナが口を挟んだ。


「恋じゃないかな」


「え?」


「千花くんもさっき言ってたように、恋をすると人は変わるもんさ。特に女の子は、恋をするとどんどん可愛くなると言う。光希くんもきっと、少年に恋してしまって、好きで好きでたまらなくて、少年に気に入られたいあまりにどんどん可愛くなっているんだろう。光希くんがとても可愛く見えるということは、それだけ光希くんの少年に対する想いが強いということだろうね」


「いやだからあいつは男……」


 まるで光希が女子みたいな言い方をしないでくれるか。あいつは男、男なんだ……。


「ほーっ」


 千花が感心したようにセナを見ていた。


「そんな恥ずかしいこと真顔で言うなんて、セナ先輩は面白いですね」


 お前も大概だけどな、というツッコミはかろうじて呑み込んで、俺は言う。


「こういうやつなんだよ」


 むしろこういうのこそが虚空蝉那だと言える。



 〇

 


「さて、それじゃあそろそろ少年の相談に乗ろうか。えーと、なんだっけ? 光希くんが可愛すぎて困ってるから何とかして欲しい、という悩みだったかな」


「つまり、可愛すぎて好きになっちゃいそうだから困ってるってことですよね? もう付き合っちゃえばいいんじゃないですか? お似合いだと思いますよ」


「だよね、オレもそう思うよ」


 俺の殺気に気付いたのか、セナがこほんと咳払いする。


「とまぁ冗談は置いておいて、少年にもきっと込み入った事情があるんだろう。深くは問うまい。何にせよ少年の頼みとあらばオレも無下にはできないさ、任せてくれたまえ」 


「おぉぉ、なんか頼れる先輩って感じでかっこいいですっ」


 千花が手を合わせて、きらきらした瞳でセナを見る。ふふんと鼻を鳴らして調子に乗るセナ。

 これでしょうもない解決策しか出てこなかったらキレるぞ俺は。


 そして、一拍置いてから、セナが口を開く。


「『オカ研の花子さん』という名前は、聞いたことあるかい?」 


 俺は頷く。割と有名な白花ネームドの一つだ。千花は首を傾げていた。まだ知らないか。


 まぁ俺も詳しいことは知らない。

 知っているのは、オカルト研究部の部長は、代々『花子』という名前を受け継ぐ、ということくらいだ。

 どうもそれ以外にも何か逸話があるらしいのだが、それ以上は俺も知らない。


「これは白花でもごく一部の生徒しか知らない話なのだが、学校がある日の平日、放課後の十六時十六分、オカ研の部室の右側の扉を六回ノックして、『花子さんいらっしゃいますか?』と言うと、扉が開いて、中に入れてもらえる」


「え、怖い話ですか? 耳塞いだ方がいいですか?」


 怖い話に耐性のない千花が耳を押さえて俺に肩を寄せ始める。


「いや別に怖い話じゃない。そうして中に入ると、部長の花子さんに占いをしてもらえるんだ」


「占い、ですか?」


「あぁ、悩みを持って訪れた生徒の悩みを解決する導きを示してくれる」


「胡散臭すぎる……」


 俺が呟くと、セナがニヤリと笑った。


「いや、この占いがね、必ず当たるんだよ。オレが保証してやろうじゃないか。もし外れたら、少年の言うことを何でも聞いてやってもいい」


 セナがここまで言い切るのは珍しい。まさか、本当の話なのか。


「その代わり、当たったら今度何かお礼をしてもらおうかな」


「本当に当たればの話ですけどね」


 まぁでも、セナがここまで言うのだ。試すぐらいはしてもいいかもしれない。


「今の時間は、十六時十二分です」


 スマホを見ながら千花が言った。今日は金曜日。学校がある日の平日ということだから、今日を逃すと次の機会は三日後になってしまう。


「じゃあ、とりあえずセナさんを信じて行ってみます」


 オカ研の部室はすぐそこだが、光希に見つからないように気を付けないと。


「あぁ、オレに感謝するといい。あと、占いをする前に対価として花子さんの愚痴を聞かされるから、そのつもりで」 


 どういう花子さんなんだよ、それは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る