26
「澄川さん」
「はい」
「京都ってどこ行ったらいいですかね」
「すみません、知らないんです」
「そすか」
「はい」
という会話未満ののち、清水五条に足を運んだ。
清水寺まで来てやっと、「京都に来て観光一カ所というのは、なんとも勿体ない」と思い至る。『山までは見ず』を思い出したけれど、学無精なので、宇治拾遺だったか徒然草だったか、判然としなかった。
「澄川さん」
「はい」
「『山までは見ず』って何でしたっけ」
「徒然草の第五二段です」
「どこでしたっけ」
「石清水八幡宮です」
「仁和寺だった気がするんですけど」
「仁和寺はお坊さんの暮らしていたところです」
「ああ」
澄川さんは死人みたいな穏やかさで、笑うも泣くもなく、すべての嫌いなものへの嫌悪と訣別していく死への道行きのまっただ中にいるようだった。仏様のようだとも思った。
清水の舞台を風が撫でる。ぬるく、彼女の髪をささやかに巻き上げて、終わるともなく静けさにかえった。
「入江さん」
「っはい」
擦れたまなざしに竦んだ。
「あの、澄川さん、行かないで下さいね」
「え?」
「あ、いや」
「……?」
「飛び降りるのかと思って」
「飛び降りませんよ」
この人はたくさんの罪を呑んで、いま、擦れている。
その微笑みかたが人で一番、優しく思われた。
「言ってもいいですか」
「はい」
京都駅の高いところにいたのに、先生はあっさりと俺を見つけた。
「入江、お嬢をもらってやってくれ」
「すみません、好きな人いるんで」
「そうか。じゃあ幸せにしてやってくれ」
「はい。幸せにします」
「頼む」
「なんでそんなこと言うんです」
「言わん」
「そすか」
それで、あっさり去った。
俺はなかなか傲慢な言葉を垂れ流し、言い散らした。
後で自問自答を始めることとなる。
「入江さん、さっき」
「はい、先生と会いました」
「そうですか」
「買い物終わりましたか」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ帰りましょう」
「はい」
それからはまるで、玉手箱でも開けたみたいに歳を取った。
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