第28話 先手を打たれたなんてレベルじゃない



 謎に好戦的な雰囲気を身に纏い、やる気十分といった様子になった店長を見て、笹井さんが慌てたように膝立ちする。


「待って。気持ちは嬉しいけれど、もう十分よ。これ以上は、君たちにも迷惑がかかる。創歩くんに逆らったら、どうなるかわからない」


「知るかボケってんだよんなもん。後悔先に立たずって言うだろ? 後悔なんてもんは、一発派手にやらかしてからすればいいんだよ! ナア! 森山ァ!?」


「後悔先に立たずという言葉の教訓の生かし方が、まるで百八十度逆な気がするのだけれど……」


 完全に勢いだけで生きている店長とは違って、笹井さんはあくまで及び腰だ。

 いつもは冷静で、何事にも動じないイメージのある彼女が、今は怯えた少女のように視線を右往左往させている。

 本当に怖がっているらしい。

 川海創歩という人は、いったいどんな人なのだろう。


「わかってないのよ。君たちは、あの人の恐ろしさを。あの人は、自分が欲しいと思ったものは必ず手に入れて、何があっても手放さない。今頃、創歩くんは私を探して、もう家にも行っているかもしれない。私はもう、自由にはなれないのよ」


「うだうだうだうるせぇ! ガキかてめぇは!? 男の一人や二人振れないでぎゃあぎゃあ喚いてんじゃねぇぞ!」


「そ、そんな簡単な話じゃなくて……」


「家バレしてんだったら、とりあえず今日はあたしの家に泊ってけ。守ってやるついで、そのしょうもねぇ根性を叩き直してやる」


「え?」


 言うが早いか、店長はいきなり立ち上がって、笹井さんを脇に抱え込んだ。

 その細身の身体のどこにそんな力があるのか、そのままぐっと笹井さんを宙から持ち上げて、店長は玄関口に向かう。


「森山ァ! この女の覚悟が決まり次第、クソ男のところにカチコミいくからナア! お前も準備しとけよ!」


「(え、あの? ちょっとまだ話に僕、ついていけてないんですけど? 準備とかどんな準備ですか?)ああ、ストーリーラインは常に俺の後をなぞるからな。生後ゼロ秒から準備はできてる」


「よく言った森山ア! それでこそお前だぜ!」


「ちょっと森山くん!? 君もいつまでもふざけてないで、この人をなんとかしなさいよ!?」


 足をじたばたとさせる笹井さんは、抵抗虚しく店長にドナドナと連れ去られていく。

 助けてあげたい気持ちでいっぱいだが、相手は店長。

 僕一人の腕力では、何の助けにもならない。

 店長はたしかに暴力的で、思考回路が意味不明だけれど、根っ子は優しい人のはず。

 こんな何の役にも立たない、根暗キモ男の僕をアルバイトとして雇ってくれたくらいだ。

 笹井さんは女性ということもあるし、なんやかんやでそこまで手荒なことはされないと思う。

 ここは一旦、店長の好きなようにさせるしかない。


「じゃあな! 森山!」


「待って! 森山くん!」


 バタンッ、とそしていつもと同じように、突如現れて突如去って行く店長。

 なんだか若干の申し訳なさを笹井さんへ感じるが、それはまた今度会った時に、謝るしかない。

 それで結局、あの店長は、いったい何をしに僕の家に来たのだろう。

 そんなことを考えながら、何の気なしに洗面所へ入ると、僕はそこで怖ろしい事実に気づく。

 洗濯機の上に、綺麗に畳まれた女性物の服。

 その脇には僕が人生で一度も触れたことのないタイプの下着が上下セットで揃っている。


「(ヒャアアアアアア!?)おっと、これは」


 僕は慌てて自分の目を覆うが、もう遅い。

 あまりに刺激的な光景が、鮮烈に網膜に焼き付いている。

 なんということだ。

 見てはいけないものを見てしまった。

 その煽情的な忘れ物を、僕はどうすればいいのか迷う。


 これ、洗濯しておいた方がいいのか?


 びしょ濡れのまま放置したら、カビか何かが生えてしまうかもしれない。

 そうなると、非常にまずい。

 しかし、だからといって、僕のような綺麗目のフナムシみたいな奴が、笹井さんの身につけていた服を触ることなんて、許されるのか?

 しばし熟考をした後に、僕はゴム手袋をして洗濯をすることに決めた。

 もちろん、僕の服とは別で、洗濯機にかける。

 ピッ、ピッ、という自動洗濯機の稼働音を聞きながら、僕は思う。

 

 川海創歩。


 半強制的に、僕が戦うことになった男は、どんな人なのだろうか。

 勝ち目は、あるのだろうか、と。




―――――




 激動の土日が明け、一見いつも通りの月曜日がやってくる。

 実際はそんなことないのに、大学にやってくるのが、ずいぶんと久し振りに思える。

 街中の一角にあるキャンパスに入り、僕は履修している講義が開かれる教室に十分前に入った。


「……ねぇねぇ、あれってさ……」


「……うん。そうだよ。絶対そうだと思う……」


 なんだろう。

 しかし、どこかこの日は、何か違和感を覚えた。

 席に座って、意味もなくスマホでネットサーフィンをして時間を潰す僕の周りで、やけにひそひそ声が聞こえる。

 それだけではなく、やたらと今日は視線も感じた。

 僕のような存在感のないモブに注目する人なんて、誰もいない。

 それはこれまでもそうだったし、これから先もそう。

 だから最初は自意識過剰だと思っていた。

 

 でも、これは違う。


 何かが、おかしい。


 講義が始まる時間が近づき、加速度的に部屋に集まる学生が増えるたびに、僕へ向けられる視線と囁き声の量も一緒に増えてくる。


「……え? あの人じゃない? ほら、SNSの……」


「……イキリ大学生ストーカーってやつ? トレンド乗ってるよね……」


 意識的に、僕に向けられる居心地の悪い視線と声に集中すると、何やら嫌な響きが聴こえてきた。

 嫌なタイプの注目に動悸がして、段々と気分が悪くなってくる。

 直接話しかけてくるような人は誰もいないけれど、明らかに僕は皆の嘲笑の対象になっている。

 鞄からイヤホンを出して、スマホに繋ぐ。

 公式アカウントしかろくフォローしていないが、僕も一応SNSをやっている。

 そこで、一応としてトレンドをチェックしてみた。



“美人画家にストーカーするもド派手に振られるイキリ大学生”



 嫌な、予感がした。

 心臓が異様な速度で、脈打つ。

 イヤホンをしているにも拘わらず、幻聴のように周囲のひそひそ声が聞こえてくる。

 若干の吐き気を抑えながらも、僕はそのトレンドを調べる。


『……導かれたとしか言いようがないな。どうも世界は俺に笹井さんを追わせたいらしい……どうしてもっと早くに顔を見せてくれなかったのか、ということなら謝らないぞ?』


 黒髪の美人さんに詰め寄る、のっぺりとして表情の乏しい陰気な青年。

 そこに映っていたのは、完全に僕と笹井さんだった。

 この前のアート展に行った時の僕が、微妙に編集された状態で盗撮されている。


『もし君が私の作品を観に来てくれたら、言わなくちゃいけないと思ってたことがあるの』


『なぞなぞは得意だぞ?』


 編集されているけれど、僕だということは明確に分かる。

 いつの間に、どこの誰が、なんのために。



『私、森山くんとは友達になれない。……これから先、もし私を見つけても、決して近寄ろうとしないで』



 ガツン、とまるで頭部を鈍器で殴られたみたいな気分だった。

 知らない間に撮られていたこの映像に対して、とんでもない数の反応やコメントがついている。



“決して近寄らないでは草”


“森山くんキモ過ぎワロタ”


“ガチ犯罪者じゃん。誰かはやくこいつ捕まえろよ”


“笹井さん可哀想すぎw”


“なぞなぞは得意だぞw w w”


“ほんとこういうの無理”


“キモ”


“この森山って奴、N大建築の森山じゃね?”


“こいつ絶対余罪あるだろ笑”


“うちはわりとすき”


“最近のストーカーはずいぶんと堂々としてるんだなあ”


“キモ”


 軽くコメントを幾つか眺めただけでも、眩暈がした。

 現在進行形で、どんどんこの動画は拡散されている。

 今更止めようがない。

 もう僕は、これから少なくとも大学卒業までは、ストーカー野郎のレッテルを貼られたまま大学生活を過ごすことは確定した。


 どうしてこんなことになったのか、心当たりは一つだけある。


 川海創歩。

 笹井さんの彼氏の仕業に違いない。

 あの日、僕が笹井さんと会う可能性があることを知っていたのは、その彼氏さんしかいない。


 これは、まずい。


 僕はイヤホンをしたまま、席を立ち、講義開始一分前に、部屋を飛びだす。

 それはべつに、奇異の視線に耐えられなかったわけじゃない。

 元々大学に、僕の居場所なんてものはない。

 幾らか陰口を叩かれても、そんなことはどうでもいい。

 問題は、笹井さんと店長だ。

 僕の想像以上に、相手の動きは早いし、狡猾な手を使ってくる。

 もしかしたら、すでに店長たちにも何かしらの被害が及んでいるかもしれない。

 

 そうなったら全ては、全部僕のせいだ。


 笹井さんは、ちゃんと僕に警告した。

 これ以上、近づくなと。

 それに店長も巻き込んでしまった。

 僕が傷つくのは構わないけれど、僕の大切な人が傷つくことは許せない。


 急いで電車に乗って、僕は店長と笹井さんの下へ急ぐ。

 頼むから、何事もないでいて欲しい。

 たしか、店長はバイト先のビルにそのまま住んでいると自分で言っていた。

 僕はひたすらに祈りながら、メトロポリターノの最寄りの駅を目指す。


 それからしばらく鉄の箱に揺られて、やっと目的地に辿り着く。

 僕は飛びだすように駅を出ると、そのまま走ってメトロポリターノに向かった。

 息を切らしながら、ビルの階段を二段飛ばしで駆けあがり、準備中のメトロポリターノを荒々しく開く。



「(店長! 大丈夫ですか!?)店長、無事だよな?」



 勢いよく開いた扉。

 しかし、その内側は、僕がいつも見慣れた光景ではなかった。


「……森山か? これは、悪いタイミングで来ちまったな……」


 中にいたのは、気まずそうな顔をする茂木さんが一人。

 そしてメトロポリターノの店内は、椅子や机が派手に倒れていて、中には椅子の足が折れているものもあった。

 どう見ても手遅れとしか言いようがない、荒れ具合。

 まるで嵐のあとの惨劇。

 僕は絶句する。


「ついさっき、店長は警察に連れ去られたよ。森山、なにかワケを知ってんのか?」


 僕は自らの顔を覆う。

 最悪だ。

 先手を打たれたなんてレベルじゃない。

 僕はもうすでに、ほとんど詰んでしまっていた。




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