第11話 僕は屈しない



 うぉえ。


 頭が痛い。


 俗にいう二日酔いで、僕は朝から気分が悪い。


 ありがたいことに今日は土曜日。

 大学に行く予定などがなくて本当に助かった。


 それにしても昨日は大変な騒ぎだったな。

 まさかバイト先で、岡田さんの元カレに喧嘩ふっかけるなんて。

 

 今思い出しても、身震いする。

 あんなマッチョな人相手に喧嘩でもしたら、僕の五臓六腑はスタボロになってしまう。

 もう二度とあんな目はごめんだ。

 

 今回は、岡田さんの舌術に助けられたけれど、毎回穏便に済むとは思えない。

 とくに僕の口は今、災いのもとになっている。

 今は運良く大事に至ってないけれど、油断は禁物だ。


 コップに並々と水道水をついで、ちびちびと飲む。


 だけど、家族以外の誰かと一緒に飲み会というか、食事をしたのは、ずいぶんと久し振りだった気がする。

 大学の新入生歓迎パーティでご飯を食べて以来かな。

 あの新歓は酷かった。

 店の端っこで、誰とも喋らず、ずっとおしぼりで手を拭き続けた二時間。

 自分が透明人間のミュータントになってしまったのではないかと、本気で疑ったくらいだった。


 比べて昨日の飲み会は、あの時の新歓とは全然違った。

 茂木さんと岡田さんという、僕の知り合いの中でも特に喋りが上手いというか、会話の展開の仕方が上手な二人に乗せられて、僕もわりと楽しく喋れた気がする。

 もっとも喋れたといっても、意味のわからないイキリ発言しかしてないはずだけど、それでもあの二人もそれなりに楽しそうにしてくれていた。

 ありがたい限りだ。


 特に茂木さんなんて、昨日の飲み代を全部奢ってくれた。

 イケメンで面白くていい人だなんて。

 帰り道では、なぜか満面の笑みでペットボトルのミネラルウォーターを道路に撒きながら去って行ったけれど、関係ない。

 茂木さんは、この世界が生んだ奇跡だ。


 それになんといっても、岡田さんの素晴らしさ。

 ただの美少女ではないと前から思っていたけれど、信じられないほどに心の広い美少女だった。

 もしも僕がいきなり、大して絡んだこともない柿ピーの悪いとこ取りしたみたいな顔の奴に、俺の女扱いされたら、屈辱で腎臓の一つくらいはだめにしているところだ。

 それにも関わらず、岡田さんは僕を許してくれて、さらに一緒に飲み会にまで来てくれた。


 なんて優しいんだ。

 天使を超えて大天使だ。

 もしもこの僕に、人として生きる価値のなさすぎで罪を問われる日が来たら、できることなら岡田さんに裁かれたい。

 あんまり痛くせずに、ひと思いにパッと断罪してくれそうな感じがする。


 コップ一杯分の水を飲みきっても、頭痛は解消されない。

 僕は近くのコンビニにしじみのインスタント味噌汁を買いにいくことを決めながら、これからのバイト生活について考える。


 昨日の感じからすると、茂木さんと岡田さんに関していえば、僕のこの奇人性を受け入れてくれているので、ただちに崖でハンドスプリングをする必要はなさそうだ。

 もっとも、他のバイトの人とか、特に店長の前ではなるべくこの奇怪な言動は慎むべきだろう。

 茂木さんと岡田さんに対しても、甘えすぎてはいけない。

 いつ飽きられて、ただの危ない人扱いされてもいいように、細心の注意は払っていくべきだろう。


 コートを羽織って、マフラーをし、財布だけ持って僕は外に出る。

 眩しい陽の光が目に入る。

 だいぶ寝ていたので、もう昼前くらいだ。

 しじみの味噌汁ついでに、お昼ご飯も軽く買っておいてもいいかもしれない。

 まだ胃酸がアルコールと混ざって、ぐるぐるしているので、すぐには食べれないだろうけれど。

 冬の晴天は、案外暖かく、風さえなければ肌寒さは感じない。


 だけど昨日は、本当に楽しかったなあ。


 セブンに着いて、買う気のない雑誌コーナーをぼんやりと眺めながら、僕はどこか夢見心地だった。

 正直、あまり、認めたくないけれど、昨日の楽しい飲み会に僕が行けたのは、この呪われた口のおかげだ。

 誰にも干渉されず、誰にも干渉してこなかった僕の人生で、よくも悪くも他人と接点を持てたのは、このイッキーリビッグマウスのおかげ。

 しじみの味噌汁とカップ麺をレジに持って行きながら、ふと思う。

 


 もしかして、この口は災いなんかじゃなくて、素敵な贈り物なんじゃないか?



 ……きいやああああ! 


 待て待て待てぇ!


 そんなわけあるか!


 素敵な贈り物なんかじゃない!


 騙されるな僕!


 これは罠だ!


 簡単に騙されるんじゃないぞこの頭フラワーパラダイス野郎がよおお!


 こんなクソダサ強制自動イキリ翻訳ソフトが、お得な特別サービスのわけないだろ!


 ふぅー、危ない危ない。


 危うく全てを受け入れて、心の芯から本物のイキリ人になってしまうところだった。

 まったく、油断も隙も無いな。


 僕は屈しないぞ。


 必ずいつか、この呪いを克服してみせる。

 誰が受け入れるものか。

 正気を取り戻した僕は、風呂上がりの犬のように顔をブルブルと勢いよく振って、コンビニから出て家に戻る。


 ……嘘だろ。


 しかし、アパートのすぐ近くまで行くと、僕は見てはいけないもの見てしまった。

 アパートの玄関口に姿勢よく立つ、見覚えのある女性の姿。


 高い鼻梁に、冷然とした目つき。

 きりりとした眉に、シャープな輪郭。

 長い黒髪からは、どこか悠然とした気配を感じる。


 この前の雨の日に、僕によるセクハラナンパモドキの被害にあった美人さんだ。


 ほらね。

 やっぱり。

 調子に乗らなくてよかった。


 どう考えても、やはりあの日の恥辱を耐え切れず、僕を通報しに戻ってきたとしか考えられない。

 その時、立ち止まる僕と、美人さんとの視線が合致する。


 数秒の間。


 僕は当然のように踵を返し、アパートとは反対方向に歩きだす。

 

 バレたか? 

 いや、まだバレてないはずだ。


 僕の顔なんて、日本人口の五分の一くらいを占めてそうな没個性フェイスだ。

 遠目から、ちょっと見た程度なら、気づかれないって。

 今日はいい天気だし、半日くらいお散歩でもしようかなあ。



「待ちなさい」


「っ!?」



 しかし、僕の現実逃避虚しく、凛とした声と共に腕を掴まれる。

 冬なのに脇汗びっしょりにしながら、振り返ってみればやはりあの美人さんがいる。

 終わった。

 絞首刑だ。


「私のこと、覚えてるわよね?」


「(あ、あ、はい)ああ、覚えてるぞ」


 美人さんは妖し気な微笑を携えて、屠殺前の家畜に成り下がった僕を見つめている。


「この前、名前を聞き忘れちゃったから。君、名前は?」


「(名前を知らせないのはまずいですよね。ごめんなさい。僕は森山伊秋です)どんなに隠しても、誰もが俺の名前を知りたがる。人々の好奇心を刺激してしまって申し訳ないな。俺は森山伊秋だ」


「森山くん、ね」


 僕のいたぶり方やゆすり方を考えるのが、そんなに楽しいのか、美人さんはふふっと楽しそうに笑う。

 預金残高のことを考えながら、なんとか示談で済むことを必死で祈る。



「私の名前は“ササイハル”。……ねえ、森山くん。ちょっと付き合ってくれない? 今日はお暇かしら?」



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