3 プリンスとプリンセス
〇
俺、星野王子は、運命の相手を追い求める健全かつ優良な男子高校生である。
こういう俺を見て、こんなことを言う奴がいるかもしれない。
そんな都合の良い運命の相手など、そうそう簡単に現れる訳がない、と。
女の子に自分から距離を詰めに行く勇気がないから、運命の相手だと何だのと、てきとうな屁理屈をこねて、愚かな自分を慰めているだけではないのか? と。
だが、少し待って欲しい。
思春期の健全な青少年であれば、素敵な相手と結ばれたいと思うのは当然のことであり、そもそも、簡単に現れる訳がないからこそ運命の相手なのだ。
あと一つ、大切なことを確認しておこう。
目聡い読者諸君ならもう察しているかもしれないが、俺は昔、まだ幼い頃、既に運命の相手と出会っているのだ。姫ちゃんという、世界一素敵な女の子に。
故に今の俺は、いずれ来たる彼女との再会に備え、研鑽に励み、我が身を鍛え、己を高める日々を送っている訳だ。
妙な間違いが起こってしまわないようエロ本で性に関する健全な知識を蓄え、内なるリビドーを発散し、将来彼女をしっかり養っていくために勉強に励み、そして、毎晩三十回ずつしているし、調子のいい日は五十回している、腹筋と腕立て伏せをね。
凄い奴だ、俺は。
●
私、一条院〝
学校では、私の名前は『光希』で通っている訳だが、私の本名は『光姫』である。
というか、私は学校では男だと思われている訳だが、いや、実際にも男なのだが、いや、本当は女なのだが……。おっと、読者の皆さんを混乱させてしまったかもしれない。すみません。そのあたりのややこしくも奇々怪々な事情については、後ほど伝えることができると思うので、しばし待ってもらいたい。
とりあえずこれから、運命の相手である彼と私の出会いと別れについて記していきたいと思う。
でもその前に、今からこの文章を読んでくれるかもしれない素敵な読者の皆さんに私が伝えたいことがいくつかあって、それは、恋というものがとっても素敵なもので、幸せに満ちたものであるということ、そして、そういう幸せな恋を成就させるために、真実の愛を手に入れるために、厳しくも不可思議な試練を乗り越えなければならない場合があり得るということだ。
時にそれは、その恋に秘められた愛情が深ければ深いほど、困難な試練となるのである。
●
私の家庭は少々特殊で、かの一条院の本家の生まれと言えば、大体のことは分かってもらえると思う。
母は純粋なフランス人で生まれもフランスだが、幼少の頃から日本で過ごし、中身はほとんど日本人であると言ってもいい。
そんな母は日本で父と出会い、数奇な大恋愛の末に結ばれたと聞く。
私は十六年前の夏、その二人の間に長女として生まれた。
幼い頃の私は、通っていた幼稚園でも人の輪に馴染めず、泣いてばかりいたように思う。
なにせ幼い頃の話なので、子細に物事を覚えている訳ではないが、今こうして振り返ってみて、我ながら呆れるほどの人見知りぶりだった。
父様は仕事で忙しくて家にいることは少なかったけれど、母様はそんな私にいつも優しくしてくれた。
母様は絵を描くのがとても得意で、お手製の絵本を作って、何冊も何冊も私に読み聞かせてくれた。
私が幼稚園で周りの子に話しかけられるように勇気が出るような話だとか、嫌なことがあってもそれを忘れてしまうくらいワクワクする素敵な話だとか、悪いことをすると大変な目にあってしまうんだと私に教える話だとか。
そんな母様が読んでくれた本の中でも飛び抜けて私の記憶に根付いているお話があって、それは、臆病なお姫さまと素敵な王子さまの運命の恋物語だ。
母様がつくった話なので、絵本の中に出てくるお姫さまは私そのものだった。
臆病で、怖がりで、人見知りなお姫さま。
私は両親からは『ひめちゃん』と呼ばれていたのだが、それが私の名前の『光姫』から来ているというのを知ったのもその時だった気がする。『姫』という字は『き』という読み方もあって、私の『こうき』の『き』は、お姫さまの『姫』なんだよ、と。
それを知って、飛び上がるほど嬉しく思ったことをよく覚えている。
お姫さまなんて、あの頃の女の子なら誰でも憧れてしまうものだと思う。
もちろん今の私は立派に成長したので、本物のお姫さまになりたいだなんて子供のワガママみたいなことは言わない。
せいぜい、運命の赤い糸で結ばれた王子さまのように素敵な人と結ばれたいと思うくらいだ。
母様が読んでくれたその話は、笑いあり、涙あり、感動ありの燃えるような素敵な恋の話だった。タイトルは『お星さまに願う恋~運命の出会い~』。
なんて素敵な題名だろうか。
あらすじはこうだ。
とある小さな国に、素敵な恋を夢見るお姫さまがいました。
お姫さまは臆病で人見知りで、知らない人の前に出るのがとても苦手でした。
ある日、お姫さまの誕生日パーティが開かれることが決まりました。しかし、たくさんの人が集まるパーティに、お姫さま出席したくありませんでした。
パーティの前日の夜、お姫さまが夜空を見上げると、ハート型の星が流れました。
お姫様はそのお星さまにお願いしました。
どうか、こんなふがいない私を支えてくれる、素敵な王子さまが現れますように。
そして翌日、お姫さまの誕生日パーティが開かれました。
パーティにやって来たたくさんの人が怖くなって、やっぱりお姫さまは会場から逃げ出してしまいました。
お城の裏庭でお姫さまが泣いていると、そこに一人の王子さまが現れました。
隣の国から来た王子さまで、とてもカッコいい男の人でした。
王子さまは言います。
泣かないで、君がそんな顔で泣いていると、僕が悲しくなってしまうよ。
お姫さまは言います。
でも、私、たくさんの人がいる前だと、何もできなくなっちゃうの。
すると、王子さまがお姫さまの手を握って言いました。
僕が君の側に居るよ。君が怖くならないように。
お姫さまは王子さまに手を引かれて、パーティに戻りました。
王子さまと一緒にいると、不思議とお姫さまは、たくさんの人に囲まれても怖くありませんでした。まるで魔法がかかったようでした。
その時、お姫さまは気付きました。きっと、お星さまがお姫さまのお願いを聞いて、素敵な王子さまと出会わせてくれたのだ、と。
こうして、お姫さまは楽しい時間を過ごしたのです。
そのあと、王子さまが隣の国に帰ってしまう時、王子さまがお姫さまにプロポーズしました。
あなたは僕にとって運命の人です。ずっと一緒にいたいです。結婚してください。
お姫さまと王子さまはキスをして、二人は結ばれました。めでたし、めでたし。
――と、いうような話。
このお話が私は大好きで、何度も何度も母様に読んでもらった。
このお話のように、私の前にもいつか素敵な王子さまが現れるのだろうと信じて疑わなかった。
そして、私は本当に出会ったのだ、運命の相手である王子さまと。
●
私の他人への苦手意識は、幼稚園を卒業して、小学校に入っても、中々治らなかった。
少しくらいの会話はできても、人の輪に打ち解けるということができなかった。
楽しそうに遊んでいる周りの女の子たちを見て、それが羨ましくて、でもその中に入っていくことはできなくて、人のいないところに逃げ込んではいつも泣いていた気がする。
ある日のこと、学校で嫌なことがあって、家に帰ったあとも、私は家の裏庭で隠れるようにしてこっそり泣いていた。
その時に、私は、私の王子さま――『星野王子』くんと出会ったのである。
彼は、小さな子供だから通れる隙間を掻い潜って私の家に無理やり入り込んで来たらしく、泥だらけで、かすり傷だらけだった。
突然のことに私は呆気に取られて、ただただポカンとしていたような覚えがある。
彼は私を見て、どうして私が泣いているのかと聞いた。
当時の私は、ただでさえ人見知りな上に、私が通っていた幼稚園も小学校も女の子しか通っていなくて、同年代の男の子というものにまるで耐性がなかった。
だから、彼に何かを言われても、何も言えなくて、緊張のあまりその場から逃げ出すこともできなかった。
何も言わずに泣いている私を見て、彼は言った。
泣かないで、と。
そして彼は私に自分の名前を教えてくれた。星野王子、という名前を。
王子さま――っ!
それを聞いた途端、私の中で何かが変わった。
視界は綺麗に開けて、目の前にいる彼のことがよく見えた。
泥だらけで傷だらけの顔で、太陽みたいに眩しく笑っている王子さまが目に飛び込んで来た。彼はとてもかっこよくて、私に優しく声をかけてくれた。
その時、私は悟った。これは運命の出会いだと。ついに私の王子さまが、私のところにやって来てくれたのだ、と。
君のこと、なんて呼んだらいい? と王子くんは私に聞いた。
姫と呼んで欲しいと私は言った。
●
王子くんと私の幼少の頃の甘く煌びやかな思い出について、ここに詳しく記録することは避けようと思う。
私たちの素敵な思い出話について、聞きたいと思う読者の皆さんもたくさんいるとは思うけれど、残念なことだ。
それを語らない理由は二つあって、まずこの文章の主題がそこには置かれていないということ。
そして、一度それを語り始めてしまうと、文字にして文庫本三冊は軽く超える壮大な恋愛ドラマになってしまうからである。
それをここに記録するには、多分に余白が足りない。
ともかく、私は王子くんに救われ、勇気をもらい、友達もつくれるようになったということ。
王子くんはとても素敵な人で、私にとって世界一カッコいい王子さまのような男の子であるということだけは、言っておこうと思う。
幼少の頃、私が彼から貰った数々の素敵な甘い言葉のことを思い出すと、今でも胸が熱くなる。
●
当時、私は勝手に家を出ることを許されていなくて、私とは立場の違う王子くんのような男の子と会うことに、父様やお爺様が良い顔をしないということは分かっていたから、私たちはこっそり会うことが多かった。
王子くんが私の家の裏庭に頑張って入り込んで来たり、私が人目を掻い潜って家を抜け出したり、など。
母様はそんな私のことを理解して、見守ってくれて、密かに手助けしてくれていたようだったけれど、やっぱり私たちが会うのは簡単なことではなかった。
さながら、かのシェイクスピアの名作、ロミオとジュリエットのように、大きな障害に抗うように、私と王子くんは、人の目を盗んで逢瀬を重ね、愛を育んだのである。
そんな私たちの別れは、突然訪れた。
父様の仕事の都合で、私は日本を離れなくてはならなくなった。
それを知った時、私は人生で一番泣いたと思う。
当時の私はまだ子供で、酷く無力だった。
王子くんと別れなくてはいけないことが、悲しくて悲しくて仕方なかった。
そんな風に泣く私に、王子くんは言った。
俺たちは運命の赤い糸で結ばれているから、必ずまた会える。その時は、結婚しよう。
あぁ、なんて素敵な台詞だろうか。
そのようにして、再会と結婚を誓い合い、私たちは分かれたのである。
そして、王子くんと別れた後、私は日本から遠く離れた地で過ごすことになった訳だ。
以前の臆病で人見知りのどうしようもない私だったならば、上手く友達をつくることもできず、不安に満ちた孤独を送っていたことと思う。
しかし、王子くんから勇気を貰い、人として大きく成長した私は、慣れない土地での毎日を比較的順調に送ることができた。
加えて、私は、いずれ来る彼との再会に備え、研鑽に励み、我が身を磨き、己を高めようと決心していたから、それも私の有意義な日々を手伝っていたと言える。
結局つまり、王子くんのお陰で、私は社交性のある素敵な女性に成長することができたのだ。
遠く離れていても、私と彼はどこかで繋がっていることを私は確信していた。
●
王子くんとの再会を疑っていた訳ではないけれど、中学校の卒業が近付く頃になると、私にも我慢の限界が近付いて来た。
年に一度ほど日本に帰る時も、彼と会うことはなかったし、当時の幼い私たちが置かれていた状況からして、私と彼は互いに連絡手段を持つことができなかった。
周りの友人たちが、甘く熱烈な恋愛を楽しんでいるのに、私と彼は会うことも、言葉を交わすことすらできない。
運命とは何とも理不尽なものだと思った。
友人の恋愛談を聞き、名作と呼ばれる恋愛小説や恋愛映画を嗜み、それらを参考として、彼の恋人になる者としての立ち居振る舞いを予習し、彼との甘い蜜月を想像したりもしたが、私の中の熱い衝動が収まる気配はなかった。
むしろそういう想いを募らせる度に、幾千の情動は膨れあがってしまうばかりだった。
私の彼に対するこの尊い想いを、このように俗っぽく表現することには少しばかり抵抗を覚えてしまうのだが、身も蓋もなく言ってしまえば、私は王子くんとイチャイチャしたくてたまらなかった。
手と手を絡め肩を寄せ合ってデートもしたかったし、ロマンチックな雰囲気の元で熱のこもった甘いキスもしたかったし、大きくなった彼に思いっきり抱きしめてもらいたかったし、優しく頭も撫でて欲しかったし、あれもこれもしたかった。
妄想の王子くんではなく、現実の王子さまのようにカッコいい王子くんと、である。
だから私は夜空に願った。まだ親の庇護下にある無力な私が、なるべく早く彼と再会できますように、と。
〇
俺の運命の相手、姫ちゃんについて。
たまに、彼女と一緒に遊んでいた昔のことを思い出す。
当時の俺は、若気が至りに至っており、天真爛漫というか、とにかくアホだった。
恥ずかしげもなく、至る所から仕入れたませた知識や甘い台詞を振りかざし、彼女にできる男であると、カッコいい頼れる男であると誇示しようとしていた。
全く子供だった。彼女に「今日も食べちゃいたいくらいかわいいね」だとか、「君は俺にとっての世界一のお姫さまだ」とか、「俺に全て任せてくれ、必ず君を幸せにする」だとか、そんなことを理科室の無駄に勢いが強い水道ばりの出量でよく意味も理解せず投げかけていた覚えがある。
全く以って恥ずかしい。思い出すだけで悶え死ぬ。
そういったできる男の感じだとか、かっこよさとか、頼りがいみたいなものは、己の中の男を高めていれば自然と滲み出すものであり、振りかざすものではないと言うのに。
幼い頃の記憶であるので、彼女に関して覚えていることには、所々モヤがかかっていたりする。
彼女の本名も、不自然にハッキリと思い出せない。
己の記憶力の貧弱さが憎らしい。
覚えているのは、彼女とは人目をはばかってこっそり会うことが多かったということ、彼女の名前には『姫』の一文字が入っていて、俺は彼女をいつも『姫ちゃん』と呼んでいたということ、俺と彼女が互いに運命を感じており、愛し合っていたということ。
なにせ、『姫』と『王子』だ。
運命を感じないほうがおかしい。
彼女が引越しするということで、彼女と俺の距離は引き離される運命にあったが、再び出会う運命にもあるのだと俺は信じている。
そのあたりの俺と彼女の甘ったるく煌びやかな思い出について、ここに詳しく記録することは避けようと思う。
正直、あの時の無駄に色気付いたマセガキたる俺のことは鮮明に思い出すと俺が死ぬし、いくらこんな文章に目を通している物好きの読者諸君と言えども、そんな幼少の男と女の砂糖すら吐いてしまいそうないちゃいちゃらぶらぶ♡なんて聞きたくないだろう。
そもそも、そんなことを話している余白がここにはないのだ。
彼女との懐かしの日々については、俺の胸の中に厳重にしまっておくこととする。
〇
以前、妹の白雪に、「お兄ちゃん彼女とかつくらないの?」と聞かれたことがある。
その時の俺は気分が良かったのもあって、ついつい白雪に、俺には昔結婚を約束した運命の相手がいて、彼女との再会の時が来るまで俺は純潔を保つのだと、説明したのだ。
すると白雪は、いわゆる〝ドン引き〟の視線で俺を見て、「お兄ちゃん……、絶対もうその子お兄ちゃんのこと忘れてるよ」と、憐れむように、呆れたように言ったのである。
分かってない。分かってないのだ。白雪は運命というものを分かっていない。
運命とは、必ず幸せに結ばれることが決まっているからこそ、運命なのだ。
故にこそ、運命とは、誰しもに平等に訪れるような安易なものでもないのだが、俺は既にその運命を得ていると言っていい。
これに関しては、俺の運が良かったのだと言わざるを得ない。
きっと、俺が人生をかけて類い稀なる善行を積んでいく事実を、当時の神々が予見して、運を与えてくださったに違いない。
結論として、俺は彼女との再会を待つのみ、ということになるのだ。
白雪は、そんな俺を見て大仰に頭を抱えていた。「お兄ちゃん、見た目だけはそこそこ良いのになんでこんな残念になっちゃったんだろう……」と嘆いてもいた気がする。
失敬な。
いずれ彼女にも大人になれば、理解できる日が来るだろう。
〇
ちなみに、このことを光希に話して聞かせたこともあるのだが、その時の光希は「その相手の女の子も絶対約束を覚えてるよ。きっと王子に相応しいのはその子しかいないよ。そういうのって素敵だよね」というようなことを言っていた。
流石、我が親友である。よく分かっている。
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