第12話 どんな意図が隠されているのかわからない
ドナドナされる仔牛のような気持ちで、僕はササイさんの隣りを歩いている。
澄ました表情のササイさんは、薄い青のダッフルコートに黒のブーツを合わせている。
身長が高めでスタイルがいいので、芸能人のような雰囲気が醸し出されていた。
いや、もしかしたら僕が知らないだけで、実際にタレントか何かなのかもしれない。
彼女の隣りを歩くには、あまりに僕は不釣り合いで、美女と野獣、あるいは美女とカバくらいにはなっているような気がする。
「今日はいい天気ね」
「(そうですね。今日は晴れてよかったです)そうだな。今日は太陽が俺を照らしたがってるらしい」
「時間もちょうどいいから、お昼でも食べない?」
「(あ、はい。大丈夫ですよ)ああ、構わないぞ。俺の胃袋は問題ないと言っている」
しじみの味噌汁とカップ麺の入ったコンビニ袋を背中側に隠して、僕はササイさんの誘いを了承する。
すでに住所を抑えられているのだ。
無駄に逃げ回っても無駄だろう。
「なにか食べたいものはある? 傘のお礼に、ご馳走するわ」
「(いやいや、ご馳走だなんて、いいですよ。お気になさらないでください)俺に貢ぎたい気持ちはわかるが、無理するな。気持ちだけで十分だ」
「いえ、気持ちだけじゃ不十分よ。こだわりがないなら、私が適当に決めちゃうわね」
ササイさんは色々な意味でクールだ。
僕のわけのわからない奇妙な言動を、スルーというか特に気にせず会話をしてくれる。
それに訴訟前の最後の晩餐なのか、どうやら昼食を奢ってくれるようだ。
そういえば晴れているのにビニール傘を持っているなと思っていたけれど、これ、僕が貸したやつか。
「なら、あのお蕎麦屋さんはどう? 私、お蕎麦好きなのよね」
「(あ、はい。僕もお蕎麦好きです)ああ、蕎麦も俺のこと好きだぞ」
「そう、ならよかったわ。決まりね」
大通りをしばらく歩いていると、古風な蕎麦屋が目に入る。
僕も近所なので、見かけたことはあるが、実際に入ったことはないお店だった。
ざる蕎麦にしようかな。
ひゅるりと、ふいに吹き抜ける冬らしい冷たい風。
うん。やっぱり温かい蕎麦にしよう。
「すいません、二人なんですが、大丈夫でしょうか?」
「いらっしゃい。二人ね。はいよ。好きな席にどうぞ」
店の前まで来ると、ササイさんはとくに迷うこともなく、暖簾をくぐって中に入る。
ササイさんに続いて店内に入ると、暖かな空気に包まれ、出汁のいい香りが鼻腔をくすぐった。
「いい匂いがするわね。お腹が空いてきたわ」
「(そうですね。僕もです)同感だ。俺とあんたは気が合うらしい」
互いにコートを脱いで椅子にかける。
グレイのセーター姿になったササイさんは、メニュー表をほんの数秒見ると、すぐに僕の方にまわした。
「(もう決めたんですか? 僕に気を遣わなくていいですよ?)即断即決だな。もし俺に選択の猶予を多く取らせたいと思っているなら、気にしなくていい」
「私はもう決めたってだけよ。私は天ざる蕎麦」
蕎麦屋に入る前から、ある程度注文を決めていたのか、それとも単に迷わない性格なのか、ササイさんは天ざる蕎麦を注文するみたいだ。
待たせてはいけないと、僕もお品書きを急いでチェックする。
温かい蕎麦のところを見ると、たぬき蕎麦に目がいく。
よし、これにしよう。
「(僕も決めました。たぬき蕎麦にしようと思います)俺も決めたぞ。今日俺の昼食に選ばれるという名誉を手に入れるのは、このたぬき蕎麦だ」
「そう。ちょうど店員さんがくるわ。いいタイミングね」
いちいち大袈裟な僕の言葉を、さらりと流すササイさん。
二人分のおしぼりと湯気立つ緑茶を、お盆に乗せて運んできてくれたお姉さんに、ササイさんは僕の分まで注文を済ませてくれた。
「君は大学生? 若く見えるけれど」
「(僕は大学二年です。一浪してますけど)俺は大学二年だ。一年ばかり、同学年の奴らより歴史を重ねているがな」
「一年遅れの大学二年生? へえ。奇遇ね。じゃあ、私と同い年だわ。もっとも、私は一応大学には入ったけれど、二年生の時にやめてしまってるんだけどね」
意外なことに、ササイさんも僕と同い年らしい。
落ち着きがあるというか、大人の余裕みたいなものを感じていたので、てっきり年上かと思っていた。
それとも僕が幼過ぎるのだろうか。
幼稚な一浪なんて、相変わらず僕は喋る生き恥だな。
「大学は楽しい?」
「(え? あ、まあ、それなりに)まあ俺が大学を活気づかせてやってるよ」
「そう。それはいいわね。私はあまり楽しくなかったから。大学を止めたのは別の理由だけれど」
上品な仕草で緑茶を啜るササイさんの感情は読めない。
それなりとか見栄を張ったけれど、正直言ってしまえば僕も大学は何も楽しくない。
特別つまらないというわけでないが、無って感じだ。
悲しいかな、それは大学というよりは僕自身のせいだと思うけど。
「君は大学で何を学んでいるの?」
「(建築学科です)建築学科だ」
「なら理系かしら。賢いのね」
「(理系っていっても、なり損ないみたいな感じなので。頭は良くないですよ)理系や文系というくくりじゃ、俺をカテゴライズしきれない。俺の頭の良し悪しを、現代の物差しで測るのは困難だろうな」
「そうかもしれないわね。理系や文系といったくくりは、本来は必要のないものなのかも」
僕も二日酔いの頭を少しでもさますために、暖かなお茶を飲む。
というかササイさんがさっきから、とくに表情も変えずに普通に僕と喋ってくれるの凄すぎないか。
なんだよ、頭の良し悪しを現代の物差しで測るのは困難って。
僕に限っては簡単だよ。
大学の成績表にあるFでめちゃくちゃ正確に測られてるだろ。
「(ササイさんは大学で何を学んでいたんですか? 話したくなかったら、話さなくても全然いいんですけど)そういうササイさんは大学でどんなことを学んでいたんだ? 俺に教えたいだろうから、話してくれてもいいぞ」
「私は芸術系よ。専門は油絵。でも学びたいというよりは、表現の場が欲しかっただけね。大学をやめたのは、表現の場が他に見つかったから」
芸術系といわれて、僕は納得する。
左腕につけているミサンガのような装飾品や、左耳についた小さめのイヤリングなど、どことなくオシャレで洗練された印象は、そのせいだったのか。
美的センスに優れた人から僕を見ると、どんな気分になるか少し気になる。
目と鼻のパーツを塗り潰して、輪郭から描き直したいなあとか思うのだろうか。
「ときに森山くん。君には私がどんな人間に見えてる?」
すると唐突に、ササイさんは難しい質問を投げかけてくる。
ササイさんがどんな人間に見えてるか?
なんだそれは。
いったいどんな意図が隠されているのか、さっぱりわからない。
この質問の返事次第で、示談金の値がどれくらい変化するのだろうか。
もごもごと悩んでササイさんを苛立たせるのも嫌なので、とりあえず素直に、ぱっと思ったことを言ってみる。
(優しい人、ですかね)
「優しい人、だな」
おお、珍しい。
珍しく僕の口が、意図とは違う余計なことを喋らなかった。
ということはつまり、久々にネガティブな捻くれがない発言をしたということか。
「……へえ、なるほどね。それは貴重な意見だわ。ありがとう」
しかしなぜかササイさんは、急に黙り込んで僕から視線を外した。
嘘だろ。
やっと自分の意志通りのことを喋ったのに、それでしくじったのか?
まだ僕のことを通報してないので、当然のように寛大で優しい人だという、僕なりの感謝のメッセージだったのに。
ササイさんは、口元を手で抑えて、視線をおしぼりに注いでいる。
若干口角が上がっているような気がしなくもないけど、さすがにそれ気のせいだろう。
「はいよ。天ざる蕎麦とたぬき蕎麦お待たせ」
頼んでいた料理が届けられて、僕らのテーブルに漂っていた微妙な空気が打ち消される。
ありがとう、お蕎麦たち。
僕はただただ、自らの蕎麦以下のムードメーカー能力に辟易とするだけだった。
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