24

 その日、京都府内全域、停電した。


「これ大丈夫なんすか」

「何が」

「ライフラインとか……予め、なんか」

「んな工作してしたら澄川に筒抜ける」

「それ、人死にませんか」

「死ぬかもな」

「先生」

「澄川がこのまま蔓延るよりマシだった」


 俺は胸が悪くなった。


「先生、自分がいいことしてるとでも思ってたんですか」

「おまえは知らんからな……」


 そうやって、もう誰も死なないように、二度と諍いのないように願うひとの努力だけが最悪を起こしているのだと思う。みんながみんな苦痛を受け容れて、そうすれば、せめてその苦痛を不幸と思わずに済むのだと思う。平和や幸福をそもそも知らず、諦めれば。


 主語が大仰で後ろ向きだ。


「失望するなら勝手にしてろ。期待の責任は、期待した自分で」


 高いブレーキ音が割り込んだ。

 バンパーに蓮の紋があって、気分を害した。


「……はぁ?」


 強襲隊じみて速く揃う足音が続き、ぐるり囲まれて、先生はドラマのように両手を掲げた。


「はえーよ。ご当主様はどこまでわかってた?」

「許可を得ております。こちらで、お話を」

「いやいいわ。それもう答えだろ」


 心の動かないうちに乗り込んでいた。


 車窓から覗く深夜の京都の街並みは、全然京都らしくなくて、つまり田舎で思い見たほど古都風でなく、要するにそれらしいところだけそれらしい街なのだった。

 先生は窓枠についていた肘をおろし、腕組みになおして背もたれにもたれた。


「入江と話しても」

「許可を得ております」

「怖いんだよそれ……」


 俺のほうに横目がくる。


「親族、澄川関連のいるか」

「母親が澄川電気に」

「そうか」

「自己完結しないで下さいよ」

「おまえの母親からおまえの人格を分析された。あの女はおまえの行動全部、織り込み済みで動いてた。ずっと詰んでた……」

「……なんすかそれ」

「そういう化物は実在する」


 そうじゃあなくて、俺はあのひとの性質からその性質を算出出来ると見られて、それが実際正解で、つまり入江純はあのひとの類型として証明されて、なんだそれ。


 息を詰めたとき、まだ横目が向いていることに気付いた。


「よかったな」


 俺は恐らくは思考を停止した。


「人生に大したことが起こるぞ」


 それだけに何事も誤魔化せなかった。生じる四肢の停止を誤魔化しがたく、見る目を見ればこの人も、人心看破の怪物なのだと思った。

 腕組みはそのままに先生は、視線をどうどう移り変わる前景に流した。その間の俺の沈黙の長さだけ恥が延長する。


「どうかあの猿女にたぶらかされないでくれ」

「猿?」

「こざかしいからだよ」




「良子はどうしたい?」

「……」

「望みをきちんとおっしゃい。二〇でしょう」

「ちゃんと言います。言葉を選んでいるだけです」

「大きくなりましね。喜ばしいことです。

 私にはね、お父様とお母様に託されたすべてがすべてです。あなたとこの家と私を立派にしなくてはなりません。だからあなたの望みを仰い」

「入江さんの望みが叶うようにして下さい。……入江さんで遊ばないで下さい」

「そう」


 燭台がひとつ風前に消える。


「私は良子の望みを聞いたけれど、叶えてはあげません。それをあなたがあなたの力で叶えてこその立派です。私に抗いなさい。勝っても負けても、抗うものこそ強者です」

「はい」

「よかった。これで私もひとつ仕事が終わりました。あとは家を守るだけ」


 もう一度灯された火は、まず澄川蓮子の左頬を強調して、その白さの血の通わなさを見せびらかした。妖怪。凶兆。それらの総括。


「いくつかあなたに言わねばなりませんね」

「はい」

「弱くてかわいそうな人、愚かでどうしようもない人への配慮と適応が蔓延して生きにくくなったのが今です。どうにもならないことを理不尽と呼んでどうにかしようとした我儘のしわ寄せが今です。文化と主義の害悪性を強調して自由と多様性の分断を推し進めた末路が今です。

 あなたは負けてはいけません。あなたがあなたにとっていいと思ったことをなさい。私も私にとっていいと思ったことをします。私利私欲も怠惰も許されることです。そうして、もう一度、闘争を批判する愚か者を蹴散らしなさい」


 障子に人影がうつる。


「お連れしました」

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