14
澄川さんは、服選びに時間がかかるので気後れしたり、俺が支払いをするので縮こまったり、毎度の通り。また結構な寒がりで、冬服かってくらいの薄緑のをすぐ着込む。かと思えば暑がりでもあるので、幾度も着脱する。下着売り場などは俺が入りがたくて、諭吉数枚渡すと、帰ってきたとき釣り勘定を非常に億劫げにする。
行動のせわしい人で、目端にもよく目立つ。ソファで膝にボンヤリ頬杖して、彼女がポーチの中身をごそごそ整えるのを欠伸混じりで見ていた。
「すみません、お待たせしました」
「いえ。それ持ちますよ」
澄川さんは停止した。葛藤。
多分二極あって、ひとつ、出費してもらったうえに持たせるのは悪いという一極。もうひとつ、ただ善意を無下にするのが悪いというだけでなくて、自分の知らない相手の望みの邪魔になるのではと、どちらにせよ相手の損の話。つまり、澄川さんの勇気はここらで切れた。
いつものことだが勝手にさらった。服は以外と重い。
「ありがとうございます」
「いえ」
変貌の勇気って必ず要るものだろうか。よく知らない。
変貌といえば彼女のお洒落、褒めるべきだろうかとキザなことを考えて、こめかみを掻いた。要らない。多分、「いい物を買ってすみません」とおっしゃるだけだ、やはり変貌の勇気など要らない。
正しいだけの言い訳は以上として、とどのつまり、こういう臆病者だから波田凜香に贈り物なんて到底出来なかった。笑う。
リストを頼りに大型店ふたつを巡り、みっつ目、「仰々しいもの贈られたらびっくりしますからね」との澄川さんの談で、ばら売りがある京菓子店に赴いたところ。
「先生」
「入江」
妙なこともままある。
貴橋先生はヤニがないのでだるついて、指をショーウィンドウに走らせていた。注意するほどの心の立派はない。無機質な顔で俺は指の先を見た。阿闍梨饅頭。
「それきら」
「土産もん」
「どっか行くんですか」
「京都」
京都に京土産とはまた、喧嘩でも売りに行くのか知らないが、そういう皮肉ならまったくらしい皮肉だと思った。
あの、と囁き未満の声。澄川さんは当惑の面持ちで俺と先生とを見比べ、「どなたですか」とやはり小さく言った。
「うちの高校の先生です。で、この人、澄川良子さんです」
長嘆息。
先生はうなじを掻いて、疲労感にまみれ、ガラ悪く振り向いた。
「で何買うんだ」
「決めてません」
「波田の誕プレか?」
「はい」
「引くだろなーあいつ」
「やっぱ引きますか」
「優しく笑ってくれんじゃねーの」
「うわっつっ」
そのとき先生が珍しくも笑った。ほくそ笑みだった。珍しくと言ったが、多分初めて見た。しかしそれは度肝を抜くでもなく、いつものことのように俺もほくそ笑まされた。
先生の拳、ではなくて、そこから突き出さした中指の関節が左肩をつきにくる。俺が後ろにのけぞってみせ、もう一度ほくそ笑んだとき先生は無表情になっている。
「せいぜい些細なもん選べ」
「何がいいですかね」
「その人京都の人なんだろ。教えてもらえよ」
「あー……」
澄川さんは決して表情を変えなかったから、かえって硬直していた。
「すみません、少し事情話してます」
「それは……」
「素性は何も話してません、俺が知りませんし。京都ってのも、阿闍梨饅頭で多分って言ってただけなんで……」
「ああ、なら……」
これが鶴の恩返しか、雪女なら、澄川さんはくれたものごと消えていくんだろう。いくら言い訳を並べたって、結局秘密を秘密のままにしなかったから。
御伽噺は御伽噺で頼む。
「まあ、一緒に意見もらえると」
「そうか。……阿闍梨饅頭にしとけ」
「私もそれがいいと思います」
「そすか」
きっとこの人たちはジンクス的な、縁故的な、雰囲気的なものによって選んだろう。結びつけのような力でも見いだして、つまり阿闍梨饅頭をキーワードにして、女子高生の好みってものからではなく考えた。
ただ俺も似たような心持ちで、ひょいと一個取った。
「じゃ、これ買って、澄川さんのもの買いましょう」
「服は買いましたよ?」
「他に何もないんですか」
「贅沢なので」
「俺だけ嗜好品買ってるの気まずいんですよ。行きませんか」
「……はい」
また先生がほくそ笑んだ気がする。
「じゃ、先生、また」
「いや。もう多分会わん」
「え」
「退職早めた」
「あー、お疲れ様です」
この淡白が最も適切で、住みよく、そんなもんだろうと前々から思っていた。適切な丁度いい別れで、それを前倒しにしただけで、劇的はよろしくない。
しかし、気まぐれの虫が指先を泳がせた。それが曲がり戻ると、今度は俺を振り向かせた。
「あの」
「んだよ」
「先生にもなんか買いますよ」
「祝い品か?」
「はい。貴橋先生、お世話になりました」
捻くれた事を言い繋ぐかと思ったのに、俺はあっさりと腰を折っていた。
「へいどうも」
「……」
「貴橋さんとおっしゃるんですね」
「貴橋正和です。まあ、もう少し、付き合わせて下さい」
「ありがとうございます。助かります」
だからこれからしばらくは、一七年程度の人生でなら3、4番目に楽しい時間だったのだ。澄川さんには筆ペンを、先生には万年筆を、俺は俺で新しいシャーペンを買って、どうせだからを幾度も繋げて夕食を、カラオケを、何でもやった。
カラオケと言えば澄川さんは、やっぱり演歌を歌った。俺はすごい人に関わったものだと、流行りのアニソンでも突っ込もうとして、先生のクラシックが割り込む。予約取り消し。そういう変な遠慮をする歳になった。
澄川さんについてもうひとつ、ドリンクサーバーをご存じでなかった。先生もご存じでなかった。そのことで先生は舌打ちをして、喫煙所に消えていった。
「入江さん、カラオケ、ありがとうございます」
「俺が作ったわけじゃないですけど」
二人になったカラオケルームで澄川さんは一番笑った。
――それで終わり。
「ハー……さて」
「あ、先せ」
「澄川のお嬢」
「は」
なんとなく見た澄川さんの手先が真っ白で、思い出した。
鶴の恩返し。雪女。真っ白な報恩譚。秘密を秘密のままにしなかったことへの罰則。
「行きましょう」
「はい」
なるほど、たった少しでも、この人には彼女のことを話した。罰するには最適任者だ。
こんな関係、どうかこうかして壊れることくらい、最初から知っていた。
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