第2話 ドブネズミの生活も楽じゃない
味気のない講義を三つほど受けると、僕はすでに二十歳になっているにも関わらず、友人と居酒屋のひとつに寄ることもなく、真っ直ぐと帰路につく。
趣味や時事ネタを愉快に話す相手もおらず、講義で熱心に発言するわけでもない僕は、今日も日が出てから落ちるまで誰とも話さず一日を過ごした。
空は灰鼠の雲で埋め尽くされていて、ただでさえ憂鬱な気持ちをさらに落ち込ませる。
帰り道のスーパーに寄り、でんぷんの固まった酢豚と変に分厚い衣のついたエビチリの惣菜を買い物かごに入れる。
他にも何か買うべきものがあったような気がしたけれど、思い出せなかったので他にはコーラだけを買って帰る。
買い物を終えてスーパーを出ると、ざあざあという水滴がアスファルトを打つ音が聞こえた。
どうやら、とうとう雨が降り始めたらしい。
僕のようなドブネズミみたいな人間には、よく雨に降られるので、こうした時に備えて折り畳み傘は常備している。
地面からの跳ね返りで、足下が濡れる中、僕は冬雨の下とぼとぼと歩いていった。
するとふと、昨日怪我をしたカラスを見つけた道に通りかかる。
この路肩にいたカラスは、結局どうなったのだろう。
僕が目を離した隙に、最後の力を振り絞ってどこかに飛び去ってしまったみたいだが、あの怪我じゃそう遠くまでは行けまい。
きっとどこかで力尽きて、また地に倒れているのだろう。
下手をすれば、運悪く川などに落ちて、溺れてしまったかもしれない。
あるいは、道路の真ん中に落ちて、車に轢かれたか。
そうでなくても、今度地面に落ちたら最後、無事生きていけるとは思えない。
そんな暗い妄想をしながら、道を進んでいく。
雨のせいで歩く度にぐちゅぐちゅと靴下が水を吐き出す感覚にうんざりする。
だが僕は、そこでおかしなことに気づく。
あれ? 昨日の神社がない?
カラスの一時避難のために利用した神社がどこにもないのだ。
僕が場所を覚え間違えているのだろうか。
慌てて周囲をきょろきょろと見回して確認してみるが、やはりここで合っているように思える。
でも、やっぱりない。
神社の跡とかではなくて、そもそもスペース的に存在しない。
知り合いでもなんでもない、どっかの誰かの住宅が隙間なく並んでいるだけだった。
何か薄ら寒いものを感じ、僕は深く考えるのをやめ足早にそこを去る。
忘れよう。
どうせ一匹の傷ついたカラスを救えなかったというだけの話だ。
こだわっても仕方がない。
雨脚は強まるばかりで、まるで僕を急かしているようだった。
それからほどなく歩けば、僕の住む安アパートに着く。
オートロックとは無縁のボロ賃貸の前に、この辺りではめったに見かけないものを見つけた。
それは僕の安値の眼球にはもったいないくらいの、目を見張るような美人さんだった。
雨宿りでもしているのか、誰か人を待っているのかは知らないが、アパートの前に背筋よくすっと立ち、重なりのよく分かる二重瞼で濡れる街を眺めている。
シックなロングスカートに厚手のパーカーという出で立ちで、女性にしては背が高く身長170センチの僕と、あまり変わらないよう見える。
可愛いというよりは綺麗系で、なんとなく近寄りがたい雰囲気を感じた。
綺麗な人だなあ。
西洋画みたいな顔立ちは惚れ惚れする。
こんな美人さんと僕が関わる機会は一生ないだろう。
僕のような下級も下級で、この美人さんに比べたら、プラナリアかミカヅキモぐらいの存在にしか過ぎない僕は、なるべく彼女の視界に入らないように、目いっぱい距離を取ってアパートの玄関口を通る。
近くを通る時は、少しでも顔を向けぬよう、手元の折り畳み傘をガン見した。
僕みたいな存在レベルの不審者なんて、美人さんからすれば、近くにいるだけで恐怖心を感じるはずだ。
なるべく不快な思いをさせないように、精一杯僕はあなたに関心を抱いていませんよ、という雰囲気をつくって美人さんの横を通り過ぎる。
ふう。
生きてるだけで僕は他人の迷惑になるからな。
ドブネズミの生活も楽じゃないぜ。
なんとか美人さんの横を通り過ぎることに成功した僕は、自分の脇辺りを嗅ぎながら、変な匂いをさせなかったよなと確認しつつ、自室に帰っていくのだった。
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