寒くて痛い

青春愛

寒くて痛い

「寒い…」

もう12月だ。指の先が凍りそうなくらいに冷えている。私は仕事からの帰り道、去年の12月のことを思い出していた。


「洋ちゃん!今日の帰り買い物してきて!」

「は〜?も〜寒いからちょっとでも早く帰りたいのにさ〜」

ぶつぶついいながらも、何が欲しいの、と言いケータイを取り出しメモをひらいて待っている。

「さすが優しい私の彼氏♡」

「いいから早く!仕事遅れちゃうから」

「えっとー、赤いきつねと、バニラアイス、あとオレンジジュース。パックの大きいやつね。あといつも使ってる洗顔。」

「多いな!そんで、また赤いきつねとバニラアイスとオレンジジュースか!いつもお前そればっかだな。」

「いいじゃん!冬の夜はお腹が空くのー!

早く!仕事遅れるよ!!!」

またぶつぶついいながらも、行ってきます、はきちんと言って鞄をもって出て行く彼に、

ちょっと笑ってしまった。


洋ちゃんこと洋介は9年付き合っている私の彼氏だ。時々喧嘩はするが、ご覧の通り仲良くやっている。

洋介はアパレル店員で、私はサロンでエステティシャンとして働いている。休みの日や出勤時間もかなりバラバラだ。

冬は特にこたつから出るのが億劫になるため、こうして洋介の仕事帰りにおつかいを頼むのが冬の恒例となっている。

逆に洋介に頼まれたことは一度もない。


いつのまにかこたつでうたた寝をしていたようだ。しかもかなり長い間。

目を開けると洋介がお湯を沸かしていた。

「お、起きたか。食うんだろ?赤いきつね」

「おかえり〜…。食べる、ありがとう…。」

半分寝ぼけながら返事を返した。

寝ぼけているながらに洋介の様子がいつもと違うのに気づいた。いつもより口数が少ない気がする。

「洋介…」

「ん〜?」

「何かあった?」

「……………えっ、何もないけど…。何?」

笑いながら振り返る洋介の目は完全に泳いでいた。しかしもうすぐお湯を入れて5分経つ頃だ。食べてからにしよう。

「いや、なんでもない」

何だよ〜、といいながら洋介も向いに座って緑の蓋を開けた。洋介は私が赤いきつねを頼むと必ず、自分は緑のたぬきを買ってくる。

以前、私が両方食べたくておつかいを頼んだ時、こんな時間にそんなに食べると太るから一口にしておけ、と洋介が止めたのでこのスタイルができあがったのだ。

だから私は必ず洋介のそばと天ぷらを一口だけもらう。洋介にも一口あげる、というと洋介は決まって首を振って、いいから全部食べろよ、と笑う。

洋介は本当に優しい。


だからこそ洋介は、何かあったとしても私を傷つけるような内容なら絶対言えない。

もう9年も一緒にいるのだ。洋介がすごく優しいことも何かある時はわかりやすく目が泳ぐことも全部知っている。

「洋介、私は洋介に隠し事をされるとすごく悲しい。お願い、何かあるなら話して。」

私は真剣に真っ直ぐに洋介の目を見た。

洋介はしばらく黙り込み、そして箸を置いた。

「うん、ごめん。ごめんな。

麻里、俺、好きな人ができたんだよ。」


衝撃的な内容すぎて目の前が真っ白になった。

かっこつけて「話して」なんて言ったものの、想像もしていなかった内容に、意識が飛びそうにすらなりながらも私は必死に頷き、話の続きを促した。

その後の洋介の話はあまりハッキリと覚えてはいないが、どうやら職場の先輩の事がずっと気になっており、一時的な感情だとやり過ごそうとしていたところで、今日何とその先輩に告白されたのだそうだ。

付き合いたいの、と必死に言葉を絞り出して尋ねた。

洋介は私の目をしばらく見つめて、「うん」と小さく言った。


もう何もいえなかった。

間すら怖くて、ただただ感情のない「そうか」を繰り返すことしかできなかった。

洋介は本当に優しい人だから、洋介自身が一番胸を痛めているのは誰よりもわかる。

だからせめて洋介にこれ以上辛い思いさせないように笑おうと思ったが、目からは涙が溢れて止まらなかった。

洋介の顔を見るのも辛くて、ただただ涙を流しながらぼーっと赤いパッケージを見つめていた。



それから1年が経った。

私は別れた今もまだ洋介のことを忘れられずにいる。

その後もちろん連絡をとっていないので結局職場の先輩と付き合ったかどうかは分からない。

でもあの洋介のことだ。きっと慎重に真剣に愛を育んでいることだろう。


そうグルグルと考えながら家に着きそうな頃、会社に忘れ物をしていたのに気づいた。

しかもその時最悪のタイミングで雪が降り始めた。

「最悪だ…」

寒い中、私はもと来た道を引き返した。寒いとどうしてもあの日の夜を思い出して胸が痛む。ただでさえ冷え性の私に冬は地獄だというのに…。


そして会社について、ドアを開けると後輩の男の子がまだ会社にいた。いつも明るく爽やかな私より10も歳下の後輩だ。

「麻里さん!お疲れ様でーす!」

「何してるの?!」

「麻里さんを待ってました。忘れ物してるんで戻ってくるかな〜と思って」

ニコニコと笑いながら話すその子はいつも私には眩しかった。

「ありがとう」

お礼を言ってすぐに帰ろうと振り返ると、とっさに手を掴まれた。

「うわっ、すいません、つい、ていうか冷たっ」

すごい勢いについ吹き出してしまった。

「あの、麻里さんって、冷え性ですよね。前から思ってたんすよ。俺もそうなんで。辛いっすよね。冬は特に。」

「よく分かったね。すごい」

「いや、まあずっと見てたんで」と顔を赤らめながらうつむく後輩に、なぜか私まで照れてしまった。

いや、そんなわけはない。こんなに若い子がたくさんいるのに、10も年上の先輩を?無い無い…。と自分に言い聞かせていると、後輩がスーパーの袋からおもむろに何かを取り出していた。


それは、見覚えのある緑と赤のパッケージだった。

久しぶりに見た。あれ以来、思い出すのが辛くて食べることができなかった赤いきつねと緑のたぬきだ。

思い出して涙が出そうになったが、後輩の前だ。グッと堪えた。

「どうしたの?これ」

「あの、俺すごいこれ好きで!帰って食べようと思って買ってたんすけど、外寒いし今出たら雪降ってるし、時間潰しに一緒に食べませんか?きっとあったまりますよ」

食べている時にまたあの日がよみがえって泣いてしまったらどうしよう、と悩んだがこれといって断る理由が見つからない。

私は渋々頷いた。


鼻歌を歌いながらお湯を沸かす後輩の背中をぼーっと見つめながら、やはり私はあの日を思い出していた。

あの時私が洋ちゃんに何かあったかと尋ねなければ、私達はそのまま何事もなく付き合っていけていたのだろうか。

いや、無理だろう。洋ちゃんは私と付き合っている間もずっと彼女の事を好きだった期間があったのだ。その時点で既に心は離れていた。

それに、いつでも私に優しさをくれた優しい洋ちゃんには誰よりも幸せでいて欲しい。その幸せをあげるのは私が良かったから、複雑ではあるが。

考えているうちに5分がたったようだ。後輩が2つのカップを持ってやってくる。

「先輩!どっちがいいですか?」

私が赤いきつねを指さそうとした時、私に必ず一口どころか半分ほど分けてくれる時の洋ちゃんの笑顔を思い出して、思わぬところでまた泣きそうになってしまった。

というかもう泣いていた。

後輩はそんな私を見て驚いたようだったがすぐに何かを考え、器を2つ持って戻ってきた。

すると後輩は箸を両手にもって油揚げを半分に割り、その油揚げと半分のうどんを器にとった。そして同じように天ぷらを二つに割り、その天ぷらと半分のそばをもう一つの器にとった

あまりの不思議な行動に涙もひっこみ目を丸くしていると、後輩が口を開いた。

「先輩、両方とも食べたかったんすよね、すみません!でも俺も食べたいんで!

すみませんけど、半分半分てことでお願いします!」

真剣な後輩の顔に思わず吹き出してしまった。私が両方食べたくて泣いていると本気で思ったのか、それとも私を元気づけようとしたのかは分からないが、どちらにしてもそんな後輩の行動に思わず笑顔がこぼれてしまった。

「どっちもうまいすね〜!」と笑顔で麺をすする後輩を見てまた笑いながら、私はハッとした。あの日、洋ちゃんと別れた夜、あんなに痛かった思い出なのに、少しだけ嬉しい気持ちがあったことに気づいたからだ。

私はずっと洋ちゃんにわがままを言ってほしかったのだ。いつもいつももらってばっかりで洋ちゃんは一度たりとも私にわがままを言ったことはなかった。あの夜を除いては。

洋ちゃんが唯一言ったわがままが私と別れる時だなんて皮肉なものだが、それでも私は嬉しかったのだ。洋ちゃんが最後に、いや、

「最後だから」か。わがままをちゃんと言える存在で良かったと思えたのだ。

なんだ、私ちゃんとスッキリしてたんだ、と気づくと嘘みたいに心が軽くなった。


「先輩、先輩!聞いてますか?」

「あっ、ごめん考え事してたわ」

先ほどからずっと後輩が話しかけていたようで、すこし拗ねている様子を見てまた笑ってしまった。

「も〜笑ってる場合じゃないですよ、わかってます?俺の気持ち」

「俺の気持ち?」

「俺、先輩をずっと見てるんすよ。先輩、好きです」

先ほど感じた予感は間違いではなかったようだ。10も年上の私を好きなんてにわかに信じがたいが、後輩の真剣な顔を見て、私も真剣に答えなければと思った。気持ちは嬉しいが、今すぐには考えられない、と正直に伝えた。

すると後輩は笑って

「俺はしつこいですからね。長期戦で頑張ります!あ、とりあえず一緒に帰りましょ!」と言った。またすごい勢いに笑ってしまった。


外に出るとまだ雪は降っていた。

「すみません、時間潰したのにまだ降ってました…」

後輩は申し訳なさそうにしていたが、来る前はあんなに寒かったのに、今は暖かい空気が私を包んでいるかのように感じられた。胸に暖かい気持ちがじんわりと広がっていた。

今年の冬は暖かい。

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