16
『はい、〇×マートです』
「入江です」
『シフト増やさねーからな』
「頼みませんよ」
『ん、よし』
「……先輩」
『……どした』
「俺やらかしました」
『あー……まぁ世の中さ、女の子は沢山居るよ』
感情がなかった。
多分違う。「感情がない」と言うのは、感情にどっぷり浸かっているから、喜びとか悦楽とか痛みとか悲しみとかが常在しながら反復するから、いまさら感じないだけのことだ。感情がないのではなく感情に埋もれているのだ。
こうやって責任と酒に慣れて大人になるんだろうか。
『何あったん』
「連れてかれました」
『は?』
「俺のせいで連れてかれました」
『……ほー』
声が低かった。
『入江、バイト辞めようとしてね?』
「はい。分かりますか」
『先輩ぃ、とかなんとか、死にそうに言うもんだから』
「すごいっすね」
『すごくねーよ……で、なんでかなーと思ってたらそういうわけか』
「はい」
『……確認なんだが、彼女さんを連れ戻すために辞めるのか?』
その発想がなくて。
間が生じて。
怒られるのだと分かった。
『もしお前が、彼女さんのことでささくれだって、どうしようもない気持ちになって……ヤケに任せてバイト辞めようってんなら……つーか……彼女さんのこと考えるの放棄して、自分の気持ちのことしか考えれてねーで、それでヤケになってんなら……最低だからな』
やれることやれよ。シフトの方はどうにかする。ヤケで自分ばっかりになるのはやめろ。
切れた。
……この人に話していないことがある。
金がある、だからもう、どうでもいいじゃないかって、それも十二分含むヤケだった。
誰か俺を優しくしてくれ。
じゃなきゃ。
「すみませーん、宅配便でーす」
手紙。
貴橋先生。
『お嬢のこれからも含め、こちらはこちらでどうにかなる。何も問題は無いから関わるな。
これだけだと妙な発奮を起こしそうだから書いておくが、澄川なら、人死にの百や二百もみ消すのは容易い。ガキがどうこう出来る範疇にない。』
都合がいいと思って、また。
――いや、それでいいだろう。なに善意を働かせようとしてるんだ。自分勝手でいいんだよ。自分勝手が一番マシだ。そうだろ。
誰かのためを思えなくなるのは最低なんてそんなことありえない。誰かのためを思うのは、根本的にはその相手を思い必要とする自分のためで、すべては独り善がりで、それを自覚すべきで、「他人のためのことをすべき」なんてのは、自覚していない人間の物言いだ。
もし他人を思えなくなることが愚かだとするなら、その愚かの理由は、道徳ではなく損得的な話だ。自分にとって損得になる、必須な他人を思えなくなるという意味で愚かなのだ。
澄川さんは俺に必須ではない。一時ヒロイズムに浸るための道具だった。そうだろう。
……なんでそんな風に、善意を持たないように、自分に強いねばならないんだ。
俺が善意を配れる人間ではないから。善意によって地獄への道を舗装する側の人間だから。それだけ。人のことがわかる人間に生まれればよかったね。
せめて、人に責められないためにそんな風に強いる自分でなくて、それが当然な、善意の悪性を最初から納得しているような人間に生まれたかった。
もうひとつ翌日、うちのバイトアプリのシフト表から名前全部消えていた。それでいて今日は月曜日で、学校に行かなければならなくて、
「えー、急になりますが、先日――」
貴橋先生はつい昨日辞職届を出していたらしい。それがいつでも出来るように、教職員の中で調整していたとかで。つまりなるほど、あの人、澄川さんを見つけたあの時に全部決めたのか。あの長嘆息と、虚しい態度と、波田にプレゼントするためのアドバイスと、珍しい笑顔と、馬鹿騒ぎと、それらは何もかも決まったすぐ後のことで、
『貴橋正和です。まあ、もう少し、付き合わせて下さい』
待ってくれて、
「入江? ……おまえ」
「やめやめ。入江にも色々あんだって」
「珍し……入江って泣くんだ……」
色んな人が何もかも尽くしていて、最大限どうにかなるように尽くしていて、その中でもどうにもならずこぼれ落ちてしまうどうしようもないやつがいて、そういうやつは何も悪くない被害者ではあれるがだからといってどうにもならない、毎度ヤケと文句ばかり或いは呆然と立っていて、それを超えるための反省なんて幾度しようが変わり得ず、一生、誓って一生どうにもならず、かつそれをしょうがないこととして割り切ることも出来ず、割り切ることが出来ないものだと割り切ることだって出来ず、ただ、苦しむために生きていて、さっぱり死ねるほどのものなんてなくて、
「なぁ、入江、顔色……」
「田口」
「おう」
「袋」
「あ、おう、ほい…………だっ!!」
「入江吐いた! 保健室!」
誰か俺を優しくしてくれ。
じゃなきゃ殺してくれ。
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