第5話 星と神の見分けがつかない
私は生まれながらに神なので、神ではない存在の気持ちを、多少理解できないところがあります。
それは、言ってしまえば、完全無欠な私の数少ない短所といえるかもしれません。
もっとも、短所といっても、それはあくまで私から見たものであって、他のガラクタの皆さまからすれば、それは端が見えないほどに長い美点に映っていることでしょう。
そして、どうして私がそんな風に、改めて自ら偉大さと異質さを思い返しているとかというと、それはつい二日前に出会った一人の愚か者が理由です。
これまで、私に出会った人間は、二種類しかいませんでした。
一つは、私という存在のあまりの大きさに圧倒され、価値があることは理解できても、どれほどの価値があるか正確に測り切れない凡人。
もう一つは、私の価値を正しく理解し、神であることを正確に受け入れることのできる才人。
後者はこれまでにたった一人しかいませんが、とりあえずは二種類ということにしておいています。
しかし、この私の前に、第三の存在が現れたのです。
それは、あまりに愚かな男でした。
愚か過ぎて、どうやって多細胞生物に進化できたのか不思議でしかありません。
この私を目の前にして、まったく価値を理解できず、さらに信じられないことに、あろうことか私と同格かそれ以上であるかのように振る舞ったのです。
正気の沙汰ではありません。
理解に苦しみます。
この私をここまで悩ませるのは、ある意味神業です。
おそらく二度と会うことはないでしょうが、それでも悪い意味で印象深い。
生命体としての格が違いすぎて、一種のパニック状態に陥っていた可能性も考えられます。
だからといって同情はしませんが、これまで私が出会った人間の中で、飛びぬけて愚かなことだけは確実です。
まあ、いいでしょう。
これ以上あの愚かな生命体モドキAについて思索を巡らせても、酸素とブドウ糖の無駄にしかなりません。
私は意識を切り替えます。
元々あの出逢いは、取るに足らない記憶に残すことすら、余計なものなのですから。
“メトロポリターノ”
そのさして興味を惹かれない没個性な看板の前に再び立つと、私は少しだけ安堵します。
どうやら今日はあの福笑いの失敗作のような顔をした愚者が、不遜にも私の前に立ち塞がることはないようです。
私はそのまま階段を上がって、神の意志を示すために、安っぽい木目調の扉を開きます。
「いらっしゃいませ~! お一人様でしょうか~?」
どこか甘ったるい香りに満ちた店内に入ると、そこにはどこにでもいるような、凡の女が私を出迎えました。
猫科の動物を思わせる、人懐きの良さそうな笑顔をしていますが、私は神なのでそれが意識して作り出された仮初のものだとすぐに見抜けます。
くだらない。
初めて会うような、全く関係性のない相手に、どうして愛想を振りまくのでしょうか。
理解に苦しみます。
これだから、人は不便な生き物です。
私は神なので、こんな無駄な努力をする必要がまったくありません。
私は神でよかったと、心底思います。
「笹井ハルはいますか? あなたのような量産型に用はありません」
「……え?」
虚を突かれたのか、くだらない女は笑顔を歪ませました。
なんて、醜いのでしょう。
そんな簡単に崩れ去るようなものなら、最初から築かなければいいのに。
「あの、すいません、それはどういった意味で……」
「二度も言わせないでください。あなたのような偽物の光をばらまく、姑息で臆病な凡人に用はないと言っているのです。笹井ハルに会わせてください」
呆然とした表情で、くだらない女は、とうとう閉口しました。
まったく、邪魔ですね。
こんな退屈なやり取り、本当に時間の無駄です。
ここまで退屈だと、二日前に出会った、愚かな男の方がましに思えてきてしまいます。
「ちょっと、さっきから言わせておけば、あんたいったい何様――」
ぷるぷると、わかりやすく苛立ちを見せ始めたくだらない女から視線を外して、私はその向こう側を見ます。
なぜなら、私はそこに、光を感じたからです。
どうやら、あの愚かな男は、嘘は吐かなかったようですね。
「――岡田さん、この子は私が対応するわ。どうやら、森山くんが言っていた子は、あなたのようね」
――それは、黒い流星のようでした。
思慮深い、蒼みがかかった黒の瞳。
艶の色気立つ黒い髪。
やはり、私は正しかった。
初めて見る彼女は、私の想像通り、他の石ころ共とはまったく異なる輝きを秘めていました。
「あなたが、クエスさん、ね?」
「さすがに神については予習済みですか。賢い選択です」
「……どこまでも話に聞いていた通りね」
しかし、そこで私は、ほんの僅かに、苛立ちを覚えました。
私の星が浮かべる苦笑の裏側に、たしかに感じたのです。
あの、愚かな男の気配を、神がかった感覚をもつ私はそこに見ました。
「それで、どこのどの神だか知らないけれど、私にいったい何の用かしら? 一応私は、無神論者よ」
「笹井ハル。私はあなたを導きに来たのです。あなたは、こんなところで燻っていい存在ではありません」
「燻ってる、ね。ずいぶんと威勢の良い神様ね。私はべつに燻ってるつもりはない。少し、見当違いをしてるんじゃないかしら」
「いえ、私は神なので、常に私が正しいです。しかし、迷える子羊を導くのも、神である私の役目なので、構いませんよ。笹井ハル、あなたのミスを、私は許します」
「困ったわね。森山くん以上に会話にならない人がこの世にいるなんて。上には上がいるものね。まあ森山くんは慣れれば、普通に言ってることの意味がわかるのだけれど」
残念ながら、あの愚かな男のせいで、笹井ハルの目は少しばかり曇ってしまっているのか、中々私が神であることに気づきません。
仕方ありませんね。
あまり、こちらの名を使うのは気が引けますが、彼女を救い出すためには多少の妥協をしましょう。
私は神なので、ある程度、笹井ハルの現状を把握しています。
おそらく、ここは彼女の、小さなアトリエなのでしょう、
ここに、笹井ハルを批評する者はいません。
なぜなら、ここには信奉者しか集まらないのですから。
それは、ぬるま湯です。
私は神なので、笹井ハルが神ではなく、星だと気づけますが、凡人には到底無理な話です。
地上から上を見上げるばかりの彼らには、星と神の見分けがつかないのです。
「私の名前は
「……イノリサキっ!? まさか、あなたがあの……?」
これまで、どこか余裕を持っていた笹井ハルの表情が、ここで明らかに変化しました。
それも、そうでしょう。
彼女にとって私は、数少ない同年代で、彼女より世間に評価されている画家の一人なのですから。
笹井ハルは、たしかに星ですが、神ではありません。
私は神なので、群衆の気持ち、考えが手に取るように分かります。
しかし、星では、人の心を見透かすことは、難しいでしょう。
星はただ、自分勝手に輝くだけなのです。
その代替の効かない、美しさに気づけるのは、神である、私だけなのです。
「最近のあなたの絵は、見させてもらっていますが、自分でも気づいているのではないですか? 笹井ハル、あなたは、止まっていますよ」
「そ、それは……」
わざわざ、神である私が、直接笹井ハルの下までやってきたのは、もちろん愉快なお喋りを楽しむためではありません。
このままでは、彼女が星の輝きを失ってしまうと、危惧したからなのです。
本当に私が神でよかった。
これほどの才能を、潰さずに済むのは、神である私のおかげです。
「しかし、心配はありません。先ほども言ったとおり、私はあなたを導きに来たのです。笹井ハル。私の隣りで絵を描く権利を、あなたにあげましょう」
私は神なので、二日前に出会った理解不能なダークマターを除けば、相手の考えがすべて手に取るように分かります。
だから、私には、理解できています。
笹井ハルは、私の提案に、ノーとは言わないでしょう。
イエス以外の言葉を、彼女が私に告げることは、決してありませんので、あしからず。
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