第9話 男前な大人はずるい
でもこのお店を辞める時は、あの面倒な店長に話をつけないといけないのか。
ちょっと考えただけでも、鳥肌が立つ。
練炭をネットで購入した方が、精神的なストレスは低いかもしれない。
「あの、森山先輩」
何事もなかったかのように、キッチンに逃げ戻ろうとしたが、それは女子らしいソプラノ声に遮られる。
振り返ってみれば、岡田さんがどこか笑いをこらえるような表情をして、僕を見つめていた。
「えと、ありがとうございました。迷惑かけてすいません」
「(いや、いいんですよ。困った時は、お互いさまですから)いいさ、構わない。大切な仲間が困っていたら、助けるのは当然のことだからな」
気取った台詞回しが続いてしまうが、僕は半分ヤケになっていて、どうでもよくなっていた。
だってどうせ辞めるんだから。
後日、この前あの森山とかいう奴が、マジでキモくて、ほんとキモ山って感じだった、みたいな陰口をたたかれようと、構わない。
もう僕の評判なんて、どうなろうと知ったこっちゃない。
もはやこの口がここで、これ以上勝手に何を喋っても、僕には無関係。
そもそもの好感度がかなり低いんだ。
マイナス百もマイナス二百も、大して差はないだろう。
僕は完全に開き直っていた。
「あははっ、その口調、陽介がいなくなった後でも続けるんですね。実は案外、それが素なんですか? まじウケる。普段全然喋らないから、気づかなかったです」
「(変ですよね? でも笑って貰えるなら、救われますよ)変か? だが構わないさ。それであんたのことを笑顔にできるならな」
「あっはっ! ヤバい。森山先輩、めっちゃ面白いんだけど。なんでこんな面白キャラ隠してたんですか? むちゃくちゃ変ですよ。ウケる」
きゃぴきゃぴと、岡田さんは腹を抱えて笑っている。
数分前まで元カレに嫌がらせを受けていたとは思えない溌剌さだ。
頭の良い人は、切り替え上手なのかもしれない。
「……それで、あの、一応ひとつだけ確認しておいてもいいですか? うち、このお店気に入ってるんで、あんまりこのバイト先でややこしい感じにしたくないんですよ」
「(え? なんですか?)ん? なんだ?」
ひとしきり笑った後、今度はまた表情を真剣なものに変えて、岡田さんは僕を見る。
いったいどの部分で僕を糾弾するつもりだろう。
心当たりがありすぎて、どれかわからない。
「森山先輩、さっきのあれ、本気ですか? うちのことは、俺が幸せにするみたいなこと、言ってましたよね? うちの自意識過剰だったらいいんですけど、もしかして告白みたいなことじゃないですよね?」
あー、それか。
なるほどね。
うーん、なんというか、今すぐ樹海でハイキングしたい気持ちでいっぱいかな。
そういえば、僕は岡田さんに告白まがいのことをしていた気がする。
こんなキモ男から告白されるなんて、今の世の中の基準では立派なセクシャルハラスメントだ。
セクハラで訴えられてから首を吊るか、首を吊ってから訴えられるか。
どっちがいいかな。
悩ましいぞ。
(あれは、その、なんというか、その場の勢いで言っただけで……も、もちろん岡田さんがすごい可愛いくて、頭も性格も良いってことはわかってるんだけど、当然僕みたいな駄目な奴が付き合えるとは思ってないというか、そもそも付き合おうとすること自体がおこがましいし、とにかく今すぐ岡田さんと付き合いたいと思ってるわけじゃないみたいな)
「あれは、あの場でああ言うべきだと思ったから、言っただけだ。たしかに岡田さんが実に可憐で、知性も気品も兼ね備えていて、俺と付き合うに相応しい素晴らしい女性だということは理解している。だがとりあえず現時点で、岡田さんの彼氏になろうとする意思はない」
ワーオ。
僕と付き合うに相応しい素晴らしい女性だってよ。
それ皮肉にしか聞こえないんだけど。
褒めてるようでディスっていて、なおかつ自虐という高等テクニックだよ。
やりますね。
「えーと、よくわかんないけど、告ったわけじゃないってことでいいですか?」
「(あ、はい。そうです)。ああ、そうだ」
「ですよね。あー、よかったです。さすがにこれまでまったく喋ったことない相手に、いきなり告られてもって感じだったんで。助けて貰ったのは事実ですけど、それとこれとは別ですし。あ、なんか、すいません。今うち、めっちゃ上からでした?」
「(いえいえ、大丈夫ですよ。そりゃ僕みたいなキモい奴に、いきなり愛の告白もどきされたら困惑しますよね)いや、構わないさ。俺みたいな完璧超人に、突然愛の告白をされでもしたら、受け止めきれず困惑するのも無理はない」
「完璧超人って……ぷぷっ、あ、はい。そです。伝わっているみたいでよかったです」
半笑いの岡田さんは、おかしそうに口元を手で隠す。
どうやらもう、この奇妙で気色悪いバイト仲間の対応に慣れたらしい。
柔軟性が高くてありがたいことだ。
「あ、でも、一応もう一つだけ、伝えておきますね。このままだとなんかうち、助けて貰ったくせにちょっと態度悪い感じするんで」
「(え? いや、全然態度とか悪くないですよ)まさか、あんたの態度はいつだって最高さ」
「はいはい。わかりましたから、たまにはうちの話真面目に聞いてください」
年下の女の子に、微妙に呆れられながら怒られた。
羞恥心のバーゲンセールだ。
バンビを思わせる岡田さんの真ん丸な瞳が、僕に真っ直ぐと向けられる。
「さっきの森山先輩、ちゃんとカッコよかったですよ。本当にありがとうございました」
狙っているのか、天然か、若干の上目遣いで岡田さんは僕に感謝を告げる。
この時間が過ぎれば、どうせ今みたいに会話することなんてほとんどなくなるのに、胸がどきどきしてしまう。
こんな可愛い子が、僕の彼女だったらな。
絶対にありえない妄想してしまうほどに、僕を見つめる岡田さんは魅力的だった。
「いや~、俺もさっきのは痺れたな。カッコよかったぜ、森山くん」
「へっ!?」
「(え?)ん?」
すると、急に背後から楽し気な声が聴こえてくる。
見て見ればそこには、カウンターに両肘を乗せて、ニヤニヤとしている茂木さんの姿があった。
いつからいたんだこの人。
「悟さん!? いつからそこにいたのっ!?」
「んー? 戻ってきたのは、だいたい森山くんが、俺の女に手を出すな、みたいなこと言って前に出たらへんからかな」
「超前からじゃん! ふざけんな! 助けろし!」
「悪りぃ悪りぃ。なんか揉めてんのは、裏にまで声が聞こえてきてわかってたけど、なんか面倒臭そうだから放置してたわ」
「さいってい! 悟さん、さいていすぎ! まじ顔だけなんだけど!」
「まあまあ、いいじゃん。ちゃんとカッコよかった森山くんが助けてくれたんだから。結果オーライだろ。それにマジでやばそうなら俺も出るつもりだったって」
「はあああ!? 結果オーライとかそういう問題じゃないから! しかも盗み聞きとかまじ感じ悪い!」
へらへらとしている茂木さんに対して、珍しく岡田さんがぷりぷりと怒っている。
でもたしかに問題に気づいてたなら、助け船を出してくれればよかったのに。
男前な大人はずるい。
おかげさまで僕はご覧通り、イキリキモ超人になってしまった。
「とりあえずそうだな……森山くん、今日のバイト終わり、飲みでも行こうぜ。たしか二十歳すぎてるよな?」
「ちょっと悟さん!? うちの話きいてる!?」
「(あ、はい。僕なんかでよければ)ああ、いいっすよ。飲みといえば俺っすから」
そしてなぜか、僕はハードボイルド系イケメンに飲みに誘われる。
顔を真っ赤にして怒る美少女と、嬉々として飲みの誘いをしてくるイケメンと、口を開けばイキるカンぺキモ男。
元カノに復縁を迫る青年が去った後も、イタリアン料理屋メトロポリターノの混沌は続いていた。
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