12

 きっとこの関係はすぐにでも崩壊する。

 汲み取れない人間と喋らない人間でやっていけるものか。


『そういうもんだろ』


 先生やっぱりこの人は若干異常です。人とやっていくことと一人でやっていくことと、どちらにせよ技能のない人です。伝えることが出来なくて、なら自分でやってみようとしても出来ないのがこの人です。


 多分俺もそうで、忘れればいいことをいつまでも忘れていません。その事態がまた起こることを恐れてややこしい論理を構えています。

 どこにいってもきっと必要な、「どうしようもないことは割り切る」といった道理が俺の中には通っていません。


「何がいいですか。カレーでいいですか」

「……はい」


 澄川さんはカレーが大の苦手だ。

 俺のこれはねじ曲がっている。

 ほら噛み合わないでしょ、どうにもならないでしょ、現実見て下さいねってか。誰様だよ。


 ボールペンがずっと走っている。その音量が耳に障る。


 包丁がすらり落ちてまな板をたたく音、火にかけられたものの音、かき混ぜられる音、そこここにいつもカリカリとボールの音が混じる。何も言わないせいだ。俺と、澄川さんがそうしている、俺も何も言わない、それだけのことのせいだ。


 ルゥを取った。


「入江さん」


 俺は返事をしなかった。向くだけ。


「……あの」

「はい」


 なんとがらの悪い。


 多分この人、勇気を出そうとしている。


「やっぱり、カレーは……やめていただけると」


 ――下手くそ。


 もうここまで調理したんですが。あとルゥ入れるだけなんですが。あなたそうやって何か言うたんび人に迷惑かけたとかそういう感じでしょ。それとも怒鳴られて育ちましたか。どうあれ意志の発露が下手くそに育てられて来たんだから、もう諦めましょうよ。あなたは意志表明すべきときに引っ込んで、すべきでないときにする、どちらにせよ大迷惑をかけまくる困った人です。世の中にいわゆる無能です。生産量引くことの消費量、迷惑量が負になるからいない方がいい人です。お互いそうなんでお互い諦めましょう。以上。


 ここまで一息で頭に走る俺だからそりゃ殺したくもなる。こんな性の悪いやつは、孤独者として腐り蕩ける。誰かとつるんでいるように見せても、孤独者が集まっているだけのことで、今こうなっているようになる。


「……は……」


 溜息一個にした。

 言わなくたって通じることはありますよね。


「ごめんなさい」


 いま状況を俯瞰すると、「可哀想なひとを拾ったと思ったら拾ったやつも拾ったやつでやなやつだった」と、こんな具合になる。それでいいんだよ俺はそうとしかならないんだから。復唱、自覚的独り善がり。

 まあ、本当はそうではなくて。「どうしようもないからそのやり方でやっていくしかない」ではなくて、「どうしようもないから人の輪から消えるしかない」が最も的確な解であるはずだ。


「大丈夫です。まだポトフに出来るんで」

「ありがとうございます」

「いえ」


 ……。


「じゃあ、私、たくさん考えますね」

「お願いします」


 ……カリカリ。


「……っ」


 たこが潰れたんですか。


 ……。


 絆創膏、そこにあります。聞かなくても使っていいんですよ。

 料理してますけど、別に流し使ってもいいんですよ。


「……」


 ……無理だ。


「え――」


 どんがらがっしゃん。


「入江さん!」


 ごめんなさい。ポトフ駄目になりました。今日はコンビニで何か買いましょう。


 少し気持ちいいと思ったら、俺は勝手に泣いていた。泣いて気持ちよくなっていた。カタルシス。まったく事態が解決していないのに心の荷を下ろそうとする行為。悪行。


 手の甲まるごと火傷の痛みで勢いづいて、好き様に泣いて、泣きたいのはどっちだ。

 泣きたいのはどっち? 澄川さんが可哀想だろってか? だから誰様。身勝手な善意を起動するんじゃない。


「冷やしましょうっ、やけど、水!」


 澄川さんが蛇口を捻る。


「あっつ!」


 それまだ温水です。


 それ以前にあなたも怪我してるでしょう。怪我人同士集まって、自分のことがどうにもならない内に相手の世話しようなんておかしい。あ、今のは本当に象徴的だ。


「どうしてこんなこと」

「すみません」

「いいですから、いまは、自分のこと」

「それあなたが言いますか」

「そう……ですけど、今は、こっちですっ」


 俺の手をぐいと、もう冷えた水の方へ。

 この人いま変化してるんだなと、まったくもって、今度は対照的だ。

 でも水流強すぎですよ。


 ……もうあの思考はいい、下手くそでもやらないやつよりましなんだから。本当か? どうせ本当なんだよ多分。


「すみません」

「いいですから、他のところも、はやく、見せて下さい」

「澄川さんも指……」

「こんなのどうってことありませんからっ」


 似たようなことありましたね。


「……澄川さん」

「大丈夫です」

「そうじゃなくて」

「……なんですか?」

「ありがとうございます」


 これは、善意が善意として通じたという意味の言葉だと思う。ごめんなさいじゃなくて俺たちはずっとこうすべきだったのに出来てこなかった。それで今だ。


「……」

「……」

「入江さん」

「はい」

「明日、モールに行きませんか」

「モール?」

「プレゼントを買いに行きましょう。沢山書きましたから」

「もしかしてそれ全部巡るんですか……?」

「はい、がんばりましょう」


 どうにかなる駄目な人とどうにかならない駄目な人、その違いは、駄目なりに馬鹿になれるかどうかなんだろう、今正にそれをまざまざ見せつけられている。駄目なくせに賢くやろうとして今だ。駄目な結果を導き出してきた脳みそなんだから放棄した方がいいと思えない、それくらいには駄目な脳みそ。いい加減踏み出したり挑戦したりそうやって明るい方に行けばいいのに。トライアンドエラーに堪えうる自分じゃないとかなんとかもう煩いよ。未来予知できるほど賢くないだろ。


 長い。


「入江さん」

「助けて下さい」

「はい」


 そもそも違う。

 この人はこの人のまますごいよ。

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