08
「いただきます」
「いただきます」
帰り着いて、気付く。
彼女の食べ姿は無機質であるだけでなくて、明け透けでない品性をもっている。作法書のような、老人のような、そこにいない人のような、ゆとりをもっている。
だからか、急いでいるのがわかった。空腹からではない。
こんな時になって、空腹からではないのだ。
「別に臭いませんよ。風呂もそんなすぐ沸きませんし」
「ありがとうございます」
――思った。この人どうする気だったんだろう。
体ひとつに服と阿闍梨饅頭だけでここに来たわけだ。
京都からここまでの旅費、土産代金、これで全財産使い果たす、義務感に命を使ってしまう心づもり。
俺に助けられた礼を言って、まるで皮肉みたいに、助けられた命を助けられた街で捨てる心づもり。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
間仕切りを立てて風呂を済ませて、遅くなって、決め事を始めた。ノートの一ページをテープで壁にやり、玄関にでも。
それで、澄川さんは気付いているのだろうか。
「1、入江純は澄川良子について詮索をしない……ありがとうございます」
「いえ」
自分の書き様が明らかにそこらの人のではないこと。
京都、達筆、因縁ときて、安直な妄想をしたけれど、現実そこまで奇怪ではあるまいと打ち消した。現実は小説より奇だが、小説より奇だから、そんな予想のしやすい理由ではあるまいと。詮索をこれで最後と断った。
「2はありますか?」
「じゃ……間仕切りは夕食後、緊急時を除いて外さない。プライベート保持で」
「はい」
と、澄川さんが舟を漕ぎ出した。
ほんの少々。
「あの」
次の時には大きく漕いだ。
「……澄川さん、眠いですか」
「大丈夫です」
「明日にしましょう」
「大丈夫です」
「俺も眠いです」
「わかりました。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
互いに間仕切りの向こうに隠れて、俺は敷き布団、澄川さんは掛け布団にくるまり眠る。布団も明日、土曜だから、買ってしまおう。
明日にしましょうどうこういって、いくらでも考えることがあって、直前まで空だった頭が、床に入った瞬間から一杯になりだした。
必要な家具、金銭のこと、追って増やすべき細則のこと、お役所がらみの必要事項、この遮音性皆無な間仕切りでどうやってプライベートを保持するかという本音のところ。それと、話し方のことなんていう、どうにもならないような気もすること。
思考がどんどん根本的になって、「そもそもどうしてこんなことに手を出したのかな」と、今更なことを俎上に載せる。脳みそが若いからだ。ヒロイズムに酔ったというだけだ。まったくもって臭い話だけれど、すべてのことは独り善がりだからいけないことじゃあない。
不器用な優しさなんぞよりはましだ。
不器用な優しさを可愛がってはいけない。殴って、潰して、後ろ指をさして。「もういいです許してください」って自殺をするまで締め上げろ。無自覚な悪は最も悪いんだから、善であるものなんてないんだから、自覚的な悪人であれ。
……だから。だから、身勝手なヒロイズムの行動でいい。相手を気遣っていないことは、どうせ相手を気遣うことなんて出来ないんだからよくて、ただ、その自覚さえあればいい。自覚はよりよくしていく契機になるから。
解決。
まだ、いくらでも、考えることがある。
「……澄川さん」
「はい……」
「確認なんですけど、生活保護って無理ですよね」
必要最低限の事項が、禁則、詮索になっていくこと。
「……そうですね、あんまり、お役所は……」
「すみません」
「いえ」
どうしろってんだ。
こういうとき、「どうしてですか」と聞くのを我慢していくわけだろう。
そんなことを繰り返して、軋む音を聞いて、俺たちはきっと、沈黙の他に選択肢をなくしてしまうだろう。
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