第30話 春には僕が相応しい




 なんだか最近、うちはちょっと変だ。

 いま、うちは森山先輩と一緒に、真昼の街を歩いているところだ。

 でも、本当ならこの時間は、自分の大学で講義を受けるているはずだった

 それなのに、森山先輩が大変なことになってるってわかった途端、気づけばうちは大学を飛びだしていた。


 こんなの変だ。


 うちらしくない。


 自分で言うのもなんだけど、うちはもっと要領のいいタイプだった。

 基本的には誰とでも仲良くしたいけど、深く入れ込みすぎることはない。

 いくらバイト先の先輩が困ったことになってるからって、そんな講義を放りだしてまでも助ける義理はない。

 薄情かもしれないけれど、うちはそういう人間だった。


「本当に岡田さんには感謝としか言いようがないな。感謝の証に、岡田さんの周りを側転で数分間回り続けたいくらいだ」


「それ一秒でも本当にやったら、うちもう帰りますからね」


 優衣さんに教えてもらった通りの道順を進みながら、うちはとある私立大学を目指していた。

 どうやらそこで、森山先輩の恥ずかしい動画をSNSに流した犯人が特別セミナーか何かを行っているらしい。

 第三者から見れば、それなりに笑える動画だったけれど、あれのせいで森山先輩が苦しんでいるなら許せない。

 ぱっと見た感じ、思ったより本人はまるで気にしてなさそうだから、それはよかったけど。


「……あの笹井ハルって人。先輩とどういう関係なんですか?」


「そうだな。あえていうなら、ソウルメイトってやつだな」


「……ここまでして、笹井ハルのために先輩ががんばる意味、あるんですか?」


「当然だ。彼女は俺を必要としている」


 いつもと変わらない、感情の揺れない無表情。

 あくまで普段通りのおどけた言葉で、森山先輩は前を向いている。

 あの動画がどこまで加工されたものなのか知らないけど、森山先輩が差し出した手を、あの笹井ハルって人は一度は振り払ってる。

 それなのに、どうしてこんなに森山先輩は、あの人を追い続けるのか。

 先輩を助けたいのは本当だけど、どうしてかそこだけが引っかかっていた。



「……好き、なんですか?」



 気づけば、うちはそんなことを訊いていた。

 きりきりと、胸が締め付けられるような痛み。

 動画でしか見てないけど、笹井ハルはけっこう綺麗な人だった。

 それにうちとは違って、芸術の才能なんていう、特別なものも持っている。

 彼氏の束縛に苦しんでいる美人アーティスト。

 惹かれてしまってもおかしくない。

 おかしくないから、なんだって、話なんだけどさ。


「笹井さんは言っていた。俺と友達になる資格がない。俺を傷つけてしまうと」


 聞こえてくるのは、いつもより、少しだけ力強い森山先輩の声。

 それはまるで、うちの小さくて、卑屈で、くだらない感情を吹き飛ばしてしまう、すがすがしい春風のよう。


「俺は笹井ハルという人間を愛している。だが、彼女自身が笹井ハルのことを愛せないでいる。俺にはそれが認められない。だから今から、迎えに行くんだ」


 好きなんですか、という質問に、愛しているなんて返事をかえす。

 それはうちにはどうやって真似できないような、突き抜けた強さだった。

 自分の気持ちを、自分自身にすらちゃんと言えない自分が、うちはやけに幼稚に思えて恥ずかしくなってくる。

 


 あーあ、やっぱり、かっこいいな、森山先輩。



 やがて見えてきた大学の正門。

 大人ぶるだけで、本当は誰よりも子供だったうちは、少しでも森山先輩に近づけるように、星に手は届かなくても、せめてその光を目を逸らさず真っ直ぐ見れるようになりたいと思った。


「……着きましたよ、森山先輩」


「道案内、ありがとう、岡田さん。岡田さんのおかげで、俺は迷わなくてすんだ」


 道案内をしていたつもりだったけれど、きっと迷わなくてすんだのはうちの方だ。

 自分のスマホを出すと、なんだかんだでだらだらと続いていた、元カレの陽介とのラインのトーク画面を開く。

 はあ、もうやだ。

 認めたくないけど、さすがにもう認めなくちゃ。

 あんなふざけた先輩よりダサい自分なんて、それこそ認められない。



「それじゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃい、先輩」



 うちはここで、先輩を待ってる。


 ずっと、ずっと、待ってる。


 待つ資格のある自分になるために、うちも恥ずかしがり屋で嘘つきな自分自身にけじめをつける。


 本人に告白するわけじゃないのに、スマホをタップする指が震える。


 がんばれ、先輩。


 負けるな、うち。


 うちらしくないエールを、先輩と自分自身に送る。




《あのさ、ごめん。うち、好きな人ができたんだ。だからもう、全部終わりにしよ。後ろを振り返ってる暇、もうないから》





―――――





 やばい。

 吐き気が止まらない。

 えづきを必死で我慢しながら、僕は知らない大学の廊下を歩いていた。

 津久見さんや岡田さんのおかげで、ついに僕は笹井さんの彼氏がいるところまでやってきた。

 どうやらここで、セミナーの特別講師として授業をしているらしい。


 どう考えても僕ごときが、絡んでいい相手じゃないように思える。


 勢いそのままにここまでやってきてしまったけれど、どうすれば僕は笹井さんを説得できるのだろう。

 笹井さんは芸術家で、彼女の才能を披露する場所が必要だ。

 川海さんにそれが用意できても、僕にそんな場所を用意する力はない。


 本当に僕は、正しいことをしているのだろうか。


 目的の講義室に近づくたびに、足が重くなる。

 でも今更迷っている暇はない。


 考えるんだ。


 どうすれば、僕に笹井さんの居場所を用意してあげられる。

 強制ポジティブなだけの僕では、笹井さんを受け止めきれない。


 やがて辿り着く、ほとんど満席の大講義室。


 解決策はいまだ思い浮かばない。

 大講義室の一番前では、見たことのある青年が大きな身振り手振りで快活に喋っている。


 あれが、川海創歩。


 笹井さんの、彼氏。


 それは、あの僕にアート展への誘いをしてくれた黒縁眼鏡の好青年だった。

 僕は今更ながらに気づく。

 ここまでずっと、川海さんの手のひらの上で踊らされていたということに。

 あのSNSの動画も、きっと彼が撮影したんだろう。

 彼なら、僕が笹井さんに会いに来ることを知っていたから。


 僕は想像する。

 もし仮に、今この大講義室に入ったところで、また同じ過ちを繰り返すだけなのではないかと。


 中には席を埋め尽くす聴講者たち。

 こんなところで僕がイキリ散らかせば、今度は川海さんがなにもしなくても、僕はきっと色々な人から珍妙なサーカスとして撮られてしまうだろう。

 これ以上、僕が笹井ハルのストーカーとして名を馳せたら、店長だけではなく、いよいよ僕も警察のお世話になってしまうかもしれない。


 どうすればいい?


 講義が終わるまで、待つか?


 でも、それはリスクが大きい。

 あっちはべつに、僕をまともに対応する理由がないんだ。

 今度こそ、笹井さんを連れて、僕や津久見さんでも見つけられない場所に消えてしまうかもしれない。

 行くなら、今だ。

 講義中で逃げ場のない、今が絶好の機会。


 だけど、今、行ったところで、川海さんを僕が説得できるだろうか?


 僕は、少しの間、目を瞑る。


 思い返すのは、最後に見た笹井さんの顔。



『私はもう、自由にはなれないのよ』



 違う。


 それは間違ってる。


 あの時見た笹井さんは、怯えていた。


 それじゃあ、だめだ。


 笹井さんは、僕とは違う。


 違っていて、欲しい。


 ありとあらゆるものから逃げて、怯え続けていた僕とは、違う。


 もっと、自由でいい。


 僕は目を開ける。


 数え切れない数の瞳が、壇上に立つ川海さんのことを見つめている。


 そうか。これだ。


 逆に、これを利用すればいい。


 これまで以上に、派手にイキってやる。


 僕の頭に、たった一つの冴えたアイデアが浮かぶ。


 僕はただ、笹井さんを、信じるだけでいい。


 講義室の扉をゆっくりと開き、僕は呼吸を整えながら中に入っていく。



「……ん? 君は……」


 

 一瞬静まり返る講義室内。

 遅れて、明らかに場違いな闖入者への警戒や好奇心の混ざった、野次馬な騒めきが広がり出す。


「……森山くん、か。まさかこんなところまでやってくるとはね。残念だけど、君のところに、ハルはこないよ。君はここに、なにをしにきたのかな?」


 全体的に知的な雰囲気を漂わせ、眼鏡の奥から覗く瞳には冷たい光が宿る。

 薄い微笑を浮かべ、楽し気に片眉を吊り上げている。

 この人が、笹井さんを苦しめている。

 不思議と、怒りとか、憎しみとか、そういった感情は生まれない。

 ただ、僕の胸に灯るのは、もっと理性的な確信だけ。

 笹井さんに、この人は相応しくない。

 強制ポジティブな僕に、ハルがこないなら、僕の方から行けばいい。




「笹井さんを、迎えに来たんだ。彼女には、僕の方が相応しい」






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