09
二週間経って、生活様式は十分に定まった。
澄川さんは早起きだけれど、料理洗濯が出来ないので、俺が起きた時にはのぼーっと高窓の外を眺めている。正座で、おそらくずっと。
けれど俺に気付いてすぐ、「おはようございます」とそう言って、またのぼーっとする。
洗濯物を取り込んで、朝食と弁当ふたり分を作って、「ありがとうございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」、他に何も言わない。沈黙はすでに俺と彼女とを支配していた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
貴橋先生曰く向いてない高校なるところへ。
帰りはバイトへ。土日は一日。これで仕送りと合わせると、案外どうとでもなる。
「帰りましたー」
「おかえりなさい」
夕食を作る。風呂を沸かす。俺が入ってから澄川さんも入る。
洗濯機を回して、勉強を教えてもらう。洗濯機が止まる、干す、また教えてもらう。
ちょっと内容が高等すぎてわからないけれど。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
死にそうなほど白い澄川さんの手が間仕切りを引いて、一日が終わる。
……受け答えはまったくルーチンワーク化していて。
一人暮らしだったアパートの一室は、二人暮らしになってしかし、薄暗い沈黙をそのままにはらんでいる。
どうしたって、何の主張もしてくれない。
お互い何も知らないまま、やっていきましょうと――
「……入江さん」
丑三つ時、沈黙が破られた。
「入江さん」
「起きてます」
「明日、朝のバイトはお休みですよね」
「はい」
「……私は何もしなくてもいいんですか」
ふたつの確認。
意図を悟った、なんて迂遠な考えはなく、きっとこういうことは予め言っておくべきだったのだ。
「そういうのほんと勘弁して下さい」
不要な怒気が籠もった。
俺はもしかすると、彼女にとって、一番怖い人なのかもしれない。
そりゃ思うだろ。そういうこと。
……押し殺しの下手くそな、すすり泣きが聞こえてくる。
「ごめんなさい」
「やめてくださいよ」
何も言えなくなって、ただ、彼女は泣くしかなくなる。それで完璧だ。澄川さんが辛くないように何か用意して負い目のないよう上手く気遣って、どうこうやって、対等な関係を築こうとするような配慮をするな。
彼女のためと思ってするようなことはするな。自分の損得の範囲で物を言え、自覚的な独り善がりをしろ……この考えはもう、脳内反復するまでもないか。
それでどうするんだ俺は――のぼーっとする澄川さん。
ああ、朝。嘘だろ。
「おはようございます」
「おはようございます」
洗濯物を取り込んで、朝食と弁当ふたり分を作って、「ありがとうございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」。
「澄川さん」
「はい」
「今日、バイト全部休むんで」
「はい」
まったく従順なこの人は、理由を聞くことがない。多分、俺の意志でやることに何も口出ししてはいけないと、本気でそう思っていてそれ以外の感情を表に出していない。
精神の悪性な部分が首をもたげた。かつ俺の例の論理において、自覚的な悪であるそれは肯定される。けれど黙れ。シンプルに嫌いなんだよそういうの。
「将棋でもしませんか」
「はい」
「あと、まあ……他にも色々ボドゲしましょう」
「はい」
そんなことでどうするんだ俺は。
「……澄川さん、強いんですね」
「いえ、まだまだです。王手」
「あー……無理っすね」
「ありがとうございました」
どのくらい強かったかと言うと、考え込んでしまって、お互い色々話しましょうなんてことが出来なかったくらい。
それも将棋だけではなくて、オセロとか花札とか囲碁とかその他なんでも。
「えと、なんか、すみません」
「なんでしょう、あの、ごめんなさい」
流れやらきっかけやらに頼ったのが馬鹿だった。
「それでなんですけど」
「それでなんですか?」
「何か話したいこととかありますか」
澄川さんは考え込んで、まあないわけないなと、俺は天井を仰いだ。
「いえ、ありません」
「ホントですか?」
「……少し、あります。でもお世話になっていますから」
「話して下さい。すっきりしません」
「ごめんなさい、話します」
「いえ、お願いします」
さて何言われるかなって顔をしてみて、当然相手方は緊張をした。
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