14 フラれた


 ●


 

 王子くんから逃げ出して、白雪ちゃんの部屋に飛び込んだ私たち。扉をしっかり締める。

 私と白雪ちゃんは顔を見合わせて、大きく息を吐き出す。


「な、なんとか誤魔化せましたね……」と、白雪ちゃん。


 あれは誤魔化せたことになるのだろうか。王子くんかなり疑ってたけど。


「にしてもお兄ちゃ……、うちの兄、めちゃくちゃ動揺してましたね」


「う、うん」


 思い出して顔が熱くなる。王子くんに可愛いって言って貰えたのが嬉しすぎたのと、その場の雰囲気に充てられて、途中から我を忘れてしまった。というか、素の私が出てしまった。


 本当はあそこまでするつもりじゃなかった。


 昨日、早乙女さんも交えて話し合い、立てた作戦は、王子くんの前にいきなり女装で現れて、からかったりして、彼の心を揺さぶってから、冗談っぽく告白して彼の反応を確かめて、そのあとでドッキリでしたとバラし、次の段階に行くための参考にする、というものだったのだが……。


「でも、脈はありだと思いますよ。光希さんのこと本当に可愛いって思ってたぽかったですし」


「そ、そうかな」


 王子くんが言ってくれた『可愛い』という台詞が頭の中で繰り返される。

 ついつい頬がだらしなくゆるんでしまう。

 録音しておけばよかった。


「ええ、ただ、あの迫り方はちょっと急過ぎましたね。兄も心の準備が出来てなかったでしょうし。ただ、女装が効果的なのは分かったので、今度はまた違う衣装で慎重に……。……光希さん?」


「え、な、なにっ?」


 気付けば、私は俯いてぼうっとしていた。


「どうしました? 何か気になることでもありました?」


「いや、そう訳でもないというか……でも……」


「……?」


 何かが、私の中に引っかかっているのが分かった。果たしてこれでいいのか、という思いがある。


「こんなやり方で、いいのかな」


「何言ってるんですか光希さん。確かに少しやりすぎてしまったかもしれないですけど、前にも言ったように恋は戦争なんですよ。躊躇したらダメなんです。もっと兄の心を揺さぶって行きましょう。ガンガン攻めていきましょう」


「うん、そうなんだけど……」


 なんだろう。何が引っかかってるんだろう。

 女装して王子くんを騙すようなことをしたこと? いや、それならもう既に、男として彼の側にいるという状況が、騙していることになってしまう。


 王子くんを怖がらせてしまったこと? それは本当に申し訳なく思う。あの時の私は完全に何かのスイッチが入ってしまっていた。

 王子くんが白雪ちゃんに助けを呼んでくれてよかった。……拒絶されたのはショックだったけど。

 でも、私が悪い。そして別にこれが引っかかっている訳でもないと思う。


 じゃあ、何なんだろう。


 その時、白雪ちゃんがこぼすように言った。


「まぁでも、ドッキリってことにしておいて良かったですね。今光希さんが兄に告白しても、きっとフラれちゃいます」


「それだ」


「え?」


「わかった」


 はじめはドッキリのつもりだったとは言え、さっき私が王子くんに伝えた気持ちは、全部本当の気持ちだった。

 あれは、私の本気の告白だった。


 その告白を、例えフラれるだろうと分かっていても、ウソにしたくない。王子くんに対する私のこの気持ちだけは、変に誤魔化したりしたくない!


 私はすっくと立ち上がって、白雪ちゃんに言う。


「ボク、王子くんにちゃんと告白してくる」


「え!? ちょ! 光希さん待って!?」


 私は部屋を飛び出した。

 


 ●



 フラれた。


「う、うぇ、うぅえええ……っ、ぁぇぇええ、うぇ、ええっ、ひっく、ぇえ、……っ」


 白雪ちゃんの部屋で、私は白雪ちゃんに抱き着いて、情けなく号泣していた。自分より小さい年下の女の子の胸に抱かれて、慰められている。


 本当に情けない。情けなくて、情けなくて仕方ない。けど、涙が止まらない。


 嗚咽を漏らしている私の頭を撫でながら、白雪ちゃんが言う。


「だ、大丈夫、大丈夫ですよ光希さん。片想いの恋愛は、フラれてからが勝負なんです。むしろ一度告白しておけば、もうアタックに気兼ねする必要はないですし、告白された側っていうのは多少なりとも相手を意識するものです。だから、大丈夫です。むしろこれからですよ!」


 喉の奥から込み上げてくるものを必死に押し留めて、私は頷く。でも、やっぱり抑え切ることはできなくて、むせび泣いてしまう。


 フラれるのが、こんなに辛いなんて。


 分かってたのに。分かってたはずなのに。

 でも、気持ちが押さえきれなくて、告白して、やっぱりフラれて、物凄く辛い。

 うぅ、辛い、辛いつらい、くるしい。


「あぁぁぁぁぁあんっ。白雪ちゃぁん、つらいよぉ……つらいよぉ……」


 白雪ちゃんの制服の胸元が私の涙と洟でべとべとになっている。申し訳ない。自分が情けなすぎる。

 でも、止まらない。


 白雪ちゃんはこんな私にも嫌な顔一つせず慰めてくれる。


「大丈夫ですよ光希さん、今は泣いていいです。私の胸でよければ貸しますから」


 なんて良い子だろう。可愛いし。嫁に欲しい。

 王子くんのお嫁さんになって、白雪ちゃんをお嫁さんにしたい。


「……あの、光希さん、一つだけ確認していいですか?」


 泣きっぱなしの私の背中をよしよしと撫でてくれていた白雪ちゃんが、私が少し落ち着いた頃合いを見測るようにして、そう言った。


「……な、なに?」


「結局、兄のことは、諦めないんですよね?」


「…………あきらめたくない」


 諦められる訳がない。何年物の恋だと思ってるのか。

 でも、このあとどんな顔をして王子くんに会えばいいか分からない。


「……あきらめられないけど、でも、どうしたらいいかわからないよぉ……」


「光希さん」


 すると、白雪ちゃんが私の肩に手を置いて、視線を合わせてきた。

 そして、鋭く淡々とした口調で言われる。


「だったらもう、全力で行きましょう」


「え?」


「さっきも似たようなこと言いましたけど、光希さんはもう兄に告白してしまったので、もうほぼ無敵です。アタックに気兼ねする必要はありません。このあと、光希さんにできることはもう、全力で押しまくることだと思います。さっきの兄の反応を見るに、全くの脈無しって訳でもないんですし、兄は割と流されやすいタイプなので、光希さんならきっと希望はあります」


「白雪ちゃん……」


 気付けば、私は泣き止んでいた。

 そうだ、もうやるしかないのだ。諦められないなら、がむしゃらにでもやるしかない。


 やってやろう。こんな辛い思いをしてしまった以上、このままでは終われない。


 私は立ち直った。

 

 〇


 あー、びっくりした……。


 俺はたった今起こった出来事を思い返す。


 そう、俺は白雪と光希から心臓に悪すぎるドッキリを喰らったあと、悲しい姿になった特売品の卵の扱いをどうしようかと台所で悩んでいたのだ。

 そしたら、急に光希が走り込んで来た。着替えるとか言ってたのに、光希は女装のままだった。

 彼は何やら真剣な表情で俺を見据え、こう言った。


「ねえ、王子くん、一つ、言いたいことがあります」


「な、なんでしょう……」


「さっき言ったボクの気持ち、ドッキリなんかじゃなくて、全部本当の気持ちなの」


「お、おう」


「だから、ね。ボク、王子くんのことが好きです。ボクの恋人になってください」


 凄まじい勢いだった。

 俺の理解が追い付かない内に、とんとん拍子でそんな風に会話が進み、その流れのまま、俺も勢いよく、次のように返した。俺の頭には疑問符が浮かんだままだった。


「いやごめんなさい無理です?」


「…………だめ?」


「あぁ、お前のことは友達以上には見れない」


 その次の瞬間には、光希は俺の前を去って、泣きながら階段を駆け上がり、恐らく白雪の部屋に飛び込んでいった。


 繰り返すが、凄まじい勢いだった。


 取り残された俺は、唖然としたまま固まって、今の一連の流れの理解に努めていた。


 えー……、つまり、俺はガチの告白をされたんだよな? そういう理解でいいのか。

 またドッキリとか、じゃないよな。できればドッキリであって欲しいけど。

 うーむ、そうか、うーむ…………、え? マジ? 

 どうも夢でもないっぽいしな……。


 いやぁ、びっくりしたな……。


 俺と光希をモデルにしたBL同人の話を聞いた時は、んなもん現実に起こる訳ないだろと思っていたが、いやぁ、あるもんなんだなぁ……。衝撃、衝撃である。


 ていうか俺はこれから光希とどんな顔して会えばいいんだ?


 

 〇



 リビングのソファに座って、今度、光希に対してどう振舞おうか色々考えていると、急に扉が開いて光希と白雪が入って来た。

 ビビる俺。


 恐る恐る光希の方を見ると、彼の目元は赤くなっていた。

 ちなみに女装モードからいつもの制服に戻っていた。

 なぜか白雪はジャージ姿になっていた。

 光希と視線が合いそうになる。気まずい。この上なく気まずい。


 光希が一歩俺に近寄ろうとする。

 俺がいつでも逃げられるように身構えると、悲しそうな顔をされた。

 いや、だってさ……。

 別に光希が嫌とかじゃなくてさ、こいつ一度スイッチが入ると止まらないっぽいし……やっぱり最低限の保険は必要というか。


 光希はこっちに近付くのをやめて、扉の付近に立ったまま口を開く。


「あ、あの……、ごめんね王子くん、びっくりさせちゃって」


 全くだよ。


「でも、ボクが王子くんのこと好きなのは、本当だから、そこだけは分かって欲しいの」


「さいですか」


「う、うん、それでね……ボク、王子くんにフラれちゃったけど、諦めなくてもいいかな?」


「……できれば諦めてもらいたいんですが」


「…………諦めなきゃ、だめ?」


「だめです」


「……だめ?」


「諦めろ」


「王子くん、ボクのこと嫌い?」


「このままこれを続けられたら嫌いになるかもな」


「…………でも、諦められないよ……、嫌いには、ならないで……」


 泣きそうな声で言われる。


 じゃあ聞くなよ……っ!


「お前には悪いけど俺は男に興味ないし、そもそもずっと昔に心に決めた好きな子がいるんだ。俺がお前の気持ちに応えることはない」


 ハッキリ言っておく。こういうのは曖昧にするのが一番ダメだ。


 もの凄く複雑そうな表情している光希。どういう顔だそれは。ちょっと嬉しそうに見えるのは気のせいだよな?


 しかし、彼は何かを吹っ切るように一度首を振ると、真剣な顔で俺を見る。


「ボク、これから王子くんに好きになって貰えるように頑張るね」


「メンタルお化けか?」


 どういうメンタルしてんだよこいつ。千花といい勝負してる。


 しかし、好きになって貰えるようにって、こいつ何するつもりだろうか。

 無理やりはダメだぞ、無理やりは。


「あ、えっと、さっきみたいに王子くんに無理やり迫ったりすることはもうしないから、安心して。さっきのは、本当にごめんね」


「……ほんとか?」


「う、うん! ボクを信じて!」


 うーん……信じていいのかこれは。まぁ、基本的には真面目な奴だし……、でもなぁ。


「………………まぁ、好きにすればいいんじゃないの」


 そう言うと、光希の顔がぱぁっと明るくなった。本当に嬉しそう。

 ……俺は自分の軽率な発言を後悔したが、この顔を見て今更取り消せない。


「じゃ、じゃあっ、ボクは今日はもう帰るねっ。また明日ね王子くん! 白雪ちゃんも、本当にありがとね!」


 そう言って、玄関の方に向かう光希。それを見送りに行く白雪。


「お邪魔しました!」


 礼儀正しい元気の良い声が聞こえた。玄関の扉の開閉音がして、白雪が戻って来る。


「…………」


「…………お前は知ってたの?」


「……うん……、勝手に色々やって、ごめんなさい。これからも光希さんを手伝うつもりだから先に謝っとく」


 まぁそうだよな。知ってて協力してたよな。じゃなきゃああはならない。


 俺は深々とため息を吐く。マジで疲れた。


「……お兄ちゃん、怒らないの?」


 少し意外そうな白雪。


「いや別に……」


 怒った所でどうにもならないし……、というか、そもそも白雪が謝る必要があるのかというのも、微妙な所である。


「言っとくけど、光希さん、あれ本気だよ」


「……」


 頭を抱える。明日からどうなるんだ。今から死ぬほど気が重い。


「あの、お兄ちゃん、一つ言ってもいい?」


「なんだよ」


 見ると、白雪が「うーん」と思い悩むように唸っていた。


「光希さん、ちょっと可愛すぎない?」


「いやまぁ、女装はびっくりするくらい似合ってたけど」


「いやそうじゃなくて……。それもそうなんだけど……、なんというか……女の子っぽい? 女の子っぽすぎる……?」


 それは俺も思っていた。

 見た目だけじゃなくて、なんというか今日の光希は仕草や言葉遣いまで女子にしか見えなかった。

 俺だけかと思っていたが、白雪も同じことを思っていたらしい。


「光希さん、心は女の子だったりするのかなぁ……」


「……そんなことはないと思うが」


 とは言うものの、実際の所は分からない。その辺りの問題はデリケートだと思うし……。

 でも、なんか違う気がするんだよなぁ。


 もしそうだとしたら、今日のどこかのタイミングで、それを俺に告げてたような気がするのだ。例えば、俺が「男には興味がない」と言ったタイミングとかで。


 あくまで光希は男として、俺のあの言葉を受け取っていたと思う。


 だから、そうじゃなくて、もっとこう、別の可能性が……、何か……。


 その時、俺の頭の隅に何かが引っかかったような気がするが、それに手を伸ばす前にその可能性はどこかへ行ってしまった。


 …………うむ、分からん。


「あーっ! もういいわ。考えるの疲れた。どうせなるようになるだろ」


 なるようになる。こういう時こそ、ノリだけで生きてるウチの両親を見習おう。


「そういえば母さんと父さんは?」


「あっ、そう、言うの忘れてた。あの二人、商店街の福引でどっかのホテルのペアチケットが当たったとかで、旅行に行ったよ」


「え? いつ?」


「今日私が帰った時に、ちょうど出て行くところだった」


「…………」


 こういう夫婦なのだ、ウチの両親は。もはや驚くことでもない。

 ちょっと見ないと思ったら沖縄に向かっていたりすることもあるし、帰ると連絡しながら北海道に行っていたりもする。


 俺がため息を吐いていると、空気を読んで遠巻きに俺たちの様子を見守っていたらしい豆柴のムギが駆け寄って来た。

 ワンワンと吠えながらソファに寝転ぶ俺の顔を舐めまくってくる。かわいいやつめ。


「あ、お兄ちゃんムギの散歩行ってきて、私夕飯の準備するから」


「はい」


 ムギの散歩は、基本的に家にいる両親がやってるのだが、こうして忘れられることがよくある。

 そういう時は俺か白雪の手の空いている方がやる。大体の場合、俺の手が空いているので俺がやる。


 こういう家庭なのだ、ウチは。ちなみに夕飯は卵尽くしだった。


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