岡田紀夏は焦らない


 うちからみた、森山伊秋という男の人は、一言でいえば変人だ。

 この人はなんだか、周りを見ているようで、まるで見ていない。

 無個性なようで、個性のかたまり。

 正直言ってここまで変な人を、うちは森山先輩以外に見たことがない。


 というかそもそも、いまだにこの人は謎が多すぎる。


 大学二年生っていうことは知ってるけど、年齢とか知らない。

 うちは東京出身だけど、あの人は地元どこなんだろ。

 訛りとかないけど、一人暮らししてるみたいだから、地方出身だったりするのかな。

 

 なんてこと、ぶっちゃけた話、今隣りにいる先輩に直接きけばいいだけなんだけど、ちんけなプライドが邪魔してそれができないでいる。


「今日も空気が冷えるな。僕のクールさが地球温暖化を止めてしまったということか」


「冷えるのは冬だからです。地球温暖化は絶賛進行中ですから」


 今、うちは森山先輩と一緒に買い出しに行かされている。

 バイト先のトイレットペーパーがなくなってしまったらしく、それを茂木さんに買いに行ってこいと言われたところ。

 ぶっちゃけ、トイペ買うくらい一人でいい気がするけど、あの腹立たしいイケメンはにやにやと鬱陶しい顔をしながら、二人で行ってこいと騒ぐので、仕方なく森山先輩と二人で向かってるというわけ。

 まじあの人なんなんだろ。

 前はここまでうざくなかったのに、最近ちょっと調子乗ってる気がする。

 たぶん、森山先輩のせいだ。

 森山先輩と関わると、皆どこかちょっと浮かれるというか、調子を崩しちゃう。

 良い意味でも悪い意味でも、この人は、周囲への影響力がある人なんだ。


「先輩は、昔からそんな感じなんですか?」


「太古から? それは哲学的な質問だな」


「いやどこがですか。そんな人類史の話とかしてないです」


 絹豆腐みたいな面白みのない顔をして、今日も先輩はおかしなことを真面目なトーンで呟いている。

 一見本気で言っているように思えるけど、ラインとかで話する時はわりかし普通だから、これは先輩なりのユーモアなんだろう。

 ていうかまじ別人格すぎて笑うから、やめて欲しい。

 もう少し調整効かないのこの人。


「蝶が羽化する時のように、刹那に劇的な変化を伴うこともある」


「えと、よくわかんないですけど、大学デビューってことでいいですか?」


「一面だけで僕を判断することは、非常に困難ってことさ」


「やば。まじでデビュー組? うけるんだけど。というかデビューの仕方独特すぎでしょ」


 嬉しいかな恥ずかしいかな、最近、伊秋語を理解できるようになってきたうちにはわかるんだけど、たぶん昔からこんな感じだったわけじゃないって、先輩は言ってる。

 だとしたら、どうしてこんなおかしなイキりキャラわざとやってるんだろう。


「なんかきっかけあるんですか? 憧れの人とか?」


「まさか。僕は常に憧られる側だからね。目指す場所は、未来の自分の背中以外ない」


「それを言い切れるところだけは、憧れてあげてもいいです」


「感謝しよう」


「そこ、だけですよ。ほんと勘違いしないでくださいね。そこ、だけです。感謝とかいらないです」


 ちょっと今のは、棘のある言い方すぎたかな、と思って横目で森山先輩を見る。

 うっすぺらな顔は、いつも通り穏やかで、むしろ仄かに笑っている。

 うちと視線が合うと、不思議そうな顔で顔を傾けるだけ。


 本当はきっと、感謝するのはうちの方。


 森山先輩の、この優しさに、うちは憧れているというより、救われている。


「……先輩って、怒ることとか、あるんですか?」


「怒りを抱くとしたら、自らの不甲斐なさに、かな。それか、岡田さんみたいな人が他人に侮られた時も、僅かに怒りを抱くかもしれない」


「それってもしかして、元カレがお店にきたときのこと言ってます?」


「あの時は、迷惑をかけたな」


「へ? ちょ、ちょっと、いきなりまじトーンで謝るのやめてください!」


「心の底からそう思ってる」


「だから、やめてってば! もう! 先輩のばか!」


「ばかとなんとかは紙一重というからな」


「紙一重で! 大馬鹿です!」


 不意打ちで、真っ直ぐと先輩はうちのことを見つめてくる。

 毒のなさそうな顔をして、時々この人は年上っぽい意地悪なこともしてくる。


 ほんと、むかつく。


 冬の夜空の下、風でほてった額を冷やす。

 いつも先輩は、うちの心を掻き乱す。


 とん、とん、とん。


 歩幅の狭いうちに合わせてくれているのか、いつも先輩はゆっくり歩く。 

 そのゆったりとしたペースのおかげで、それでもうちは焦らなくてすむ。

 ぴったり並んで歩いているけれど、肩と肩は、ちょうどぶつからない程度の距離がまだ空いている。


「いつも、ありがとう、岡田さん」


「なんの感謝ですか、それ?」


「岡田紀夏という、存在に対して」


「ふふっ。いみわかんない」


 うちと、先輩の距離は、まだ縮まり始めたばかりだ。

 急ぐ必要は、きっとない。


 先輩が焦ってないんだから、うちも焦らない。


 ゆっくりとしてるけど、たしかに、うちと先輩は、近づいている。

 だから、きっと、これでいい。


 森山伊秋という存在に感謝してるのは、本当はうちの方。

 トイレットペーパーの買い出しなんていう、なんでもない日常が、先輩のおかげでこんなにも幸せに思える。


 いちばん単純でお馬鹿さんなのは、うちなのかもしれない。



 

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