第14話 ルイの夢

「ルイ、これが何か知っているか?」


「うーん? 知らなーい。でも、おいしそうな香りがしてるっ」


「コロッケという。俺たちのごちそうだ」


 村人の姿のハイドは、両手にコロッケを持っていた。こうばしく揚げられたコロッケをひとつ、ルイに手渡した。ルイは両手で持つと、鼻を近づける。


「あぐっ。んまーいっ」


 コロッケにかぶりつく。さくさくとした食感とほくほく熱い芋を味わっていた。


「熱いぞ」


「ほふっ、らいじょーぶーっ」


 口いっぱいにコロッケを詰め込み、足をぱたぱたと交互に動かすルイ。唇には食べカスがついてしまっていた。ハイドは右手を伸ばすと、ルイの血色のいい唇を拭う。


「んーっ」


「とれた」


「えへっ、ありがと」


「どういたしまして」


 村娘の姿をしたルイ。いつものロングヘアは、三つ編みにして横に流していた。頭巾をかぶり、長いスカートを履いているせいもあり、きれいな顔をしたお嬢さんにしか見えない。


「おにーさん、あと買い物はどのくらい?」


「コルトとニンファからの依頼物が少し残っている。魔術師教会の近くにある通りならば、クスリや魔術の媒体になりそうな品物を取り扱っているはずだ」


「食べ物はもういいの?」


「ああ、必要なものは買った」


 グランガルドで開かれた朝市の露店で、ハイドはいくつもの品を買った。

 小麦や乾燥させたフルーツ。干し肉、チーズといった保存食をはじめ、血を抜き羽をむしった鳥を丸々二匹。砂糖とはちみつ、新鮮な卵をたくさん。これらは、すべて魔王城のキッチンに送り届けられる。ルイが持つ魔法のポーチは、魔王城のキッチン横のチェストつながっていた。

 城のキッチンでは、シルフィアがひとり食料品の整理をしていた。かいがいしく動き回ることはなく、片目を閉じたまま指先を遊ばせることで食料品が勝手に棚に収まっていく。閉じた目が見据える先では、自分の主が狼の少女とコロッケを分けあっていた。「むう」と唇を突き出しながら、メイドはマスターのために働いていた。

 ハイドとルイは両脇に店舗が並ぶ小路を、人の波に押されながら歩いていた。荷車を押しながら仕入れをする者が多かった朝市とは狭さが異なっていた。

 ルイは人混みに慣れておらず、街商人とぶつかりそうになる。それを驚いて避けると、今度は後ろを歩いていた魔法使いにぶつかってしまった。


「連れがすまない」


 ハイドは会釈すると、ルイの肩を抱き寄せる。

 ハイドの右腕にすっぽり収まったルイは、ハイドのリードで歩かされていた。だれともぶつからないので、ルイはすっかり安心していた。

 ハイドは魔術師教会と錬金術師協会のマークが入った商店に入ると、陳列してある棚をざっと見まわし、商品を不必要に手に取りながら、目線だけを動かした。店の窓から、大勢の人が往来している小路を観察していた。買い物客として自然に振舞いながら、万が一の追跡者の可能性を探っている。

 ハイドは、仲間を狙う敵の存在を常に警戒する。もし、敵を見つけたのならば、ハイドはすぐに追う側に化け、慈悲のない拷問で口を割らせ目的を吐かせるだろう。

 ルイはハイドの様子を見つめながら、良き隣人であり続けようとした。不慣れながらに耳と尻尾を動かさないようにがんばっているが、ハイドに肩を抱き寄せられたときは尻尾が揺れて止まらなかった。股に挟んで尻尾を止めようとしたルイだったが、ハイドがルイの真後ろに立ち、他からの視線が通らないようにしてくれていた。


「はい、どうぞ」


 クスリ屋の店番をしている恰幅の良い女性が、小瓶にはいった種をハイドに差し出す。ハイドは銀貨を六枚差し出した。


「これで全部だ。長くなって、すまないな」


 店の外に出ながらハイドはルイに声をかける。


「いいんだよ。ルイはね、おにーさんとこうやって街を歩けて楽しいんだ。ねっ、おにーさんと少しだけお話がしたいの。どこか座れるところないかな?」


「そうだな。こっちに、たしか」


「うんっ」


 ハイドがルイをリードすると、ルイはハイドと並び歩いた。

 真上を過ぎた太陽のまぶしい時間帯、グランガルド中央に位置する広場には人が集まっていた。

 広場に隣接する立派な教会からは、祈りを終えた聖職者や冒険者が出てくる。

 中央にある噴水を大きく囲むように屋台が並べられ、肉の串焼きや焼き立てのパン、果物やはちみつミルク、チーズの挟んだパンを売っている。人気があるのは、肉を取り扱う屋台だった。串焼きだったり、煮込んだ塊肉を目の前でカットし葉っぱに包んで渡したりしている。

 ルイは、焼いた豚肉に塩をかけて売っている屋台の前で立ち止まった。

 石造りの竈のうえに、大きな金網を載せ、豚肉の塊を豪快に焼き上げていた。じっくりと炭火で焼いた肉に、燃えた藁で叩いて香りをつける。脂身に黒い炭の色を付けた肉塊に、まんべんなく塩を振りかけた後、ブッチャーが使用する分厚く大きな包丁で、叩きつけるように肉を刻んでいた。カットされた豚肉の表面はカリッと焼きあげられている。中身はロゼ色になっており、断面からは肉汁が染み出していた。


「きゃんっ」


 ハイドはルイの尻尾を強引に触って止めると、背中を弓のように反らしたルイを押した。

 ハイドは、ルイの正体がバレることではなく、獣人族の少女といる村人という、周囲にいる人間の記憶に残りやすい存在になることを嫌っていた。

 さきほど食べカスがついていたルイの唇。同じところに、よだれが垂れていた。ハイドは袖でぬぐってやる。ベットリとルイのよだれがついても、ハイドは気にしていなかった。


「いくらだい?」


「五百ソルタだ。うれしいねえ。お嬢ちゃんに、そんなうまそうに見られちゃ、やる気もでるってもんよ」


 ハイドは熊のような図体をした店主に銅貨を五枚渡した。

 大きな店主の手は、豚肉の塊を繊細に切り分ける。豚肉の脂の多い部分と赤身の多い部分をそれぞれカットし、一本の木の串に刺してくれる。

 店主の動作を目で追うルイが可愛いかったのか、串を一本おまけしてくれていた。


「ほらサービス。良い彼氏を持ったなあ。たくさん食べてくれよな。おいしかったら、あっちの肉屋通りの角の店で、肉を買って帰ってくれ。塩漬けの肉も、干し肉もあるからよお」


「おいしいーっ。おじさん、ありがとっ。あとね、違うよ。彼氏じゃないよ。……旦那さん」


 ルイの笑う姿は、肉を売る屋台の店主も、すれ違う若い男の冒険者も、となりにいるハイドをも魅了した。ルイが結婚していることを知ると、若い冒険者の魅了の魔法は解けて、歩いて行ってしまう。魅了が解けなかったのは、ハイドだけだった。


「兄さん、幸せものだねえ」


「おかげでな。すこしでも良いものを食わせるために、汗水たらして働かないと」


「ガハハ、違いねえな。ほら、兄さんもひとつどうだい」


「頂こう。俺の分は、残らなさそうだ」


「あーっ、ごめーん。えへっ、おいしくて」


 両手に串を持ったまま赤い舌をチロリと出すルイに、つられて笑うハイドだった。

 広場の噴水縁に腰をかけるハイドとルイ。


「あぐあぐっ」


 上機嫌に足を遊ばせながら、ルイは肉をかじる。

 しばらく沈黙が続き、ルイはそわそわとしながら、お尻ひとつ分の間を詰めた。ハイドの膝に手を置くと、上目遣いでルイは言う。


「あのねっ、おにーさん。ありがとう」


「俺は、なにもしてないぞ」


「ううん。今日のことはね、ルイ、ぜーったい忘れないんだ。ずっとこんな日が来たらなって思ってたの」


 ルイは両手の肉を串だけにすると、ハイドの肉に目が移る。ハイドはもう一口だけかじると、残りはルイにあげた。


「ルイね、言葉を話せなかったの。人の姿もとれなかったの。でもね、まおーさまがね、がんばれって言ってくれて、ずうっとがんばってきたんだ。言葉の勉強はむずかしいし、獣化は簡単だけど、獣人化はすっごく不便だし。何回も逃げちゃったりしたんだあ。そうするとね、果物を持ってリンゴちゃんが追いかけて来てくれたり、おねーさんがね。あっ、コルトおねーさんがね、お薬で体の形を変えてくれて、馴れさせてくれたりしたんだよ。ルイがいまの姿が欲しくて、がんばれなかったのに、みんな応援してくれるの」


 頭の上に耳の生えた女の子と人間の男の子が遊んでいる様子が見えた。ルイは目を細めていた。


「どうしてルイは、人の姿になりたかったんだ?」


「わふっ。んーとね、んーとねえ。いつか、人間の男の子にありがとうって言いたかったんだよ。おにーさんっ」


 無意識にルイはお腹を押さえていた。

 ハイドは、腹が鳴ったのかもしれないと思った。


「ちょっぴり勇気が足りないけど、ルイはこれでいいんだよー」


「……そうか」


「うんっ。そうなのだっ」


 噴水が打ち上げる水がルイの後ろでキラキラと光を反射させる。いつも明るいルイが、さらに明るく美しくハイドの目に映った。


「ルイはね、おにーさんを助けるよ。なにがあっても、助けるよ。おにーさんが、このまま戻りたくないって言うなら、ルイはね、おにーさんについてくよ。誰を敵に回しても、誰が敵に回っても、ルイはおにーさんの背中を守りたいんだ。ねっ、ダメ?」


 ルイからあふれ出る愛から、ハイドは逃げられなかった。

 すとんと、ハイドの胸の内にしみ込んでいく。


「ムリはするなよ」


「それは約束できないね、旦那さん」


 ハイドはルイの脇を肘でつつくと、くすぐったそうにルイは笑い声をあげた。


「ルイは、おにーさんに首輪をつけられてしまってるんだよー」


 平和なグランガルドの街ではよく見る、村から街に遊びにきた村人カップルの姿だった。

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