小説1

 俺には小学校からの幼馴染がいた。その幼馴染とは同じ高校に通い、高校生になって初めて迎えた冬に……自ら命を絶った。


 彼女の訃報ふほうを彼女の父親から受けた時、電話越しから聞こえる暗く沈んだ声は今でも忘れられない。


 ――――――――――――


 通話を終えてすぐ俺は家を飛びだした。冷たい空気を顔に浴び、白い息を吐きながら彼女の家へと駆けた。


 冬の曇天が閑静な住宅街をより一層静かにさせ、足音がやけに響く。


 彼女の家に辿り着きインターホンを押す。少しした後、ゆっくりと玄関が開かれ彼女の父親が顔を覗かせた。


「やあ悠久君。久しぶりだね」


「はい、お久しぶりです…………あの…………」


「外は寒い。中に入って」


 俺は頷き、言われるままに従った。


 通された部屋は昔よく遊びに使っていた和室だ。そこには死装束を纏う人が布団の上に横たわっていた。


 彼女の父親が音を立てずに膝をつき、顔にかかった白い布を外す。幼馴染の顔だ。


「起こせば目を覚ますんじゃないかと思ってしまう……綺麗な顔だ」


「…………はい」


 彼女の顔は白肌に整えられていた。死化粧、それは首元にも施されていて、けれどそれでも首の痣は隠しきれずくっきりと残っている。


 と、後方からすすり泣く声を耳にし、振り返る。


「妻だよ。今は、会わせられる状態じゃない」


「すみません」


 余計なことをしてしまったと俺は頭を下げる。


 その後、会話が生まれることはなく、俺は線香をあげてその場を後にした。


 帰る道中、俺は何故涙が流れなかったのか、幼馴染の死に直面し悲しいはずなのにどうして、と自問する。


 俺は薄情な人間なのか……そうじゃない。多分、俺は現実から逃げているだけだ。彼女の死に顔をこの目に焼き付けた今でも容認できないでいる。空想上の話なのではないかと目を背けている。


 でも無駄だった。いくら現実逃避をしても一過性の平静しか保てない。


 家に着き部屋に戻った俺は泣いた。堰を切ったように流れる涙は止めようとすればするほど溢れ、果ては疲れて充電が切れたように寝入ってしまうほど、泣いたのだ。


 数日経ち、通夜と葬式が二日にかけて執り行われた。参列した弔問客はみな沈痛な表情を浮かべていた。


 葬儀中、彼女の母親は肩を震わせて忍び泣いていた。その痛々しい姿に涙は参列席へと伝染した。


「悠久君、少しいいかな」


 告別式も終わりセレモニーホールの外、親の車に乗り込もうとした時に背後から声をかけられた。


 振り返ると弱く笑いながら彼女の父親が歩み寄ってきた。線香をあげに行った日より明らかにやつれているのが見て取れた。


「実は娘の部屋に悠久君宛の手紙が置いてあったんだ。それを渡しておこうと思って」


「手紙……ですか?」


「うん。僕と妻に宛てた手紙と一緒に置いてあったんだ。何故か悠久君宛のは封筒がなく裸のままだったから、中を見てしまった……すまないね」


「あ、いえ、大丈夫です。お気になさらず」


「ありがとう」


 そう言って喪服の内ポケットから三つ折りにされた便箋を取り出し手渡された。


「家に帰ってからでも?」


「それがいい。じゃ、僕はもういくよ」


 これから火葬場に向かうのだろう、霊柩車に乗り込む彼女の父親。その後ろのマイクロバスに親族の方々が搭乗する。


 俺は二台がセレモニーホールから出ていくのを呆然と見送る。


 その時たまたま目に入いった車、幸せそうに笑う無関係の男女を見て、俺は得も言えない苛立ちを覚えた。


 帰宅した俺は塩で身を清めることなく、自室に戻った。


 着替えもせずベットに腰かけ、渡された三つ折りの便箋を広げる。


「――え?」


 そこには『はる君へ』としか書かれていなかった。本文はなく寂しい空白が占めていた。


 書けなかったのか、意図せず書かなかったのか。様々な考えが浮き出てはそのどれもが不明瞭で直ぐに霧散してしまう。


 ロジックアートの類で黒く塗りつぶせば文字が現れるのでは? そう思い裏面に手の甲を滑らせるが凹凸はなく、滑らかだった。


 結局、いくら考えても答えは導きだせなかった。


 ただひとつわかったことと言えば、彼女の死をきっかけに俺は彼女がよくわからなくなってしまったということだ。

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