第12話 暗殺者と天使

 ハイドが魔王城で過ごす、二度目の夜。

 自分の寝室で窓も開けず、暗い室内にいた。

 念入りに時間をかけて体のストレッチを行った後、ベッドに使用感を出し、自分は入り口の横に配置された空っぽのクローゼットに入り、体を休めていた。

 友好関係にあるとはいえ、魔王城内で気を抜ける場所はハイドになかった。いつ、だれに襲われたとしても反応できるようにしている。

 長い経験に染み付いたハイドのクセ。人間は睡眠が必要なせいで、寝るときが一番無防備になる。その時間をなるべく減らし、襲われても相手を返り討ちにできるような対策はとっておく。暗殺者には、それが常だった。

 ハイドが目を閉じて一時間もしないうちに、寝室の扉が静かに開く。まだ眠っていなかったハイドは、足音に反応して来客を予期していた。

 忍ぶように足音を消している誰かが、ハイドのベッドへと近づく。

 ハイドは無音でクローゼットから出ると、姿勢を低くし来客者の背後から襲いかかる。


「シルフィアか」


「……びっくり」


 ハイドはベッドのうえでシルフィアの両腕を膝で押さえつけ拘束し、マウントをとっていた。

 念のため手になにも持っていないこと、武器を所持していないことを確認して、拘束を解いた。


「すまなかった」


「ううん。気づかなかった」


「俺は、そういう風にできている」


「すごいね」


 メイドは上体を起こすと、みだれた服装を手早く整える。

 そしてハイドのベッドに横たわると、ハイドを誘った。


「寝よ?」


「寝るといい。一日働き、お疲れだろう」


「まだ、寝ない?」


「じきに寝るさ」


「安全だよ。中から、結界を張ってる。音も、漏れないよ。だから、休んでほしい」


 メイドの懇願に負けたハイドは、しぶしぶベッドに腰をかけるとシルフィアに背中をむけて腕を組む。首から力を抜くと、目を閉じた。


「……ちがう。寝かせるよ?」


 ハイドがメイドに「どうやって」と聞く前に、メイドは動く。

 後ろから抱きつきハイドをベッドに押し倒すと、今度はメイドが馬乗りになる。

 メイドの青い目が怪しく光った。

 シルフィアは口をあけて、ハイドを誘う。メイドは、男好きする容姿をしていた。 


「よせ」


 ハイドが目をそらした隙だった。

 シルフィアは、スカートのなかに手を入れて、なにかを取り出した。


「わかった。今日のところは……は?」


 ハイドは驚愕する。メイドの行動と、メイドが手に構えているものに。


――ハンドガン


メイドはハイドに向けて、銃口を向けていた。


「あはっ」


 ハイドの頭は情報を追いかける。メイドが手に持っているハンドガンにセーフティーはない。トリガーが重い代わりに、安全装置が取り外されている。特殊部隊にも愛好者の多い銃だった。

 十七センチほどの黒い鉄の塊を、正しく両手でハイドに向ける。メイドの指はトリガーにかかっていた。


――ダンッ


 乾いた音。

 硝煙の匂い。

 穴の開いた枕。

 銃声が響き渡った後には、ハイドとメイドの立ち位置は逆になっている。

 ハイドはメイドから奪った拳銃のマガジンを引き抜き、給弾されていた弾を抜くとスライドをフルオープンさせてベッドに銃を放り投げた。

 メイドはベッドのうえで横になり、青い目をぱちくりとさせている。

 銃声はハイドの本能を呼び起こしていた。

 トリガーが引かれる瞬間のハイドは、銃口から弾道を読み、銃弾を躱す。跳ねあがった銃身の制御を持て余したシルフィアから、銃を奪い無力化した。

 ひどく興奮したハイドは、ベッドに横たわるメイドを強引に抱き寄せる。細い腰に手を回し、力任せに抱き寄せて言った。


「よこせ」


 ハイドとメイドは、ぴったりと下半身をつけ合わせるほどに密着する。


「俺に銃を寄こせ」


「銃、だけでいいの?」


 メイドは細い腰を反らしハイドの腕に体重をかけると、両手をハイドの首に回した。


「いいよ。ぜんぶ、あげる」


 シルフィアの右手には、新しい銃が握られている。

 グリップから手を離し、ハイドのベッドに落とした。


「スキルだよ。この力、あなたに役立ててほしくて取ったよ。だから、使って。使い潰してもいいから、あなたの側にいさせて。ダメ?」


「お前が欲しい、シルフィア。……だが」


 天使はハイドがなにを言うか知っていた。

一度裏切りで痛い目をみたことがあるハイドの信頼は、得難いものだった。


「……うれしい。信じてもらえるなら、ぜんぶ差し出すよ。もう一回、求めて」


 シルフィアの背中から黒と白、二対の大翼が生える。

 ハイドは純情な天使を、心の底から求めた。


「俺にシルフィアのすべてをくれ」


「差し上げます」


 美麗な天使は、ハイドを求める。

 契約という名の口付けが交わされた。


「んっ。できた。契約の証」


 シルフィアは、小さな口を大きく開ける。シルフィアの舌には模様が浮かんでいた。


「服従の契約印、だよ。もう、あなたに逆らえないね。あはっ」


 歪に交わされるふたりの絆を、天使は喜んだ。

 ハイドの天使は、ベッドのうえで膝を揃えて座ると、ハイドを手招きする。


「おいで。一晩中、見ててあげる」


「寝ないのか?」


「うん。睡眠、いらないの。だから、寝てるあいだ、守れるよ。安心してほしい」


「そうか」


 好意に対して、ハイドは応えようとする。

 ゆっくりとベッドに横になる。頭を抱えられたハイドは、シルフィアの膝に頭をのせた。


「……あはっ。おやすみ」


「おやすみ」


 ハイドは目を閉じた。シルフィアの呼吸音や衣擦れの音は、なぜか気にならなかった。

 ひさしぶりに夢がみれるほど眠れそうだと、ハイドは思っていた。


――ドンッ


 豪快に、部屋の扉が開く音がした。


「防音で閉じこもって、結界まで張って! やらしーっ!」


 束の間の平和すら邪魔してくるのは、やはり魔王だった。

 悪夢は、天使の結界を壊してまで入室してきたらしい。

 髪色よりも深い赤色のパジャマ姿で、魔王は仁王立ちする。


「聞いたわよ、ハイド。食べ物をさがして一日中うろうろしていたって」


「間違っては無いな」


「ごめん。すっかり忘れてたわ」


 あっけらかんと魔王が言うと、天使がにこやかにほほ笑む。


「あはっ。買ってこないとだね」


「ええ、それでハイド。明日は街に行ってきなさいな。イリアスール王国の王都か、商業都市グランガルドの市場で食料を買ってきなさい。そのあとは自由にしていいわ。昼間は他の魔王が来るから、深夜に帰ってくること。いいわね?」


「外に出て良いのか?」


 捕虜の生活を想像しているハイドは、仲間として受け入れられはじめていることに疑問を持っていた。


「まったく構わないわよ。あっ、でも夜は暇だからいて欲しいかな」


 下唇に赤い舌を這わせる魔王。べつの意味で夜のお供をしてほしいという意味だった。


「ローエンくんとパーティーは組むのはダメ。でも、ローエンくんと遊びにいくのは良い。このぐらいのラインかしらね。だから、教会が勇者を集めるときやスタンピードが起こった場合は、行ってもいいわよ。もちろん、わたしのスパイとして働いてもらうけど」


「送り迎え、やるよ。呼んでくれれば、反応できるし、通話できるよ。マスター」


 シルフィアからの聞きなれない単語に、リースメアとハイドは止まった。


「あらあら。おふたり、もしかして?」


「うん。ご主人さま」


「俺のことか」


 ベッドに座っているハイドに、メイドは寄り添う。


「離れられない。……あはっ」


「うふふっ、よかったわねハイド。これってもしや、魔王城が攻略されているのかしら」


「さてな。攻略されているのは、どっちだか」


「あらあら、かわいくないなあ」


 赤い瞳を光らせるリースメアは、後ろ姿で手を振るとサキュバスの尻尾を振りながら去っていく。


「今度は三人で楽しみましょうね。おやすみなさい、ハイド、シルフィア」


「うん、三人で。おやすみ」


「……殺される」


 ハイドはゲッソリして体が重かった朝を思い出した。


「鍛えなきゃ」


 メイドが握りこぶしを振りながら、ハイドを励ます。


「そのうち頑張るさ」


「んーん。いまから、がんばろう?」


 天使な彼女の、悪魔な誘惑。

 ハイドは自分のなかの男のプライドを総動力させ、ようやく頷いた。


「あはっ」


 シルフィアは、天使か悪魔か。その答えは、ハイドだけが知る。

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