11

 翌朝、澄川さんがルーチンワークから外れた。今まで聞いたことのない形式なことを言ったのだ。


「入江さん、私、がんばって探しますね」


 彼女らしくないでもないが、これを積極的に言葉にする人ではない。

 とりあえず俺は「はい、お願いします」とだけ。それであとは、今週の雑費とお弁当と様々に用意をお渡しした。


 彼女の唇がきゅうと痛げに縮むのを、極めて意識的に無視した。


「がんばります」

「はい、お願いします」

「はい」

「いってきます」

「いってらっしゃい」




 半端田舎のコンビニバイトなど、特段することがない、ということもない。人が来なくとも物はあり、それでいて俺は機械の方に触る仕事をしている。


「入江ぇー、ソフトバグったぁー」

「バグってません」


 この人含めて先輩がたは、俺がそういうのを直すとき興味津々に後ろから見る。「おぉー」と声が上がるのは功名欲の満ち満ちる心地だが、同時に、「あんたこの操作はまずいだろ」と見下す感情が嫌な部分も満たす。


 つまりは、人助けをして、結果、自分の小器に鬱々とする。

 また示唆だ。


 近頃は日々の事々のすべて未来の示唆に感じて、悪事をした人のいつか裁かれる予感があるような不安が同様に俺にも覆い被さる。

 当然だと考える。俺は自覚的悪人だから。

 しかし感情部分、あるいは甘餓鬼の部分が、理不尽なとぼやく。


「最近毎日いるから助かるわ。オレ全っ然無理だもん」

「とりあえず、ここ、手動で弄らないで下さい」

「どしてだよ」

「来年以降もこれをコピペして管理するんで……」

「どゆこと?」

「……この列と、この列の入力、自動で書く数式が入ってるんで、弄るとまずいです」

「ういよー」


 それでさっさとレジに行く先輩の、声音の素早い転換が「長いんだな」と思わせる。俺はまったく切り替わらないから、妙にハキハキしゃべる低い声の人になって怖がらせる。


 すぐに戻ってきた。


「でよ」

「でよってなんです」

「最近シフト入りすぎでしょ。なんかあったん」

「色々ありました」

「何か欲しいん?」

「いえ別に」

「じゃ、人が増えた」

「……すみません、あんまり」

「ここでそれ言ったらだめでしょ」


 かくして訳知りの人が一人増える。


「いーなー」

「彼女じゃないです」

「子供か」

「違います。何でそういうことばっかり」

「しっかりしろよッ男の子~!」


 言って、ああまたはっきり否定してしまったと、自分の下手くそさを思った。いくらばらす気だ。でも、だって、そこらへんは否定したいじゃないか。


 ……振り向くと先輩は真面目顔だった。


「先輩?」

「ぶっちゃけさ」


 肩に寄っかかって。


「金やべぇ?」

「……」

「入江は隠せんねー」


 俺がどうすればいいかわからないのでPC画面だけ凝視している間、そこに移る先輩はシフト表を上から下までじっくりと眺めていた。で、こっちを向く。大げさに腰手などしながら溜息を吐く。


「にしても入りすぎじゃね?」

「……」

「オレ、お前の仕送り額いつか聞いたけど。減ってないよな」

「……」

「何、贅沢させたげたいの」

「もうあがりなんで、失礼します」

「待てよ」


 肩を掴む手を払いかけてやめた。

 なぜ俺はこの人のことを嫌わないのか。

 無自覚な独り善がりの権化のような人であるのに。

 簡単だ、

 ほんとうに俺はいつまで――


「これ以上増やしたら上に話すからな。オレが結構口きけるの知ってんだろ」




 家に帰ると澄川さんは、一心不乱、裏紙に向かっていた。


「おかえりなさい」

「あー……帰りました」

「すみません、ペン、勝手に使ってます」


 珍しくも。


「何やってるんです?」

「何がいいかなと……」


 覗くとびっしり、達筆で、商品名が並んでいる。その横に品評、「私だったら嬉しい」「男の子から送られるのは気持ち悪いかも」「消え物かぁ……」等々。そんな紙が彼女の横に5、6枚ある。字が今見た物よりさらに小さくて、立っていては読めなかった。


 ああ澄川さんの指が赤い。


「赤くなってますけど」

「はい、ボールペンって難しいですね」


 改めて予告しておくがこれを渡せないのが俺だ。


「痛くないんですか」

「ちょっと痛いです」


 勘定しよう。


 俺は、彼女の遠慮を厄介と見て対処として『恩返し』の機会を設けた。恩などないけれどあるから、恩返し。俺の自覚的独り善がり。

 だから彼女に苦労が生じたとしても、そうなりうることは分かっていたし、それで俺の厄介が排除出来るならよしとしている。

 全部自覚的な独り善がりになっている。出来ている。何がおかしい。ペンだこという形でそれが現れると思っていなかった?


 ……まさか、おまえ、おまえは、


 そっちに行くな。善意を以て、「きっと彼女にとってはこれがいいだろう」と工夫などをするのはやめろ。

 いつかそれは「彼女にとってこれがいいに決まってる」へとスライドするものだ。「きっとそうに違いない」と期待して、裏切られて、憤慨するようになる。俺はそういう人間だ。


 善意を許すな。俺はそれが下手で、しかも裏切られたとき「裏切られた」などとほざく人間なんだから。


「入江さん」


 泣いてない。

 そのうえ泣きたくもない。

 泣けたら気持ちいいだろうからいやだ。


「今日何がいいですか」

「今日はお疲れなんじゃないですか」

「大丈夫です」

「私、作ってみてもいいですか」

「出来るんですか」


 もっと泣きたくなくなった。


「……ごめんなさい」

「すみません」

「いえ」


 きっとこの関係はすぐにでも崩壊する。

 汲み取れない人間と喋らない人間でやっていけるものか。

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