第8話 僕みたいな駄目人間じゃない




「ははっ、笑えるぜ。紀夏、こんなしょぼい奴と付き合ってんのか? お前、俺と別れてセンス悪くなったんじゃねぇか?」


「え? いや、べつにうち、この人と付き合ってないけど」


 岡田さんから手を離して、両手で拳をつくりぱきぱきと鳴らし始めた元カレさんだが、そこで動きを止める。

 嫌な汗が額から滲み出るのが分かる。

 残念ながら、やはり新しいバイト先を探す必要がありそうだ。


「は? そうなのか? でも今こいつ、俺の女って」


「知らないわよ。同じバイト先の先輩だけど、ほとんど喋ったことないし」


 気まずい空気が流れる。

 数秒前まで、この店の中で一番のやばい奴だった元カレさんは、触れてはいけないものを見るような視線で僕を見ている。


 そりゃきしょいよなあ。

 僕でも引くもん。


 ろくに喋ったことのない女子のことを、いきなり俺の女呼ばわりだなんて、頭が変な電波を受信しているとしか思えないね。


「なんだお前。超キモイじゃねぇか。絡んでくんなよ。キメェな」


 凄い勢いでキモイを連呼されて、僕は泣きたくなる。

 だがこれはチャンスだ。

 僕の人として誇りが失われた代わりに、大きな隙が出来ている。

 掴まれていた腕も今は離されているし、今のうちに岡田さんには茂木さんを呼んできてもらおう。


(岡田さん、裏に回って茂木さんを呼んできてください。ここは僕がなんとかしておきますから)


「岡田さんは茂木さんみたいに裏へ引っ込んでな。ここは俺がなんとかする」



 なんか違う!


 なんかニュアンスが違う!


 でもギリギリ意図は伝わったか!?


 頼む!


 伝わっていてくれ!


「え? うそ、ヤバ。この流れで、まだその彼氏気取りの態度続けんの? 森山先輩鬼メンタルじゃん。ちょっとウケんだけど」


 だめだったあ!


 伝わってなぁい!


 なんにも伝わってぬああい!


 ウケてる場合か!


 はやく茂木さんを連れて来てくれよ!


「おい、キモカス。あんまイキんな。顔から言ってることまで全部キメェんだよ。紀夏のことが好きなのかなんだか知らねぇけどよ、お前とか眼中にねぇから。絡んでくんな。キメェな」


 怒涛のキモイ攻撃。

 全てが僕の脆弱な心にクリティカルヒットだ。

 なんか内臓がじくじくする。

 もしかしたら胃に穴が空いたかもしれない。


「(ごめんなさい。ごめんなさい。キモくてすいません)悪かった。あんたがここまで哀れな奴だとは気づけなくてな。俺のことが醜く見えるのは、お前の心が醜いからだよ」


「は? お前、俺のこと醜いって言ったか?」


 言ってねぇ!


 全然言ってねぇ!


 一言も言ってないよそんなこと!


 いや、言っちゃってるけど、本当は言ってないんだって!


「いいぜ、キモカス。心の底からキモイけど、度胸だけは認めてやるよ。自分で言った言葉の責任は取って貰うぜ?」


「ちょ、ちょっと森山先輩、まずいって! うちのこと庇ってくれるのは嬉しいけど、もういいから! 陽介もやめてよ! まじでこの人関係ないから!」


「(岡田さんはいいから裏に言って茂木さんを呼んできて! 僕を助けるつもりならそれが一番の解決策だから!)岡田さんは茂木さんのいる裏に行ってくれれば、それでいい。俺のためを思ってるなら、それが一番の俺を喜ばせる方法だ」


「はあ!? 森山先輩マジ馬鹿!? 見てわかんないの!? 女子の前でいいかっこしたいのはわかるけど、状況考えろよ!」


「こいつの言う通り、お前は引っ込んでろ紀夏。今すぐこのキモカスをのしてやるから」


 知らない間に岡田さんは僕を怒る側に回っていて、元カレさんは裏に行けと言っていて僕と同意見に変わっていた。


 あまりにカオスだ。

 僕もまさに僕がこんなに馬鹿なことを口走るとは思わなかった。


 本当に状況を考えて欲しい。

 そういう意味では岡田さんとも僕は同意見だ。


「(いや、本当に違うんですよ。僕はいいかっこしたいとかじゃなくて、ただ暴力とかそういうのはよくないからなって思っただけで)わかってないな。俺はいいかっこしてるんじゃない。実際にカッコいいんだよ。暴力にしか頼れない三枚目以下の四枚目野郎とは違うんだ」


「は? お前、鏡見たことねぇのか? 溶けかけのナメクジみてぇな顔してよく言えんなそんなこと」


「(ですよね。僕もそう思います。なに言ってるんすかね、こいつ。身の程をわきまえろって感じですよね)そうだな。俺もそう思うよ。何を言っているんだろうな、俺は。あんたのような奴とは、身の程が違う」


「どういう意味だよてめぇ……俺を言葉の通じねぇ馬鹿だって言いてぇのか?」


「もう、森山先輩っ……」


 だめだこりゃ。


 言い訳をすればするほど火に油を注いでるようにしか思えない。


 僕は近くの病院がどこにあるのかを考え始めた。


 殴られた時って、救急車とか呼んでいいのかな。


 それとも、骨くらい折らないと呼んじゃだめなのだろうか。


「……でも、実際そうでしょ」


「あ? なんだよ紀夏? このキモカスの肩を持つのか?」


「どっからどう見ても、猿以下の馬鹿でしょ、今の陽介。元カノのバイト先に乗り込んできて、店員殴ろうとしてんだよ? 言葉の通じない馬鹿以外のなにって感じ」


「それはこいつが、クソうぜぇから――」


「だからクソうぜぇのはどっちだって言ってんの。話しがあるなら、そう言えよ。ちゃんと言ってくれれば、話し合う時間くらいつくってあげるからさ」


「……くそがっ!」


 ……岡田さん、カッケェ。


 僕がドキショ発言を連発している間に、精神ゲージを回復させたのか、毅然とした態度で元カレさんを言いくるめている。


 あれ、これ、もしかして、僕いらなかったのでは?


 無意味に生き恥晒して、バイト先での居場所を失っただけなのでは?


 親の仇かのような目つきで僕を睨み、ぷるぷると震えている元カレさんを視界に捕えながら、僕は自らの浅慮を呪った。


「そこのキモカス。勘違いすんなよ。てめぇのことを許したわけじゃねぇからな。紀夏は俺がいないと駄目なんだよ。次、邪魔したら殺す」


 俺がいないと駄目、か。

 一度でいいから、そんな自信に溢れた台詞を言ってみたいものだ。

 僕なんか、自分自身の中で駄目じゃない部分を一つも知らないのに。

 どういった形であれ、ここまで他人を幸せにできる力があると、自分のことを信じられるのが羨ましいと思った。

 だけど、この人は勘違いしている。

 一応最後に、それだけは伝えておこう。


(心配しなくても岡田さんは、あなたがいなくても十分幸せそうですよ。この店で皆の人気者ですし)


 そう、岡田さんはこの店のアイドルみたいな人だ。

 自分に自信をもつことはいいことだけれど、岡田さんは賢くて可憐で、僕みたいな駄目人間じゃない。

 元カレさんの歪な形の心配を、少しでも取り除ければいいなと思って、僕は最後にそう言っておく。



「心配はいらない。あんたがいなくても、この子は俺が幸せにする。この店の俺たちにとって、彼女は太陽みたいな存在だからな」



 でたよ。

 本当に勘弁してくれ。

 誰目線なんだこいつはほんと。

 岡田さんを幸せにできるくらいのハイスペ男子が、小学校時代に酢飯っていうあだ名で呼ばれてるわけないだろ。

 余計なこと言わなければよかった。

 なんて学習能力がないのか。

 僕は素でベースの頭が悪いので、こういったケアレスミスを何度もしてしまうのだ。



「……きっしょいなマジでお前。最後まできしょいわ。こんなきしょい奴初めてみた。まじきしょい」



 最終的にキモイすら超えてきしょいしか言えなくなった元カレさんは、舌打ちを三回くらいしてから店を出ていった。

 床に落ちたままのメニュー表をテーブルの上に戻して、やっと僕は一息つく。


 まあ過程はどうあれ、とりあえず修羅場は凌いだ。

 ここから先は、岡田さんが自分でなんとかするだろう。



 さーてと、僕は辞表でも書きますか。



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