強制ポジティブな僕に、春はこない

谷川人鳥

立春

第1話 僕には星なんて似合わない



 なんだか僕は、人生に疲れ切ってしまっていた。

 どうして生きているのか、何のために生きているのか、まったくわからない。

 もし明日この世界から僕が消え去ってしまっても、困る人は誰もいないだろう。

 それどころか、気づく人すらいないかもしれない。


 諦観に沈む僕は、冬の茜空の下、いつものように一人で歩いている。


 僕は昔から何をやっても駄目だった。

 外見はお世辞にも良いとは言えず、運動音痴で、勉強も不得意。

 小、中、高とろくに友人もつくれず、一浪してなんとか入った大学でもやはり馴染めず、いつも一人ぼっち。

 友人すらできないので、当然のように恋人もできたことがない。

 異性とろくに会話をした経験もないまま、二十歳を迎えてしまった。

 きっと僕に、春が来ることはない。

 悲観的な考え方はもはや僕の癖のようなもので、呼吸することにすら僕は罪悪感を覚えていた。


「……ん? あれは……」


 そうやっていつも通り、自らの生きる価値のなさについて思い返しながら、歩道を歩いていると、僕は道路の脇に黒い物体が落ちているのを見つける。

 立ち止まって、目を凝らす。

 その黒い物体は、どうやら羽根を怪我したカラスらしかった。


 可哀想に。僕はその怪我をしたカラスに自らを重ね合わせる。


 街往く人々は、まるで視界に入っていないかのように、傷ついたカラスには目もくれずに通り過ぎていく。

 立ち止まるのは僕だけで、息を潜めて身じろぎしないカラスは、真っ黒な瞳をこちらに向けるだけ。


 積極的にカラスを嫌う人はいなくても、彼らはどちらかといえば厭われる存在だ。


 飛べなくなったカラスに、手を差し伸べる人は誰もいない。

 それは僕も同じで、ただ見ているだけ。


「……可哀想に」


 今度は独白ではなく、呟くような声量だが実際に言葉が口をつく。

 不潔で、美しくない、皆の厄介者。

 どうしてか立ち去ることのできない僕は、自然とその怪我をしたカラスの方へ寄っていく。


 変な病原菌を移されたら嫌だとか、人の目が気になるとか、どうせ助けられないとか、いつも通りのネガティブな考えはいくらでも湧いてくる。


 それにも関わらず、僕はどうしても見捨てられず、気づけばそのカラスを抱きかかえていた。

 警戒心の強そうな印象とは違って、カラスは大人しく僕の胸の中に収まる。


 なにしてるんだろ。僕は。


 やたら油っぽいさわり心地に、辟易しながらも、僕はとりあえず道路から離れようと辺りを見渡す。

 すると、これまで不思議と目に入らなかったが、すぐ近くに神社があることに気づいた。



八咫神社やたじんじゃ


 

 標札を眺めながら、こんな神社前からあったかなと、思い返していた。

 この道はほとんど毎日通っているのに、これまでまったく気づかなかった。

 とりあえずの一時避難場所として、ひっそりとした境内を進んで、僕は怪我したカラスを地面にそっと寝かせる。

 カラスを抱きかかえたままじゃ、動物病院に電話もできない。


 思いつきで行動したはいいが、それでどうしよう。


 煤けたような跡のある鳥居は、夕日に照らされて、燃えるような朱を映えさせる。

 風もないのに、さわ、さわ、と社を取り囲む木々が葉を揺らす。

 神社や仏閣独特の静謐な空気に包まれる中、動物の治療に詳しくない僕はスマホで対処法を検索する。

 その時、僕はふと思った。

 そういえばあのカラス、一度も鳴いてない――、



「あら、参拝客の方ですか。お珍しい」



 ――ばさ、ばさ。

 何かが羽ばたく音と共に、凛とした鈴の音に似た声がかかる。

 振り向くとそこには、真っ黒な髪を腰まで伸ばした若い巫女装束の女性がいた。


「あ、いや。僕は怪我をしたカラスを……ってあれ?」


 僕は慌てる。

 この神社に寄った理由でもある、怪我をしたカラスが知らない間に姿を消していたからだ。

 たしかにすぐ近くの木の根元に寝かせたはずなのに、もうそこには影も形もなくなっていた。


「せっかくですから、お参りなさっていったらどうですか? きっといいことがありますよ」


「え? そう、ですね、はい」


 若い巫女さんは夜空のように黒い瞳を真っ直ぐと僕に向け、優しく微笑む。

 元々は参拝目的でもなんでもないのだけれど、ここにきて何もせず帰るのも気まずい。

 勧められた通り鰐口の前に立ち、僕は適当に百円玉を放り投げる。


 願いたいことは、とくに思いつかない。


 ぱちぱちと手を鳴らしながら、僕はとりとめなく考える。

 こんな寂れた神社に、あんな綺麗な巫女さんだなんて、もったいない。

 僕にも、あの巫女さんくらい可愛らしい彼女ができたら、少しは人生が楽しくなるのかな。


 彼女、欲しいなあ。

 こんなどうしようもない僕も、大空を自由に飛べる鳥みたいになれたらいいのに


 そんなどうでもいい願いともいえない、曖昧な空想をしている間に、最後の一礼が終わる。

 するとまた、何かが飛び立つような音が聞こえた気がした。



 ――その願い、叶えて差し上げましょう。



 ひゅるりと、吹き抜ける冬の冷たい風。

 何となく声がしたような気がして振りかえったけれど、そこにはもうあの美しい巫女さんはおらず、黒い羽根が一枚、宙を舞っているだけだった。


 神様もこんな僕程度に構ってるほど、暇じゃないよな。


 結局、何も変わりはしない。

 また一人ぼっちになった僕は、重い溜め息を冬に白くさせて、いつも通りに帰路に戻る。



(もう夜になって星が見え始めてきた。僕には星なんて似合わない)


「星が俺を照らすためにやっと顔を出し始めたか。というより俺が星だな」



 癖の一人ごとを呟きながら、そして僕は寂しい星夜を帰っていくのだった。



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