第27話 僕の分のお茶が欲しい
おかしなことが沢山ありすぎて、頭が変になりそうだ。
まず、どうして店長は僕の家にやってきたのだろう。
それに、そもそも、なぜ僕の家を知っているんだ?
もちろん、雇用主だから、調べようと思えば調べられると思うけど、実際調べるのって法治国家的にどうなのかな?
「いや、やっぱりどっちも殺そう。どっちを先にヤるかで迷うナア?」
そして最大の謎がこれだ。
なぜ店長はこれほど激怒しているんだろう?
店長を怒らせるようなことは何もしていない。
しいて言うならば、昨日の飲み会だろうか。
でもあれは、なんやかんやで許してくれたんじゃなかったのかな?
だめだ。
わからないことが多すぎる。
誰か助けて。
「森山くん、なんだかあの人、ずいぶんと怒っているように見えるけれど……?」
バスルームから出てきた笹井さんは、怪訝そうな顔をして僕を見る。
頼むから僕をそんな顔で見ないでくれ。
状況の説明が欲しいのは、僕だって一緒なんだから。
「(えーと、この人は、僕のバイト先の店長です)彼女こそが、バイト先でこの俺を見出した、敏腕オーナーだ」
「店長さんってこと? そうなのね。てっきり彼女さんか何かかと思ったわ」
「(いやいや! 違いますよ! 僕、モテないんで、彼女とかそういうのできたことありませんから!)いったい何人の女たちが諦めてきたのだろう。残念ながら、いまだ俺に届いた者はいない」
「ピーチクパーチクうるせぇぞごらぁ!? まずは一発殴らせろ森山ァ!」
「(ひいいいっ!? 誰か助けてぇ!? 僕は何も悪いことしてないのにぃ!?)あまりに恵まれ過ぎた俺への試練か。神のお気に入りも楽じゃないぜ」
やはり先に命を刈り取られるのは僕の方なのか。
僕は震えながら後ずさりする。
「(ま、まあ、落ち着いてください。いったん話し合いましょう。そうしましょう。それがいいですよきっと)カームダウン、落ち着けよ。まあ、座れって。人と人の交流は、対話が基本だ」
逃げるようにして、僕は居間の方に店長を通す。
ぐるると、野犬のように唸り声を上げる店長は、今にも殴りかかってきそうだ。
本来は自分と笹井さんのために用意したお茶を、自分の分は店長に勧めて、座らせる。
今更だけど、どうやってうちの鍵開けたんだろう。
絶対法にのっとってない気がする。
「それでぇ? 言い訳を聞かせてみろよ森山ァ?」
いったい何に対する言い訳をすればいいのだろう。
笹井さんは不安そうな顔をしながらも、向かい合って座る僕と店長の間に腰を下ろす。
申し訳なさでいっぱいだ。
家に連れ込まれたと思ったら、鼻ピアスのヤンキーに殺されかけている。
笹井さんも、僕以上に不幸体質な気がしないでもない。
「(え、えーと、まずは、この方は、笹井さんです。元々ちょっとした顔見知りみたいな感じで……)この人は笹井さんだ。心のご近所さんみたいな感じだな」
「そ、れ、で? なんでこいつがお前の家で風呂入ってんだ?」
「(いや、それは少々複雑な問題がありまして……あの、笹井さんに傘を貸したというか、雨の中彷徨っているところに声をかけたというか)俺はただ宿り木になってやっただけさ。雨に濡れる、孤独な一人の美女のな。暖めてやるのは、礼儀だろう?」
「意味わかんねぇぞ森山ア? 舐めてんだろお前?」
駄目だ。
イキリ翻訳のせいで、まるで話が通じない。
というかそもそも、僕と笹井さんの関係は一言で言い表すのが難しいんだ。
やはり撲殺されるしかないのか?
「……いいわ。そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫よ。きっと、状況が飲み込めていないのは店長さんだけでなく、森山くんも一緒だろうから。私から説明する」
「へえ? いい度胸じゃねぇか?」
やたら好戦的な店長は、その獰猛な視線を僕から笹井さんに移す。
頼むから、殴り潰すのは僕だけにしてくれよ。
「……森山くんは、私の恩人なの」
「(恩人? なにがですか? 特に何もしてないと思いますけど……)救った覚えはないさ。俺はただいつも通り過ごしただけだからな」
恩人とはいったい何のことだろう。
まさか傘を貸したことか?
いや、さすがにこの程度で恩人と呼ばれるのは、恥ずかしすぎる。
「森山くんは薄々気づいていると思うけれど、私は一人の男に支配されているの」
「男? 彼氏って意味かア?」
「ええ、そうよ。私は絵を描く仕事をしているんだけれど、そういった業界で顔が広い人で、今やもう私は、彼なしではろくに絵を披露する場所すら見つけられない」
「ンだよ。他に男がいんのか。詳しく話を聞く必要がありそうだナア?」
湯呑を両手で握り締めながら、静かに笹井さんは語り出す。
なぜか笹井さんの事情を、僕が薄々気づいていたことになっているが、もちろん、全く知らない。
というか彼氏いたんだ。
まあ、そりゃいるよな。
若干胸が痛んだが、その理由は自分でもよくわからない。
笹井さんみたいな美人で才能ある人に、恋人がいないわけがないものな。
「それで? 続けろよ」
「私の人生は、その人――創歩くんに支配されている。私にはなんの決定権もない。明日の予定も、明後日の予定も、一ヵ月後の予定も、一年後の予定も、ずっと、ずっと先のことも全部、創歩くんに決められている」
唐突に語られる笹井さんの、抱えていた問題。
それは衝撃だった。
もう束縛系なんてレベルじゃない。
でも、そこまで愛されているのなら、それはある意味、真実の愛に近いのだろうか。
「最初はそれでもよかった。私はただ絵を描ければよかったから。それに、創歩くんが私のことを愛していると思っていたから。……でも違った。違ったのよ」
創歩くん。
そこでやっと僕は気づく。
たしか津久見さんが言っていた。
川海創歩という人が、あのアート展を取り仕切っていると。
つまりは、笹井さん相当な権力者の彼女さんということになる。
僕如きが友達になれないのは、当たり前だ。
なんだか僕は、今更ながらにとんでもないことに首を突っ込んでいるような気がしてきた。
「創歩くんは、ただ所有したいだけなの。コレクター気質というか、私みたいな芸術家の卵を拾っては、育てて、最後はただ飾るだけの置物にする。私の前で、知らない女のアートを鑑賞しては、手放しで賞賛する。私の前で、知らない女に愛を囁く。もう私は、創歩くんにとって過去なのよ」
信じられない。
笹井さんみたいな素敵な人と、使い捨て感覚で付き合うような価値観の人間がいるなんて。
ただただ、所有するだけ。
自由は許さないけれど、大切に扱うこともしない。
身分不相応だって分かっているけれど、少しだけ僕の胸の奥が疼く。
「それでいいってずっと思ってた。森山くんのことも突き放して、私は全てを諦めてた。……でも、やっぱりだめだった。もうあの人と一緒の空気を吸うだけで、耐えられない」
苦しそうに自分の胸を掴む笹井さんは、強く唇を噛む。
他の繋がり全てを諦めても、なお受け入れられないほどの嫌悪感。
しかし、その嫌悪感の対象だけが、今の笹井さんにとっての唯一の繋がり。
さぞ、苦しかっただろう。
想像するだけで、息が詰まる。
「だから私は、外に出たの。行く先なんてないのに。雨の中に逃げた」
ずっと伏せられていた目を上げる笹井さん。
僅かに濡れた黒い瞳が、縋るように僕に向けられる。
「そんな私に、森山くんは傘を貸してくれたの。私、森山くんに酷いことを言って、突き放した。きっと傷つけた。それなのに、森山くんは、また私に手を差し伸ばしてくれた」
それはきっと過大評価だ。
僕は笹井さんの境遇を、何も察してなかった。
何も考えずに、ただ走り出しただけ。
「だから、ありがとう、森山くん。君は、私の恩人よ。たとえ、これが一時の気休めの救いだとしても、それは変わらない。本当にありがとう」
そんな無策な僕に、笹井さんは笑って感謝を伝えてくる。
一時の気休め。
たぶん、それは間違いじゃない。
本当の意味で、僕が笹井さんを救うことは、きっと難しい。
僕には才能も、地位も、何もない。
笹井さんの居場所を、つくってあげられない。
「……ぐずっ、ぐずっ、うわあああああん!」
「え?」
「(え?)ん?」
しかし気まずい沈黙を、突如破る騒がしい泣き声。
僕は唖然とする。
途中からやけに大人しくなっていたと思ったら、気づけば店長が大泣きしていた。
本気で、意味がわからない。
「笹井ィ!」
「あ、はい」
「舐めてんじゃねぇぞぉおおおおお!!!!」
「え? それは、ごめんなさい?」
そして泣き喚いていたと思ったら、今度は膝を立ててブチ切れ始めた。
大丈夫かこの人。
情緒が不安定すぎる。
「あたしの森山を、舐めてんじゃねぇって言ってんだよ!」
「(え、僕ですか?)その通りだ。俺だぞ?」
「ごめんなさい。ちょっと言ってる意味がわからないのだけれど……」
困惑そうな笹井さん。
うん、僕もその気持ちよく分かるよ。
なに言ってるんだろうね、この人たち。
怖いね。意味わからないね。
「一時の気休め? 恩人? あたしの森山はそんなちゃちなもんじゃねぇっつってんだよ」
「え?」
「当然、人生丸ごと救う。恩人どころじゃねぇ。救世主になってやるよ。なあ、森山ア?」
「(いや、え、それは、さすがに簡単に明言できないというか……)言葉は要らないな。わざわざ言うまでもない」
人生丸ごと救う?
救世主になる?
んんん?
さっきまで泣いて、怒っていた店長は、今は満面の笑みを浮かべて八重歯を舐めている。
なんだかやたら喉が渇いてきた。
僕の分のお茶が欲しい。
「……いいぜ、森山。さすがあたしの見込んだ男だ。乗ったぜ。そういう事なら、話は別だ。あたしも手伝ってやる。サア、そのクソみてぇな男を一緒にぶっ殺そうぜ?」
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