第13話 グランガルドへ買い物に

 魔王城を囲う立派な城壁のとなりで、ひとりの人間が鍛錬にいそしむ。

 夜明けを待たずに目を覚ましたハイドは、夜を過ごしたシルフィアと寝起きの頭が動き始めるまで話すと、すぐに体を動かしはじめていた。

 まずは、軽く息をあげる程度に走り込む。シルフィアがメイド服を脱ぎ、トレーニング用のウェアに着替えてくると、共にトレーニングをはじめた。

 ハイドは特別なトレーニングなど、なにひとつ行っていなかった。

 ただ実直に、基礎トレーニングを繰り返す。

 ラダーを利用したトレーニング。地面に置いたロープのハシゴの間に足を出し入れしながら走ったり、ジャンプしながらハシゴの上を往復したりする運動を繰り返した。


「大丈夫か?」


 汗ひとつかかず、懸命についてくるシルフィアに聞いた。


「うん。たのしいね、これ」


 スポーツブラに丈の短いウェア、ショートパンツを身に着けるシルフィアの素肌は、朝日を受けてツヤツヤときらめく。


「いくつか道具を出してほしい」


「うん、いいよ」


 シルフィアのスキルはハイドの生活を大きく助ける。

 ハイドのトレーニングの質をあげるために、メディシンボール、バーベルとプレートを準備したシルフィア。

 魔力で道具をつくるスキル、あるいは魔力を質量に変えるスキルだろうか。そんなスキルをハイドは聞いたことがなかった。加えて、シルフィアが所持することにより、強力な使い道ができている。ハイドとシルフィアが共有する別の世界のアイテムを、この世界に持ち込むことができる。進んだ文明の利器をハイドは手に入れることができるようになっていた。


「マスター、そろそろ。市場が開く時間だよ」


 マスターと呼ばれることに慣れていないハイドは、すこし経ってから返事をする。


「汗だけ流したい」


「うん。いまはお風呂、空いてる。着替え用意しておくね。村人の服装でいい?」


「そうしておいてくれ」


「了解、マスター」


 ハイドのメイドは、非常に優秀だった。

 ふと、メイドが目を止めた。ハイドがシャツで汗をふいたときに、首元にかかっている植物のネックレスに気がついた。


「これ、どうしたの?」


「ニンファから預かっている。種の芽を出したいそうだ」


「発芽させればいいの?」


「ああ、そう聞いている」


「そう」


 シルフィアはハイドのネックレスを握ると、ハイドに近づきつま先立ちをする。


「ちゅっ」


 柔らかな唇がハイドにあたる。


「……どうした?」


「……うん? ちゅっ」


 好意はうれしいが、行動がわからなくなったハイド。しっかりと愛情は受けとめていた。華奢な体を抱きしめて、愛情を返す。


「あはっ」


 シルフィアは青い目を細めて、顔を赤らめた。


「できたよ。ふふっ、うれしいな」


「……種から芽が出ているだと」


「必要なエネルギーは、自然のマナでも人間のカルマでもない。あはっ、なんだろうね?」


 プルプルした唇を見せつけるように、シルフィアは指を一本あてていた。


「……唾液か?」


「……しらない」


 乙女心を読み違えたハイドは、シルフィアにそっぽを向かれて置いていかれてしまった。

 仕方なく用具を片付け、大浴場で汗を流した。

 脱衣所に脱いだ自分の服はなく、代わりに天然素材でできた緑色のズボンと茶色のシャツが置いてある。ハイドはそれに着替えて鏡を見ると、この世界でありふれた村人になった。念のため、手と顔にコゲ茶色の塗料を塗る。太陽と共に暮らす村人にしては、ハイドの肌色は焼けていなかった。

 エントランス近くのラウンジで、話し声がした。

 声からシルフィアがいることがわかったハイドは、グランガルドの市場へ行くために声をかけようとする。

 ニンファ以外の面々が集まっているなか、ルイがまっさきにハイドに気がついてふり返る。


「おにーさんだっ。えへ、お揃いーっ」


 ルイは、村娘の格好をしていた。クリーム色のワンピースに緑色のベストを着て、頭には白い頭巾をかぶり、バンドで止めている。

 ハイドと並ぶと、村から出てきた仲睦まじいカップルのように見えた。

 リースメアは目じりにしわを作ると、ハイドに声をかけた。


「ハイド、ルイを連れていってくれる? ちゃんと夜までに戻ってくるようにね」


「構わない」


 ハイド以上に外出を楽しみにしていたルイは、両手をあげて喜んだ。


「わあーいっ。デートだっ」


「あらあら、楽しんできてね。けど、尻尾と耳は隠すこと。不用意に顔を覚えられないこと。いいわね?」


「はーいっ」


 片手をあげて、ぴょこっとジャンプするルイ。尻尾がぶんぶんと揺れて、スカートが動いていた。

 それを見ていたコルトが眉を下げながら口を開く。


「天狼よ、ほかの魔王に顔を覚えられておるお主が、小僧といるところをみられては、疑われるのは小僧よ。くれぐれも気をつけよ。くふっ、すれ違っても気づかれないほど気配を殺せるお主には、わざわざ言わずとも良いのう」


 コルトは紫色の髪を揺らし、片目をつむっていた。


「ルイ、もし俺との関係を聞かれれば、妻ですとでも答えておけ。そっちのほうが自然だろう」


「け、結婚!? いつのまにか、おにーさんと結婚しちゃったの!?」


「そういう偽装だ。下手に記憶に残されないためにな」


「わふっ。……結婚ごっこ?」


「そうだ。結婚ごっこだ。俺たちは新婚で、いまから村のために買い出しにいくところだ。食べ物を買って夜には村に帰る。いいな?」


「はわあーっ。うんっ、うん! わかった! えへへーっ」


 くねくねと体を悶えさせる姿に、ハイドは不安を覚える。ルイが楽しそうだから良いかと、目をこぼした。


「えーっ。やっぱり、わたしも買い物いくーっ」


 リースメアは楽しそうなふたりに嫉妬し、駄々をこねはじめる。


「これ〝夜〟お主は来客があるであろう。うるさいのが、ふたりものう」


「やーだ。どうせ、今度の魔王の夜宴サバトの根回しでしょう。興味なーい」


「はあ、魔王とは思えぬ発言よ」


「とはいえ、脳筋ちゃんと頭ピンクちゃんは言葉通じるから、ちゃんと取り合ってあげなきゃね。ハイド、つぎの魔王の夜宴サバトに連れていってあげる。魔王全員に会わせて、次に起こす魔王の行軍スタンピードの情報もあげる。それを持って勇者総会のほうへ行きなさいな」


「すまない。いきなりのことで戸惑っている」


「あらあら、とりあえず今日は楽しんでいらっしゃい。んーっ、お小遣いあげちゃう」


 リースメアはテーブルの上に置いてあった金貨を三枚、ハイドに渡した。


「一年分の食料を買いに行かされるのか?」


「ううん、一ヵ月分もあればいいわよ。定期的に羽を伸ばしにいきたいでしょう?」


「いや、べつに」


 リースメアとコルトがハイドの今後について本気で心配しはじめ、こそこそとハイドの悪口を言いあう。


「どうしましょう、コルちゃん。ハイドに対してかわいそうって感情が薄れてきたわよ」


「小僧の適応能力が高すぎるのだ。ふつう魔王城に監禁された人間は、こんな風に図太く生きられん。自室に引きこもり震えておるはず」


「わたしも、気を遣って声をかけようとしても、いつも部屋にいないのよ。ルイちゃんやシルフィア、ニンさまと遊び歩いてるのよ」


「色好みの雄を魔王城に招き入れたのは、失敗だったのう」


「ルイちゃんはゾッコンだし、シルフィアは契約までしちゃったし、ニンさまは種を渡してるのよ。これってもしかして……」


「次はわれらが女の敵の歯牙に……」


「やだわ。愛の薄い節操のない男の子って」


 ふたりで盛り上がるところを、ハイドがこめかみに青筋を立てながら中断させる。


「お姉さまがた、愛に飢えてらっしゃるなら、いい男を紹介できますよ」


「あら、すてきな殿方の名前はなんておっしゃるのかしら?」


「ローエン・マグナス」


 ハイドは相棒である、ローエンの名前を告げた。

 リースメアではなく、コルトを注意深く観察する。


「顔芸勇者くんは、ちょっと」


 魔王がしたたかに断ると、ルイとシルフィアが「笑っちゃ悪いよ」と言いながら顔を背ける。

 コルトは「……マグナス、はて」と頭をかしげていた。その表情は、心あたりがあると言っている。

 笑い声が途絶えたとき、ハイドは誤魔化すための曖昧な笑みを浮かべてから言った。


「シルフィア、グランガルドまで願えるか」


「うん。いま、繋ぎ先を探してるよ。町はずれの公園でいい? 鍛冶屋が集まっている区画の近く」


「そこで頼む」


「了解、マスター」


 シルフィアは目を閉じると、魔方陣を浮かばせ魔法を唱える。


「では、助手よ。買い出しを頼むぞ」


 コルトが渡してくるのは、買い出しのリスト。厚手の紙に、ふたり分の筆跡があった。


「妖精からも預かっておる。頼んだぞ」


 紫髪のヴァンパイアは、ポケットから金貨を出しハイドに預けた。


「やれやれ、人使いの荒いところだな」


「うふふっ、観念なさい。あなたはわたしの大事な仲間なんだから」


 リースメアがソファのうえで足を組み変えながら言っていた。


「了解。仲間のためにも、買い出しに行ってくるとしよう」


「行ってらっしゃい、マスター。気をつけてね」


「天狼よ、小僧のいうことを聞くのだぞ」


「うんっ! いってくるねーっ」


 手と一緒に尻尾を振るルイを見て、リースメアとコルトは苦笑いをしてから、頬をほころばせる。


「ふうむ。次のためにも、尻尾と耳を隠せる術を考えるか」


 コルトがルイのために、なにか手だてを作ろうとしていた。


「繋いだよ、マスター」


 シルフィアが魔法を完成させると、門が現れる。開け放たれた門のなかに見えるのは、遠くの景色。揺らめく水面に映ったようなグランガルドの風景が見えていた。

 ハイドはシルフィアの視線から、なにかを訴えたがっていることを察し、耳を寄せる。


「昼過ぎに、ギルドの酒場へ。ローエン、いるよ」


 シルフィアはハイドにしか聞こえないように言うと、片目を閉じた。

 ハイドが口元を緩ませる。それだけで、メイドは満足していた。


「行こうか」


 ハイドはルイの手を握り、扉の前に立つ。


「うんっ、旦那さま!」


「足元に気をつけろよ、嫁さん」


 ハイドとルイは歯を見せて笑い合うと、同時に門に飛び込んだ。

 門を閉じたシルフィアは、すこしだけ唇を尖らせた。その様子を見た魔王がため息をつく。


「ごめんなさいねシルフィア、あなたを行かせてあげたかったのだけれど」


「ううん、いいよ」


「天使よ、お主の力がどうしても必要でのう」


「うん。見えてるよ。この世界、変わらず終末に向かってる」


 シルフィアが指を鳴らすと、いくつもの鏡が現れる。そこには、いまにも世界の中心となりかねる場所を映していた。


「止めなきゃね。やっぱり鍵を握るのは〝〟と〝〟、それにわたしのアサシンかな」


「勇者を育てねばいかんのう」


「ローエンくんは甘えを捨てるように種を撒いた。ハイドはもう完成してる。となると次は、アマネちゃんかなー?」


「〝〟と〝〟に好かれた勇者か」


「そうそう。アマネちゃんを守らないと……死ぬわね」


「今日、ハイドとエンカウントさせる予定」


 天使は、感情の無い言葉をこぼす。


「ふぅん、そういうこと。さすがシルフィア、盤面の一手が最適。うん、それでいきましょう」


 リースメアは顔を横に振り、髪を振り乱した。


「あーあ、やだなあ。盤上は広く見えてる。最高のカードを一枚、手に入れた。後は、運かしら」


 夜の魔王は、世界を見据える。それを支えるのは天使と吸血姫だった。

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