6 恋はとろけるように甘いものだが、恋の試練は甘くないのだ


 ●



 星愛と名乗った見知らぬ少女は、どうやら魔法使いであるらしい。


 普通であれば、子供の冗談だと聞き流す所だが、今の私が置かれている状況は普通じゃなかった。

 私は今、男になっているのだ。


「魔法使い、なんですか?」


「せや」


「その、セアさんは、魔法が、使えるということですか?」


「使えるで。あと、堅いのはきらいやから、敬語はいらんて。もっと気楽に喋りぃ。あと、ウチのことはセアちゃんって呼んでな♡」


「えー、あ、はい」


 私はそこで一息吐いて、セアさん――セアちゃんを見る。

 本当にお人形さんのように可愛らしい子だ。びっくりするくらい関西弁が似合ってないけど。


「セアちゃんは、えっと、ごめんね、疑う訳じゃないんだけど、その色々頭の整理が追い付かなくて」


 私が気になるのは大きく分けて二つ。

 一つ、私が男になっているということ。

 一つ、セアちゃんが何故ここにいるのかということ。


 これは夢ではないのだろうか。


「夢やないで」と、私の心を読んだようにセアちゃんが言った。


「夢じゃないの?」


「せや、夢やない」


「ほんとうに?」


「ほんまや」


「セアちゃんが魔法使いなんだとしたら」


 私は改めて、男性のものとなった我が身を見下ろす。


 「私が男の人になったのは、セアちゃんの仕業ってこと?」


 私は自分でも驚くほど落ち着いていた。

 人間、自分が持つキャパシティの限界を越えると、返って冷静になるらしい。


「そういうことやな。まぁ、今から説明したるから、しっかり聞きや」



 ●



 セアちゃんは、不思議な力で人々の恋愛を手助けしてくれる魔法使いである。

 セアちゃんは、別に悪い魔法使いではない。

 セアちゃんは、私の願いを聞き入れてここに現れた。

 セアちゃんはとても忙しいのだが、私が母様の娘だから、特別サービスで来てくれたらしい。


 魔法使いセアちゃん曰く。

 この世における恋愛というのは、それが成就するまでの道のりが困難で劇的であるほど、愛し合う二人の間に生まれる愛は強固なものとなる。


 故に、恋には試練が必要である。


 セアちゃんは、恋する若者の味方だが、ただ手助けをするだけではない。

 セアちゃんは、青春と恋愛に挑む二人の前に、厳しくも不可思議な試練を用意するのである。


「――と、ゆー訳や」


 得意げに胸をそらすセアちゃん。

 運動会の徒競走で一着を取って、誇らしげにする小学生を彷彿とさせた。


「なるほど」


「わかるやろ?」


 私は頷く。


「わかります」


 過去の数々の名作が示すように、素敵な大恋愛には厳しい試練が付き物だ。


「ねえセアちゃん」


「なんや」


「つまり、私のこの体は、その試練の一環ということ?」


「お、理解が早くて助かるなぁ」


 嬉しそうに言って、セアちゃんは手の平に乗せたハート型の石を私に見せる。

 『姫』とマジックペンで書かれた石。


「コウキの中にあった女の子の部分はここにある」


 それは大変だ。


「どうしたら返してもらえるの?」


「自分が恋愛を成就させればええんや。『女の子の部分』を取った代わりに、コウキの中には『希望』を詰めておいた。その希望を糧に、愛の試練を乗り越えれば、晴れてハッピーエンドや。めでたしめでたしや」


「なるほど」


 理解した。


 ●


 セアちゃんの不思議な力で、私が男になった経緯は先述の通りである。お分かりいただけただろうか。


 この世には不思議なこともあるものだ。


 このあと、セアちゃんの不思議な力パワーによって、何やかんやあって、私は中学卒業に合わせ、母様と一緒に日本に帰ってくることができたのだった。

 父様は一緒じゃなかった。

 父様の代わりにセアちゃんが付いて来た。

 どうやら私と母様の新しい住まいに、居候することにしたらしい。何故?


 セアちゃんと母様は、本当に学生時代の知り合いらしかった。

 二人は仲睦まじく会話をして、思い出話に花を咲かせていた。二人の口から聞こえてきた『傾国の腐界堕とし』、『メルヘントリックスター』という聞き慣れないワードがやけに耳に残った。


 母様は、私がセアちゃんから課せられた試練のことを把握して、「姫ちゃん、絶対に真実の愛を勝ち取るのよ」と励ましてくれた。


 とまぁ、そんなこんなあって。 


 母様とセアちゃんの母校であるという白花高校への入学を果たした私は、遂に王子くんとの再会を果たしたのである。



 ●



 魔法使いセアちゃんが私に与える恋の試練について。


 セアちゃんは、王子くんに早く会いたくて会いたくてたまらない私のために、運命をいじって、私と王子くんの再会を早め、王子くんとの青春学園生活を提供してくれる。


 だが、それで王子くんと私が結ばれてしまうというのは、あまりに都合が良すぎる。


 自分にとって得となる何かを手に入れるためには、代償となる何かを支払わなければならないのが世の常であり、その代償として、私の前に立ち塞がるのが例の如くの試練という訳である。


 この試練は、私と彼の恋愛を劇的にし、二人の間に生まれる愛をより強固で真なるものとする役割も担う。


 そして、その恋の試練の具体的な内容というのが、男となった私でも、その正体が昔に結婚の約束を交わした愛しの彼女(姫ちゃん)であると、王子くんに気付いてもらえるのか否か、もしくは、気付いてもらえなかったとしても、生物学繁殖的性別の壁を乗り越えた真の愛で彼と結ばれることができるか否か、という感じである。


 その試練を乗り越えることができれば、私は女の子に戻り、王子くんと結ばれ、めでたしめでたしとなる。


 まぁ、大体そんな感じである。





 白花高校の入学式にて、王子くんを見つけた時、私は胸の内側が弾けてしまうんじゃないかと思った。

 彼への想いが募って風船みたいに膨らんだ私の心は、あと少しでも衝撃を与えられたらパチンと弾け、理性も一緒に弾けた私は人目も憚らず彼に抱き着きに行っていたことだろう。

 危ない所だった。今の私は男になっているのだ。


 王子くんの姿をこの瞳に収めたのは、実に七年と九十八日ぶりだったが、瞬時にそれがかつて私と愛を誓い合った彼の成長した姿であると確信した。


 彼は、まさに私の理想通り、私が毎晩夢に思い描いていた通りの成長を遂げていた。

 幼気で可愛らしかった面立ちはグッと男らしくなって、しかし昔の面影はしっかりと残していて、少し垂れた眦も、形の良い眉も、すっと通った鼻梁も、あくびを噛み殺すどこか色気のある口元も、しなやかな細身と、私をそっと包み込んでくれそうな長い手足も、何もかも私の理想そのもの――、否、理想以上だ。


 体の芯が沸騰でもしたかのように沸き立って、ドキドキが止まらなかった。入学式の間、私はずっと王子くんを盗み見ていた。


 眠たげな瞳をこすっている彼は可愛かったし、時折居眠りしてしまいそうになってハッと身を起こす彼も可愛かった。

 私は彼に視線を送り続けて、何かの拍子に彼と目が合うことを期待していたけど、結局彼はこっちを見てくれることはなかった。


 入学式が終わったあと、新入生たちは各々がこの一年を過ごすことになる教室に向かった。

 王子くんと同じクラスで、私は歓喜した。


 けれども、私は戸惑った。そして不安に思った。

 王子くんと顔を合わせた時、彼は私の正体に気付いてくれるのだろうか、と。


 それまで、私は、王子くんはきっとすぐにでも私のことに気付いてくれて、いくら困難な試練と言えども、私たちの愛の前では役不足であったと証明されるだろうと思っていたのだが、いざ、彼と顔を合わせるとなると、不安になってきた。


 そして、結論から言わせてもらうと、彼がその場で私の正体に気付くことはなかった。


 入学式後の、教室内での担任の先生の挨拶と、新入生の自己紹介の時。


 出席番号順だったので、すぐに私の番が回ってきた。

 私は、男になった身として、皆に違和感を与えないように、慎重に自己紹介をした。


「一条院光希です。ぼ、ボクは少し前まで海外にいたんですけど、日本の学校生活に慣れないこともあると思うので、もしよかったら色々教えてください。あ、えっと、甘いものとか好きです。漫画もよく読みます。皆さん、これからよろしくお願いします」


 軽く頭を下げると、大きな拍手が起こった。そして教室がざわつく。そんな中、私は王子くんが私を見ていることに気付いた。


 ドキンと心臓が跳ね上がって、他の一切が気にならなくなった。


 私と王子くんの視線が、今、重なっている。何か、言おうとしたけど、口から言葉が出てこなかった。


 一体、どれくらいの間見つめ合っていたか分からない。

 十秒くらいあったような気もするし、一瞬のような気もした。


 私は、次の人が自己紹介のために立ち上がったのに気付いて、あわてて席に着いた。その時にはもう、彼は私を見ていなかった。


 そして、悟った。王子くんは、私に、気付いていない。


 いくら私が男になっているといっても、一条院光希という名前を聞いて、何か思わなかったのだろうか、と私は思った。


 けれども、そこで私は、セアちゃんが言っていたことを思い出した。


 今の私は、『一条院光姫』ではなく『一条院光希』になっていて、『一条院光姫』という少女に関する記憶や記録は、一部の人を除いて、封じられてしまっているのだ、と。

 それだと、王子くんの中にある私の記憶も封じられてしまうのではないか? と私が問うと、セアちゃんは、彼の中にある『姫ちゃん』という女の子に関する記憶はしっかり残っているから安心して欲しい、と言っていた。

 確かに彼は、私と一緒に遊んでいた頃、私のことを『姫ちゃん』と呼んでいた。私がそう呼んで欲しいと言ったから。


 つまりこれは、私の名前や、私の特殊な出自から、王子くんが私と昔の私を結びつけることはないということだ。


 私はさらに不安になった。


 本当に王子くんは、私に気付いてくれるのだろうか、と。


 かつて、私と彼が交わした約束を、よもや彼が忘れてしまっているとは疑わなかったが、彼が絶対に私を覚えていることは確信していたが、よくよく考え直してみると、今の私は男なのだ。


 彼とて、いくら何でも、かつて姫ちゃんと呼んでいたあの少女が、今男になっているとは思っていないだろう。


 その前提が覆されない限り、彼が私の正体に気付くのは、困難なことだ。


 だが、しかし、『お星さまに願う恋~恋の試練、真実の愛を求めて~』の中でも、王子さまはすぐにお姫さまの正体に気付いた訳じゃないのだ。


 そう、これは真実の愛を手に入れるための恋の試練。簡単にクリアできると考えていた私が甘かったのだ。


 恋はとろけるように甘いものだが、恋の試練は甘くないのだ。




 

 白花高校の生徒としての生活が始まったあと、私は幾分か戸惑っていた。


 違和感があった。

 当たり前だ。

 私は今まで、女として生きて生きて、しかも、私が通っていたのはずっと女子校だった。


 幼い頃の人見知りは既に克服していたものの、同年代の男の子と接した経験がほとんどなかった。

 なのに、今の私は男。


 加えて、ハーフである私の容姿は目立つようで、周りから私に向けられる目も、少々特異だった。クラスメイト達も、私にはどこか一歩距離を置いているような節があった。


 女の子と接するのにも、男の子と接するのにも、違和感があった。


 そんな風に私が寂しい思いをしている中で、唯一、私に近付いてきてくれたのが王子くんだった。


 王子くんは、別に私の正体に気付いているという訳ではなさそうだった。

 その上で、彼はにこやかに私に話しかけてくれて、純粋な友達として一緒にいてくれるようになった。彼は私に優しくしてくれて、仲良くしてくれた。


 あぁ、やはりどのような形であっても、私と彼は共にいる運命にあるのだと、私は嬉しく思った。私は王子くんに惚れ直した。


 私は幸せだった。


 ずっと会って話がしたかった王子くんの側にいられて、一緒に笑い合って、遊ぶことができるというただそれだけで、幸せだった。


 しかし、やはり何かが違うな、と思った。


 幸せには違いないが、何かが違う。


 王子くんは私のことを、かつて愛を誓い合った一人の少女としてではなく、恋人としてではなく、単なる友人として見ているようだった。


 それは致し方ない話なのだが、彼に会えなかった今までのことを思うと、この状況だけでも幸せが過ぎるのだが、やはり私は、『光希』としてではなく、『光姫』として、『姫』として王子くんに私の事を見て欲しかった。人は欲に忠実な生き物なのだ。


 そのためには、恋の試練に挑まねばならない。

 


 ●



 しかし、恋の試練に挑むといっても、具体的に何をすればいいのかよく分からない。


 セアちゃんが示した試練のクリア条件は、


 一、王子くんが私の正体に気付く。

 二、今の男の私のまま、彼と結ばれる。


 この内のどちらかを満たせばいい。


 しかし、二をクリアするのは、少々難しいこのように思えた。

 王子くんの恋愛対象は女性のようで、男である私が無理に迫ることで、今のこの交友関係を壊してしまう可能性があった。

 それは避けたい。そんなことになってしまった日には、私は生きていけない。


 そして何より、私と彼は、昔、結婚の約束をして愛を誓い合ったのだ。

 だから王子くんは、私をかつての私として認識しないまま、今の私に靡くようなことはしないだろう。

 王子くんは決して私との約束を破らない、誠実な男の子であるはずだから。


 となれば、一のクリア条件しかない訳だが、そのために私がやれることと言えば、彼を信じて、この友人関係を続けていく、ということだった。



 ●



 王子くんの友達として、学園生活を送っていく内に、いくつか気付いたことがある。


 それは、なんと言うか、少々言いにくいことなのだが、王子くんが少し残念になってしまっていたということだ。


 私が王子くんの側にいることができなかった七年と九十八日の間にも、王子くんは王子くんの人生を歩んできた訳で、何もかもが私の想定内ということはあり得ない。


 それに、王子くんが残念になってしまった原因の一端として、私にも責任があるように思われた。


 王子くんは、年頃の男として、それ相応に女の子に興味があるのに、運命の相手である私との再会を信じるあまりに、思うように身動きが取れず、少々こじらせてしまったようだった。


 私とて、彼と会わずにいる間、異性に興味がなかった訳じゃない。

 様々な書物を読み漁り、恋愛に関する映画やドラマを視聴し、その度に殿方に対する関心を募らせていた。

 何なら、殿方と殿方の恋愛事情に関しても、知識を蓄えたほどだ。


 しかし、こうして白花高校の生徒になるまで、私の周囲にはほとんど同性しかいなかったため、現実の殿方に気を奪われてしまうことはなかった。

 まぁ仮に、私の近くに、魅力的な男性が現れていたとしても、私には王子くんという者があるから、靡いてしまうことはなかっただろうが。


 そんな私に対して、王子くんは、私という者があるために、近くにいる女性へ向かう関心を抑え込み、抑え込みすぎて、変な方向へ行ってしまったと思われる。

 私のせいだ。


 少し残念ではあったとしても、王子くんはさぞモテたことだろう。

 なにせ、ため息が出てしまうほどカッコいいし、優しいし、気遣いもできる。笑顔も素敵で、楽しそうに彼が笑っているのを側で見た時は、胸が締め付けられてしまう。

 何か真剣に考え事をしている時の顔もカッコいし、加えて成績も優秀で、運動神経もよく、細身であるのに、ああ見えて意外と筋肉があるのだ。

 友人の特権で腹筋や腕を触ったこともある。

 ……思い出したらドキドキしてきてしまった。


 そんな風にモテる筈なのに、今まで王子くんは彼女の一人もできたことがないと言っていた。


 私からすれば、昔、王子くんと秘めやかな逢瀬を重ねていたあの頃、既に王子くんと恋人の関係になったつもりでいたのだが。

 というか、私の認識としては、彼と離れている間も、遠距離恋愛的に恋人の関係は続けていたつもりだったのだが(連絡は取ってなかったけど)、彼の認識は少々違ったらしい。


 そっか、違ったのか……。小学校や中学校の時の友達とかに、今は会えないけど愛し合っている彼がいるみたいなことを自慢げに仄めかせていた私は、何だったんだろう……。


 ま、まぁ、細かいことはいい。いずれ私と彼が結ばれる運命に違いはないのだ。


 ともかく、モテるはずであるのに、王子くんがどんな女の子にも気を取られなかったという事実は、嬉しいことだ。

 彼は私一筋ということだろう。 


 だとするなら、少々残念になってしまった王子くんのことは、私が支えてやらねばならない。

 それに、王子くんのちょっぴりダメな所も私は愛することができる。


 詰まるところ、王子くんの隣に相応しいのは私であり、彼の側には私がいなきゃダメなのだ。


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