5 ある朝起きると、私は男になっていた



 〇



 白花高校の『白花ネームド』について説明しよう。


 『白花ネームド』とは、固有の愛称を付けられた白花高校に住まう個性的人種を指す。

 生徒に限らず先生に固有名称が付けられることもある。

 生徒でも先生でもない奴に付けられることもある。人じゃないこともある。


 過去に名を馳せた『白花ネームド』は、生徒や先生たちの間で連綿と語り継がれ、伝説のような扱いになっている場合もある。


 一条院光希というウルトラハイスペックイケメンが『白花の王子様プリンス』と呼ばれ、星野王子という名の俺が『星の王子様(笑)』と呼ばれていることは既に述べたが、要するに俺たち二人は『白花ネームド』に名を連ねているのである。

 俺たちの名前はその中でもかなり有名な部類であり、『教育指導の鬼ゴリ』の次くらいには有名だ。

 知らない奴の方が珍しいと思う。鬼ゴリは全員知ってる。


 他の有名所と言えば、『傾国の腐界堕とし』、『漫研の魔物』、『白花王子親衛隊隊長』、『十三の罪深きメロウ』、『メルヘントリックスター』、『オカ研の花子さん』、『機械仕掛けの女帝』、『妖艶ようえん風紀乱し』、『三毛猫のワトソン』、『卒業後も週三で部活に現れる元ラグビー部主将の吉田(現役浪人生)@勉強しろ』、『美人なのに出会いと男に恵まれず結婚できない飯田先生@来月で32歳』などが挙げられる。

 

 この内、『傾国の腐界堕とし』、『十三の罪深きメロウ』、『白花王子親衛隊隊長』、『メルヘントリックスター』に関しては、その正体すら不明である。

 正体不明なのに、なんか有名だ。


 最近だと、世界でも一、二を争う完璧美少女であると噂の我が妹白雪に『白花の白雪姫』、持ち前の可愛さと計算され尽くした愛嬌で純情男子を弄ぶ千花に『小悪魔ガール千花』という固有名称が付けられている。

 俺が名付けた。

 


 〇



『白花ネームド』の内の一つ、漫画研究部の部室に住みつく『漫研の魔物』について。


 実はこの『漫研の魔物』を、俺は高校に入る前から知っている。


 彼との出会いは七年前、俺が小学三年生の時になる。当時、彼は中学二年生だった。


 ん? ちょっと待て何かおかしくないか? と思った読者諸君は正しい。あくまでおかしいのは、ヤツの方である。


 俺は遠く離れた土地に行ってしまった運命の相手である彼女――姫ちゃんのことを思い返しながら、公園のジャングルジムの上でセンチメンタルに黄昏ていた。


 するとヤツが現れた。


 当時の俺にとって、中学二年生という生き物はとても大人に思えた。

 学ランを来た彼は、俺の隣に座るとニヤリと笑ってこう言った。


「どうした、少年。失恋でもしたか? オレに話したら楽になるよ。こう見えても巷では恋愛マスターで通ってるんだ」


 ご覧の通り、ちょっと、いや、とても痛い奴である。今思えば、あの時俺はすぐにでもその場から逃げ出すべきだった。


 彼は俺のことを、ひねくれこじらせた人物であると評するが、もし仮に万が一そうだとして、その原因の一旦は間違いなくこいつにある。

 こいつこそ、ひねくれた上にどうしようもなくこじらせている。


 だが、当時の俺にとって、そんな彼はとてもかっこよく思えてしまった。なんかこう、経験豊富な大人の男に見えた。見えただけだ。実際にはただのヤバい奴である。


 一瞬にして彼という魔物に魅入られてしまった俺は、あろうことかそんなヤバい奴に姫ちゃんのことについて全部話してしまった。酷い男だ俺も。


 だが、一つ言い訳をさせてもらうと、いくら彼女と別れる時には強がっていたとは言え、俺だって辛かったのだ。誰かに話して恋愛経験豊富な悲劇のヒーローを気取ってみたかった。

 そういうお年頃だ。


 しかし運の悪いことに、話した相手が悪かった。


 後に『漫研の魔物』と呼ばれる彼――虚空うつそら蝉那せなは、俺が話した壮大な恋愛ドラマにおける出会いと別れについて、たいそう興味を示した。

 そして俺という純粋無垢な少年にも興味を持ってしまったようだった。


「おもしろいね、君」と、セナは言った。

 なんだこいつうるせえなお前の方がおもしれーわ! と、今の俺ならそう返しただろう。


 しかし当時の俺は、調子に乗った。


 なんか突然現れたミステリアスでかっこいい感じで大人のお兄さんに認められてなんか嬉しくなっちゃって調子に乗った。


 俺とセナの出会いは、そんな感じである。

 俺と彼の交流はその後もしばしば行われ、今に至るまで続いてしまっている。

 間違いなく腐れ縁というやつだ。



 〇



 虚空蝉那は高校二年生である。つまり、俺の同級生ということになる。

 一体何が起こったのか? 時系列順に確認していこう。


 俺が小学三年生の時、彼が中学二年生。

 俺が小学四年生の時、彼が中学三年生。

 俺が小学五年生の時、彼が高校浪人一年目。

 俺が小学六年生の時、彼が高校浪人二年目。

 俺が中学一年生の時、彼が高校一年生。

 俺が中学二年生の時、彼が高校一年生(留年)。

 俺が中学三年生の時、彼が高校一年生(留年、計二留)。

 俺が高校一年生の時、彼が高校二年生(三年目にして進級)。

 俺が高校二年生、つまり今、彼は高校二年生(留年、計三留)という訳だ。


 おわかりいただけただろうか。


 虚空蝉那はヤバい奴なのだ。

 高校浪人すら稀だというのにそれを二年も繰り返し、一回そうなっただけでもレアキャラ扱いされる高校留年を三回。

 ヤバい奴だ。


 つまり、セナは俺より五歳年上の現在二十一歳。彼は漫研の部員として五年目、漫研の部長として四年目であり、『漫研の魔物』の異名を欲しいままにしている。

 そんな異名欲しいままにすんなよ。


 経歴だけ見ると近づいてはいけない類いの人間であることに違いないのだが、意外にも部内での評判は良いようだ。

 セナはとても絵を描くことに秀でており、教えるのが上手いらしいというのもあるし、良くも悪くも個性的だからだろう。

 悪意のない変人は大体どこでも一定の人望を得てしまうものである。ただ、悪意はないが、ヤツの思想は色々と危険である。近寄らない方がいい。


 彼の危ない色香に誘われ崇拝レベルで虜になっている女子生徒が何人かいるという話も稀に聞く。

 今すぐ正気を取り戻してほしいものである。



 〇


 

 土曜日に千花と光希と外出して、そのあとから日曜日の昼頃まで俺の家で光希とぶっ続けでゲームをするという充実した休日が明け、月曜日、俺は一人で登校していた。

 いつもなら、白花高校の最寄り駅に向かう電車に乗っている途中に光希が乗り込んで来て、そのままの流れで共に登校するのだが、今日は彼は乗ってこなかった。


 俺はいつもと同じ時間の電車に乗っているので、光希が寝坊したかいつもより早く行ったか、風邪でも引いたか。

 まぁ普段からして特に示し合わせている訳でもないので、こういうこともある。


 代わりに、珍しくセナと出会った。


「おはよう少年」


 白花高校の最寄り駅で降り、改札に向かう途中でそう声をかけられた。


 相変わらず二十一歳とは思えないほどの童顔。

 ウザったい長髪。涼しげに整った顔だち。顔色は不健康そうに青白く、手足は細い。

 切れ長の瞳で俺を見ている。


「おはようございますセナさん」


 敬語で挨拶を返し、軽く頭を下げる。一切尊敬していない相手にも、歳下として最低限の礼節を重んじることができるのが、俺の美徳である。俺は大人なのだ。


「少年はオレに会うと分かりやすく嫌そうな顔をするから面白いよね」


 勝手にそうなるのだから仕方ない。俺は悪くない。


「気のせいですね」


「そうかな?」


「そうです」


 歩きながらセナと会話する。


「昔は少年も素直で可愛かったのにね」


「あんたは俺の何なんだ」


「もう保護者みたいなもんだろ?」


「殴ってもいいですか?」


「冗談だよ、冗談。それより今日は一人なんだね、光希くんはどうした?」


「さぁ?」


「知らないのかい?」


「知りませんね」


「少年が光希くんと一緒にいないなんて、珍しいこともあるもんだ」


 セナは何故か俺のことだけ『少年』と呼称する。


「別にいつもあいつと一緒にいる訳じゃないですよ」


「そうなのかい?」


「そうです」


 その時、俺の視界に一人の少女が横切った。野暮ったいメガネに、腰まで届きそうな長い黒髪。

 俺がその大人しそうな少女を見ていると、彼女も俺のことを見ていた。

 早乙女静葉だ。


 目と目が合う瞬間、俺は一昨日光希と千花と出かけた時に感じた視線を思い出す。


 彼女は顔を真っ赤にして、俺から逃げるように駆けて行った。その途中でつまずいて、大きく前のめりになっていた。

 ふわりと舞うスカートの裾。


「ピンク……だと!?」


「静葉くんか。彼女はとても良い絵を描く。それに面白い」


「そういえば、早乙女は漫研所属でしたっけ」


「少年、君もだよ」


 そう、実は俺も漫研の部員なのだ。


「たまには少年も部活に顔を出してくれると嬉しいね」


「幽霊部員でいいから入ってくれって言ったのはセナさんでしょ」


 部員が多い方が部費を多くもらいやすいからとか何とかで、入学当初に無理やり入部させられた記憶が蘇る。


「それに、どうせやることなんて漫画読みながら部室で駄弁るだけですよね」


「何を言ってるんだい。それが楽しいんじゃないか」


「あんたは楽しみ過ぎなんだよ」


 いい加減卒業しろ。


「まぁまぁ、限りある人生なんだから好きに時間を使っていこうじゃないか」


「使いどころ間違えてません?」


「そんなことないさ」


「どうだか」


「本当だよ。だって、この世の主人公は高校生だからね。なら、なるべく長く高校生でいたいと思うのは普通だろ?」


「普通だろうか」


「高校生くらいの若者には、謎のパワーが宿ってるんだ。なんたって主人公だからね」


 俺は一昨日見た映画を思い出す。あの映画の主人公も高校生だったな。だが、そうじゃない映画もある。


「高校生以外だって主人公ですよ」


「まぁね。でも、高校生は奇跡を起こせるんだ。すごくない?」


「あんたの中の高校生はどうなってんだ?」


「信用のできるソースによると、物語の中で奇跡を起こす人物たちの約七割が高校生らしい」


「どこ調べですか」


「オレ調べ」


 だと思ったよ。信用ゼロだよ。


「ていうかあんたはもう高校生って歳じゃないだろ」


「そこはご愛嬌ということで」


 使い方あってるのか? それは。

 そもそもこの男のどこに愛嬌があるのか。





 いつだったか、光希と『TSもの』について談義したことがある。

 何がどうなってそんな話になったのか分からないが、気付いたらその話題になっていた。


 『TS』とは、トランスセクシャル(性転換)の略で、要するに『TSもの』とは、性別が転じることに関する創作ということになる。


 日本に住まういわゆる〝オタク〟と呼ばれる人種の業の深さは、誰が言ったかマリアナ海溝にも引けを取らないと専ら噂されており、控えめに言って頭がおかしい。


 日本人の手によって女にされた織田信長は数知れない。


 この辺りのジャンルは区分けが難しいらしく、一つ例を挙げると、女にされる織田信長のように、名だたる戦国武将を生来の女として描くのは、正確には『女体化』であり、『TS』とは別物であるらしい。訳が分からない。


 さらに言えば、『TSもの』の中で性別を変えられてしまうキャラは、基本的にファンタジックな手段で性転換させられることが多いようなのだが、そういったものを特に『TSF(トラスセクシャルファンタジー)』と言うらしい。


 さらにさらに、『TSF』は、純粋に異性になってしまうパターン、男女間で魂が入れ替わってしまうパターン、記憶はそのまま異性となって生まれ変わるパターン、異性に魂が憑依してしまうパターンなどなど他にも様々、と言った具合に、色んな区分けがあるらしい。


 もう自分で言ってて何が何だか分からないが、そういうことがあるらしい。

 大丈夫か日本人。

 ――と、思ったけど、古代ローマ神話や、北欧神話の方にも、そういった『TSF』に類するような話はあるらしい。


 大丈夫か人類。


「そういうのって、王子はどう思う?」と、光希は俺に言った。


「怖い」 


「え? そ、そうかな」


「なんで織田信長を女にすんだよ。やめてやれよ。可哀そうだろ。織田信長も天下取った時まさか未来で自分が女にされるとは考えてなかったと思う。怒るぞ織田信長、怒ったら多分怖いぞあいつ」


「いや、それはボクに言われても……。あくまで創作の中の話だし」


「まぁ、確かに」


 個々人が楽しむ分には自由だ。表現の自由だ。

 憲法でそんなもん保証するから織田信長が女にされたとも言える。

 織田信長は憲法の被害者だ。


「じゃあさ、もし王子が女になったとしたら、どうする?」


「女湯に行く」


「え」


「いや、行くでしょ。お前は行かないのか?」


「え、いや、それは、女の人たちにも悪いだろうし。あんまりそういうのは……」


 光希は顔を赤くして、明らかに動揺しながら言った。


 ほら、これだよ。こういう所が『むっつりスケベ』なんだこいつは。

 男と男の会話なんだから隠さなくてもいいのに。

 こういう奴に限って裏ではエロに興味津々で、ニッチ過ぎる性癖をひとり抱え込んで熟成させていたりするんだ。


 俺は知ってるんだぞ。

 この前、俺が部屋を出たタイミングで、俺の部屋にあるエロ本を食い入るように見てただろお前。

 俺が戻って来たら慌てて隠してたけど。全く、見たいなら見たいと言えば貸してやるのに。


「合法的におっぱいが見れるんだから見るでしょ。より取り見取りだ。女湯入ったことないから知らんけど」


「……つまり王子は、別に、女湯を覗いたりしたことはないんだよね」


「当たり前だろ。俺は紳士だ。犯罪に手を染めることはない」


 そこで光希はホッとしたような表情を浮かべる。こいつは俺のことを何だと思っているのか。

 一つ、言っておかねばならないようだ。


「確かに俺は女湯を覗きたい。覗きたいが、覗くことはしない。何故か? それはしっかりと俺が己を律しているからだ。健全な思春期男子高校生というこの身から溢れてやまない情動を、しっかりと抑え込み、制御しているからだ。確かに俺はエロいことに興味津々で、スケベだ。認めよう。それは認めよう。だが俺は、その上で紳士なのだ。人の道から外れることはしないのだ。俺は運命の相手と結ばれるその時まで、純潔を保つつもりだ。つまり、スケベだが、紳士だ。スケベ紳士だ。おうけい?」


「お、おーけー……」


 光希は俺の勢いに圧倒されつつも、頷いた。失礼、少し興奮してしまった。そして光希は言う。


「えっと、結局王子は、女の子の胸、見たいの?」


「むしろ見たくないの?」


「え、いや、あー、うん、見たいかも」


 見たいかもって何だよ。ハッキリせんかぁッ! 全くこいつは……。

 一つ、言っておかねばならないようだ。


「俺さ、おっぱいって凄いと思うんだよ。なんというか、こう、もう言葉としての響きからしておっぱいっておっぱいじゃん? 何を言ってるか分からない? いや分かるだろ。 ひらがなで、四文字すべてに無駄がないんだ。この四つの内、どれとして一つ欠けてもおっぱいにはならないんだよ。おっぱいは、おっぱいなんだよ。そして、実物だ。本物のリアルおっぱいは、このおっぱいという優雅な響きの名に恥じぬだけの魅力を持ってるんだよ、おっぱいは。まず、やわらかいだろ? ……触ったことないから知らんけど。そしてあの形だ。なんというか、こう、曲線美というか――」


「分かった! 分かったから! ほんとに王子はおっぱい好きだよね……」


 『は』って何だ、『は』って。俺がおっぱいを好きなんじゃない。

 人類がおっぱいを好きなんだ。おっぱいがなきゃ、人は生きていけないんだぞ。

 おっぱいを舐めるなよ。おっぱいを舐めていいのは赤ちゃんだけだ。

 …………俺も舐めたいけど。


 クソしょうもないことを考えてしまった。


「……やっぱり、大きい方がいいの?」


 恐る恐るといった感じで、光希が言った。


「そうだな、大きいのも良いし。そして小さいのも良い。ちょうどいいサイズのも良い。俺はおっぱいの全てを愛する」


「へ、へぇ……。そっかぁ」


 それから、光希は少し何かを考え込むようにしたあと、こう言った。


「じゃ、じゃあ、さ。もしも、仮にの、話だけど、ボクが突然女になったとしたら、王子は、どう思う?」


「お前が女に……?」


「う、うん」


 俺は光希の顔をジッと観察した上で、結論下す。


「物凄い美人になりそうだな」


「ぃえっ!?」


 目鼻立ちのハッキリしたさわやかな顔立ちのハーフ。

 青みがかかった瞳と明るく艶めいた髪。

 今はこの類い稀なる容姿で数多の少女を虜にしている光希だが、この特徴を維持したまま女になったら、それはもう可愛くなることだろう。

 その時は、数多の男共を惹きつけてやまない罪な女になると容易に予想できる。


 女になった光希というのが、俺には不思議なほどありありと想像できた。


 その容姿は、まるで――。


 まるで……、ん? 


「……ん?」


「あ、あははーっ! 何言ってんだろうねボク! ボクが突然女になるなんて、そんな漫画みたいなことある訳ないよね!」


「あぁ、うん。そうだな」


 どうしたんだこいつ、急に慌てて。お陰でたった今自分が何を考えてたのか忘れてしまった。


 何かが頭に引っかかったはずなんだけど、なんだ……? なんだっけな……。


 確か、光希がもし女になったとしたら、的なことを考えてる時に、何かが脳裏にチラついたんだ。


 まぁでも、現実におけるデリケートな話とは別にして、ある朝起きたら突然女になっていたなんてファンタジックなこと、現実にある訳ないし、深く考えるようなことでもないか。



 ●



 ある朝起きると、私は男になっていた。


 中学三年生の卒業も近付いた時期、日本から遠く離れた地での自室のベッドの上、夜空に王子くんと早く再会できますようにと願った翌朝のことだ。


「!? !? !?」


 胸を触ってみる。ない。硬い。


 下腹部の辺りを確かめてみる。何かある。実物を見たり触ったりしたことがないから分からないけど、たぶんアレだと思われる。


 背も伸びていた。視界に映る景色がいつもと微妙に違う。


 体も全体的にゴツゴツしてる。違和感が凄い。


 色々とリアルではあるが、夢だと思った。

 思ったが、そんな私の思考に何かが引っかかる。そして思い出した。


『お星さまに願う恋~恋の試練、真実の愛を求めて~』のことを。


 あの話は、私が小学校に入る前に母様に描いてもらった絵本『お星さまに願う恋~運命の出会い~』の続きとして、私がもう少し大きくなって字もちゃんと読めるようになった頃、母様が作成した絵本になる。


 絵本というよりも、むしろ漫画に近い作りで、とても感動的で素晴らしい内容だったが、ラストシーンは母様の趣味(TSBL)が爆発していた。


 当時は何のことかよく分からず、ただドキドキしながら、これは本当に読んでも良いものなのだろうかと思いつつも、ページをめくる手が止められなかったが、今になって思うと中々に業の深い作品だった。

 小さな娘になんというものを読ませてくれたのだ、あの母親は。


 私のメルヘンチックな恋愛観や、少々歪んでしまった趣味嗜好は、母様の影響を強く受けていることが分かる。

 母様は、私にとって、とても素敵な憧れの女性であることに間違いはないのだが、どうにも個性的である。

 そんな母様の娘が、私だ。


 そして、今の私が置かれている状況は、あの作品のお姫さまと似ているという訳だ。

 王子さまと結ばれるも、悪い魔女によって男に変えられてしまったお姫さま。


 もし、私がこの姿で、王子くんと再会したとして、彼は私のことに気付いてくれるだろうか。

 作品の中の王子さまも、最初は気付かなかったが、最後にはしっかりと気付いてくれた。

 二人は熱いキスを交わし、そのまま――。


「顔、まっかやなぁ」


 すぐ近くでけらけらと笑う楽しげな声がした。


「ひゃぁっ!?」


 思わず喉から飛び出た声が、聞き慣れた私の声音より少し低かった。


「あ、すまんすまん。驚かせてしもうて」


 そこにいたのは、可愛らしい女の子だった。

 小柄で、華奢で、小学校の低学年くらいに思える。黒髪のおかっぱで、どこか日本人形を思わせる顔立ちなのに、洋風の派手なドレスに身を包んでいた。


 少女は、直径五センチほどのハート型の石を手の平に乗せていた。

 石の白を基調としたザラザラした表面に、『姫』という字が、おそらくマジックペンで記されていた。


 少女はベッドの側に立っており、私の顔をジッと観察するように見ながら「ふぅむ」と唸る。


「流石、ルシールの娘やな。男になってむっちゃ美人。もう王子さまやん」


 ルシールとは、母様の名前だ。


「か、母様の、知り合い……の方ですか?」


「せやで。ウチとルシールは学生時代の親友や」


「学生、時代……?」


 私は改めて少女を見る。どう見ても小学生だ。私より歳上には思えない。


「えっと、あなたのお名前をお聞きしても……」


 すると少女は嬉しそうに頷いて、驚くようなことを言うのだった。


「ウチは星愛せあ、マジもんの魔法使いや」

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