第12話 きっと世界が変わるから……

僕は美容室で今、髪を切られている。鏡に映る自分は高校の頃みたいだ。


僕は物心付いた頃から可愛い物が好きだった。


…とは言っても、可愛いものが好きなだけで「女の子になりたい。」みたいな願望は微塵もなかった。


僕は自由な母と真面目な父の間に産まれた。

中性的な『薫』というのは、将来この子が好きな道で生きて欲しいと母が決めたものだった。


勿論、父さんは反対した。「もっと男らしい名前にしろ」とか言って、しかし父も母さんが自分の意志を曲げない人だと知っていて、直ぐに折れたらしい。


母は小さい頃から僕に料理を教えてくれた。お菓子作りなんかも、だから僕は自慢じゃないが料理が得意だ。


しかし、父は前時代的な人で「男なんだから、家事は女にやらせておけばよい!」と文句を言っていた。


実際、最初は父が働いて母が家事をという家庭だったが、僕が中学生になると母は働きに出ていた。


その頃の僕の趣味はというと、お菓子作りにぬいぐるみ集め、ただ男子ぽい趣味もあって、だから別に学校で男子女子両方と話が合ったので、何方かに友人関係が偏る事は無かった。


まぁ、でも僕の趣味を男の癖に気持ち悪いという奴もいた。でも僕は気にしなかった。


ただ女装の切っ掛けになったのはインターネットで見た記事だった。


『女の子にしか見えない男の娘!』それが女装の切っ掛け──僕も、こんなに可愛い服を着てみたいと思った。


最初は隠れてやっていたが、女性ものの服を買っている事を母にバレてしまった。


しかし、母は協力的で僕が可愛くなれる様色んな事を教えてくれた。永久脱毛やら化粧の仕方なんかも教えてくれた。


それを知った父は激怒、「男の癖に女の子格好するなんて、恥ずべき事だ」と…それから僕は女装を辞めて、高校三年間を過ごした。


それが切っ掛けで揉めて両親は離婚、しかし、母は父が仕事の時を見計らって会いに来てくれていた。


その時は女装して母と出掛けていた。勿論、知り合いにも会う事はあったけど誰も僕だとは気付かなかった。


勿論、この時も僕は男の子でいたくないとか、女の子になりたいなどという気持ちは無くて、ただ可愛くなりたいという事だけだった。


そもそも僕には性別という概念が無かったんだと思う。だけど、高校三年間の僕は多分、本物じゃなかった。


高校の卒業式、僕は学ランでは無く母のお下がりのセーラー服を着た。


皆んなで過ごせるも最後だから、僕は本当の自分で高校を卒業したかったんだ。


でも、それを見た皆んなは当然、気持ち悪がって、気味悪がって離れて行った。


あの時の友人達の顔が忘れられない……でも、本当の自分になれたんだ。全くと言って良い程に、僕の胸に後悔なんてものは無かった。


それに僕は大学に行くと決めていたから、勿論、父に反対されたけど、黙って受けて僕は神慈良大学に受かった。


高校二年生の頃、母に「大学に行けばね、色んな人がいるよ。きっと薫の事を好きでいてくれる人もいるよ!」と言われたのが切っ掛けだった。


大学の費用は母が負担してくれた。というか、母の口座から自動的に引き落とされる。僕の生活費も何もかも……


だから僕は父の反対を押し切って家を出て、母が暮らしていた家へと転がり込んだ。


母は僕の為に沢山のものを遺してくれていた。だから今、僕は大事な友人達と最高の日々を過ごせていた。


母には感謝しかない。もう、ありがとうは言えないけど……


「うん、少しは男らしくなったんじゃないか?」


「父さん、僕……」


「まだ何かあるのか?お前が嫌だというから坊主は辞めてやったんだ。これ以上、何を望むんだ?」


「最後に大学の皆んなに挨拶したい……」


父は腕時計を見て、再び顔を上げて言った。


「まだ時間はあるし、私の用意した服に着替えてから大学に向かおう」


本当は江夏に「ありがとう」と「さようなら」が言いたい……──それだけだった。



俺は、一人で宇佐美が横に居る筈の席に座っていた。


「学、おはよ!元気ねぇな!」


俺の背をバシンと叩き、テンション高く横に座って来たのは純恭だった。


「そういや、宇佐美の奴は今日も来てないなぁ?風邪だったら心配だな!」


俺は何も答えない、そもそも楽しく会話をする気分じゃない。


「江夏、おはよう」


そんな時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。


俺は宇佐美の名前を叫びそうになりながらも、抑えて振り返った。


そこに居たのは髪を男の子の様に短く切った美少年だった。履いているのはスカートでは無く男物のズボンだった。


周りの女子から「誰?あのイケメン」という声が聞こえてくる。


「今日から実家に帰るから、お別れの挨拶に…でも、直ぐに帰って来るからさ?心配はしないで良いよ!」


嘘だ──分かっている。明るく振舞おうとコイツの顔には曇りがある。


「だから、江夏またね!純恭くんも、またね!…また会おうね?」


「何か知らんが、またな!」


何も知らない純恭が少し疑問に思いながら言う。俺は何も言えない、何も言わなかった。


教室の外から「早くしろ、電車の時間に間に合わない」とあの男の声がする。


宇佐美は振り返る事なく、うさ耳の付いて無いパーカーで教室の外に出て行った。


「おい江夏、宇佐美に何かあったのか?絶対に可笑しいよな?」


流石に純恭が尋ねてきた。

俺は黙っておくのが良いかと思ったが純恭も一応、宇佐美と関わりがあるんだしと俺は口を開いた。


「宇佐美のやつ、大学辞めるんだよ。まだ決まっては無いけど……」


「何で?お金の問題とかか?」


「いや、宇佐美の父親が決めた事だから……」


「宇佐美の気持ちはどうなるんだよ?」


「知るかよ!俺に聞くなっ!」


俺は教室で、というか純恭だけじゃない、人に対して初めてこんなに声を荒らげた気がする。


気付けば、座っていた筈の俺は、立ち上がるのと同時に、手を机に叩き付けていた。


その音に周囲の皆んなが一斉に視線を俺達に向ける。それを気に止めず、俺は純恭に言葉をぶつける。


「宇佐美は普通でいるべきなんだよ!社会に出た時、アイツが苦労しなくて済むように……──」


皆んなの視線は俺達──いや、俺から離れなかった。誰一人として「うるさい、静かにして」など言い出す者もいなかった。八つ当たりだ……


「──宇佐美が笑顔で幸せでいる事が宇佐美の一番の幸せだろ!俺に他人の未来を歪める権利なんて──資格なんてある訳無いだろ!」


俺の声が響いた──静まり返った教室に「……っざけんなよ──」と声が小さく聞こえた。


「──宇佐美が望んだのかよ!?それを宇佐美が望んだのか!?」


──純恭だった…立ち上がり、大声で俺に向き合っている歩賀純恭だった。


「だからって、宇佐美の人生を不幸にするかもしれない選択肢を選べってのか!俺みたいな人間に──」


純恭はそれに対して再び声を荒らげた。


「じゃあお前は宇佐美に対して、そんな相当な覚悟をして関わってたのかよ!その覚悟が無くなったてのかよ!」


「そんなの考えもしなかった!俺の選択が誰かに影響するなんてさ!」


「お前は宇佐美を、友達を追わなくて良いのかよ!」


宇佐美の事は友達だ──親友だよ。だからこそ幸せになって欲しいんだろ!


「俺には…そんな権利も覚悟もねぇんだよ!宇佐美の為なんだ!」


「──本当に…お前、本当にそう思ってんのか?」


純恭の声が震えた。怒りとかだけじゃない、悲しみとか色々を抑えた声だった。


「だから、宇佐美の為だ!宇佐美が帰るって言ってた…今更、止められる訳ないだろ……」


途端、純恭に胸ぐらを掴まれた。

そして凄い力で俺の顔をぶん殴り純恭は叫んだ。


「お前に聞いてんだよ!どう思ってんのか!お前がッ!どうしたいのかをだよ!」


俺はキレた純恭を初めて見た。

それに怒りだけでは無く、悲しみの映った瞳で……


「お前には失望したよ……」そう言って純恭は教室の外に出て行った。


俺は暫く立ち上がれない。俺は馬鹿だ…分かっていた筈なのに…こんなのは宇佐美にとっての幸せではないのにと……


『きっと世界が変わるから……』


──なんて、阿呆な事を考えていた。世界が変われば、また宇佐美も好きな格好で大切な人達と笑い合えるのだと……


俺は宇佐美とずっと友達でいるって…──決めたじゃないか!


「えっと大丈夫?江夏……」


「悪ぃな藤里、俺行かなきゃ…講義必修だが行けそうにない……」


俺は立ち上がり走り出した。

そう、俺は宇佐美が居ないと立ち上がれなかった。アイツが居てくれたから大城の時だって……──


「俺のォ!バカやろぉぉぉぉぉぉぉ!」


俺は走りながら叫んだ──ただ駅に向かって走り続けた。


『世界が変わらないんなら、誰かが、自分自身が変わるしかない!』それが納得できなくとも……でも、宇佐美(アイツ)には本当の自分(アイツ)でいて欲しい!


だから『俺が宇佐美(アイツ)の世界を変えるんだ!』



電車が目の前に止まり、扉が開く──あぁ、江夏に「ありがとう」って言えなかったなぁ……


「薫、行くぞ」


先に乗り込んだ父から乗車を諭され、僕は踏み込んだ。


「宇佐美ぃ!はぁ、はぁ、はぁ……」


振り返るとそこには──息を切らした僕の親友が、僕を見ていた。


「また君か──」


その後は聞こえない、そんな言葉も俺の耳には入らない。


ただ目の前の大切な人に向かって駆け寄り……──その手を引いた。


君は僕の手を引いて走り出した。後ろから何か聞こえた様な気がしたけど、気の所為だろう──


だって……──『今、世界には僕(俺)達しかいないのだから──』



追って来ようとした宇佐美の父親の前には扉が立ち塞がった。


もう追って来ないと分かっていたが俺達は走り続けた。


ただひたすら走り、途中で疲れた宇佐美を抱き抱えて、息を切らしながら大学まで走った。


講義中の教室に飛び入り、宇佐美をお姫様抱っこしたまま「遅れました!」と叫んだ俺に──


宇佐美は「ただいま、江夏……」と微笑んだ。俺は「宇佐美、おかえり」と笑った。


遠くの席では「随分と早いおかえりだな?」と言わんばかりに純恭がニヤついていた。


その後は、教授から注意されて、今まで通りに俺達は授業を受けていたのだった。



『バッドエンドを愛して。』

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