夏至

第1話 私にこそ星は相応しい



 残念ですが、世界は平等にはできていないのです。

 様々な偉い人が、努力だとか、仲間の助けだとか、色々なことをのたまいますが、全て戯れ言です。

 天は二物を与えず、という有名な格言。

 これは、真っ赤な嘘。

 なぜなら、わたしという完璧な反例がこの世界には存在しているのですから。


 容姿端麗。

 才色兼備。

 天衣無縫。

 質実剛健。

 

 私を表現するための言葉は沢山ありますが、正直言って、しっくりくるものは、たった一つしかありません。


 それは、神、です。


 私は控えめに言って、神なのです。


 しかし、私は自分自身が神であるということに気づくまでに、少しだけ時間がかかってしまいました。

 もっと早くに気づいていれば、有効に時間が使えましたのに。

 弘法も筆の誤りならぬ、神私も自覚の怠りです。

 

 ちなみに私が自分が神だと気づいたのは、三歳の頃です。

 両親はもちろん、兄も、祖父母も、親戚一同も、近所の人も、皆全てが私を崇め讃え、貢物をひっきりなしにもってくるので、そこでやっと私は自らの神秘性に気づきました。


 なるほどたしかに、私が以外の人々は、才覚に乏しい愚民ばかりでした。

 外見の醜さはもちろん、知性でも、器用さでも、私の足下にも及びません。

 中学に上がる頃には、すでに私は高校卒業同等程度の学力は持ち合わせていました。

 当然、周囲の人間と話は合いません。

 それはもう、蟻と対話を試みるようなものです。

 時間の無駄でした。

 美貌と知性に加えて、私には運動の才能もありましたので、多少は運動部所属の経験もあります。

 私は種目としては、水泳を選びました。

 理由は簡単です。

 汗をかかなくてすむからです。

 当然のように水泳でも才能がありましたので、私は自由形で全国で二度ほど優勝しました。

 ただ、他の凡人たちより、多少早く泳げても、それはあくまで人として早く泳げるだけです。

 海に住む生き物たちには到底かないません。

 神といえども、魚より早くは泳げないのです。

 

 だから私は、運動には見切りをつけました。

 突出して賢かった私は、仕方ないので学問の世界に進んで、幼児のような速度でしか成長しない人類を少しばかり助けてやろうかと、思いました。

 

 ただ、そんな時、私は、運命の出逢いを果たしました。

 それを、おそらく人は天啓と呼ぶのかもしれません。


 この私の視線を不敬にも奪ったのは、一つの絵でした。


 静物画と呼ばれる、油絵の分野ではそこまで珍しくないもの。

 なのに、神である私の意識は、そのショッキングピンクの懐中時計の絵から、離れることができませんでした。

 私はその絵を、星、だと思いました。


 その星を描いた人の名は、“笹井ハル”、というようでした。


 大した人間です。

 私が名前を覚える人間は、ほとんどいません。

 他にちゃんと覚えているのは、兄の名前と、ジョン・レノンだけです。

 親戚はおろか、両親の名前すら、きちんと覚えていません。

 母と父、呼び名はそれで十分でしたから。

 

 そんな神である私は、笹井ハルに一度会ってあげようと思いました。

 当時私は高校生だったので、偶然にも、笹井ハルは私と同世代、厳密にいえば二学年上のようでしたので、会う方法は簡単に思いつきました。


 おそらく、笹井ハルも現代日本に住んでいるのなら、大学に進学するはず。

 日本で最高峰の芸術大学に入学すれば、そこに笹井ハルもいる。


 それから私は、絵を描き始めました。

 元から手先も器用で、ありとあらゆる才能に秀でていましたので、すぐに私は芸術の世界でも神っぷりを発揮させ始めました。

 人間は愚かなので、私の絵を凡人どもが理解できるレベルに調整するのに若干手間取ってしまい、高校在学中はそこまで名を知らしめることはなかったと思います。

 ですが、私は神なので、結局は生まれながらの格の違いを見せつけ、最終的には日本唯一の国立美術大学に現役入学を果たしました。

 兄以外はとても驚き、喜んでいましたが、私はどうでもよかったです。

 なぜなら、私は神なので、大学ごとき、合格して当然なのですから。

 

 私はあまりに神なので、集中すると周囲の雑音が聞こえなくなってしまう癖があります。

 高校の三年間は、芸術方面に集中するあまり、他のことはまったくの手つかずでした。

 そのため、まず大学に入学してから初めて、笹井ハルを探しました。

 私は神なので、笹井ハルがこの大学に入学しているであろうという予想が外れることはないと知っていました。

 

 しかし、星は、神の想定とは少し違う輝き方をしていました。


 なんと、笹井ハルはたしかに私と同じ大学に入学していましたが、もうすでに退学してしまっていたのです。


 この時、私は人生、おっと失礼いたしました、私の神生の中で初めて、怒りを抱きました。

 誰の許しを得て、勝手に退学しているのでしょう。

 同じ大学の学徒として、この私ときゃっきゃうふふのキャンパスライフを送る権利を与えようと思っていたのに、なんとも失礼な人間です。

 

 仕方ないので、私は笹井ハルの現在地を探しました。

 すると、もっと予想外な事実が現れました。

 笹井ハルは、どこにでもあるようなレストランで、アルバイトをして生計を立てているそうなのです。


 ありえません。

 ふざけています。


 この神である私が認めた才能が、何をそんなくだらないことに時間を費やしているのでしょう。

 私の隣りで絵を描くこと以外に、やるべきことなんて、何一つないというのに。


 だから、私は、ここに来ました。

 

 神は時々、人を導かなくてはなりません。

 神も、苦労が多いのです。



“メトロポリターノ”



「……ここ、ですね」


 

 私のような高貴な存在がくるには、あまりにも下賤な雑居ビルですが、構いません。

 私が触れれば、全ては聖なる遺物に変わるのですから。

 救世のために、そして一歩踏み出す私の前に、しかし愚かな人影一つ、立ちはだかりました。

 

 ビルの階段から降りてきたらしい、その中肉中背の、何一つ特筆することのない、全身から平凡、或いは平凡未満の気配を漂わせる、醜い男。


 どうやらこの店の店員のようで、それらしい制服を着て、何の感情も認められない、退屈な顔で私を見つめています。


 はあ。まったく、困りものですね。


 どうも、私に見惚れて、動けないようです。


 せめて店員なら店員らしく、私をエスコートでもすればいいのに、さすがに神のエスコートは愚民には荷が重すぎましたか。


 このままでは埒が明かないので、神の情けとして、私はわざと、何か言いたげに口を半開きにさせてあげます。

 ここまでお膳立てしてあげないと、私に声をかけることすら、どうせこの凡骨はできないのですから。

 天使か神かと見紛うほどの美しさも、こういった時には、少し不便です。

 天使ではなくて、神だということを、この無能が気づくことはきっとないでしょう。可哀想に。



「……まだ席は空いているぞ。僕に見惚れている間に、席が埋まってしまうかもしれない。案内をしてあげよう」



 ピキリ、と、しかし、その瞬間、神の逆鱗に愚かにも助走をつけて飛び膝蹴りをする、大ばか者が現れたことに、聡明な私は気づいてしまいました。

 

 ですが、さすがに神である私も、この時はまだ、気づくことができていなかったのです。


 この目の前に立つ、神すら恐れない不届き者が、私から星を奪った、不倶戴天の天敵であるということに。






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