07

 重い桃色の夕光がグラウンドを染めて、妖怪でも出そうなほど奇怪な色にしていた。ふた月前、澄川さんを助けた帰りと同じ空の色だ。


 おおかたのことは独り善がりで回ってる。独り善がりがかける迷惑を考えたって、独り善がり以外のやり方を誰も知らない。正しさがどこにもないから、正しくもない自分の考えを正しいとでも思って、そういうの、いくつも重ねて。

 それで何かあったらなんて、きっといつものことだ。いつも、どの行いにも、伴う危険だ。


 そうやって打ち消した。

 正しさの喚問を黙らせた。

 あの人は、どこだろう。

 瞼の裏に、夜に凍えて、朝昼を何も食べていないあの人のことを考えた。


「……だめだろ」


 憐れむことだけはしてはいけなくて、俺は白い気まぐれで人助けなどをしたいだけだ。

 探す場所は大体決まっている。


「っし……」

「入江さん」

「あ」


 商店街に行こうとでも思っていた。

 きっと細い路地にでも倒れていると。

 まったく以て『らしい』、物語の筋書きの妄想だ。それでいい。いまに関してはそういう自分でいい。


「澄川さん」

「ごめんなさい」

「何で」


 俺は、彼女の震えと唇の青さから目を背けた。


「……全部俺の勝手なんですけど」

「お気遣いなく、憐れんで下さい。そんなことで、失礼だなんて思いませんから……助けて下さい」


 一瞬、一個、課題を解決したように思った。

 違う、そうじゃない、ここが問題じゃない。


 どうせ俺が無理強いするから、つまり一方的に助けるから、ここまではもう決まっていた話だ。ここが問題じゃない。

 絶対にやってはいけないことをせずに、どうせ本当であるその醜悪だけで、憐れみよりはましな言葉で、どこまで続いていくか。


「それは絶対無理です」


 自分を小さくすることの限界を迎えた彼女の、俺より頭ひとつ低い背に合わせて腰を下げかけた。だめだ。


 物事を言う前に、勘定しなおした。

 憐れみを廃するのは、彼女の尊厳を害さないためであるが、それは結局憐れみではないか。

 答えは否で、まったくの独り善がりだ。あるいはただ、無礼打ちを怖がっているだけだ。

 それでいい。すべて俺の臆病と独り善がりからで、それで済む。


「助けさしてもらってもいいですか」


 澄川さんは目をきつく閉じて、震える息を吐いた。


 しかし絶対に膝を折ったりすまい。配慮の匂いをのぞかせまい。この人に、一方的な恩恵をもたらされる不快感が生ずることなど、知らん顔せねばならない。

 俺はその恩恵を恩恵とも思わず暴力の一種として彼女に投げつけねばならないのだ。


「あと、澄川さん、色々ありますよね」

「はい」

「どうしますか。そういう話」

「……私が決めてもいいんでしょうか」

「俺が助けさせてもらうんで」


 それで正しい。まっとうな交換条件だ。


「何も知らないままで、お互い、やっていくことは出来ませんか」

「わかりました」


 秘密は秘密のままで――自分で聞いたことだけれど、無茶なことをおっしゃる。


 俺は、彼女が少なくとも京土産を持ってくる人だとわかってしまった。投石をされるような因縁があることもわかってしまった。天涯孤独無一文、そこまでわかっている。

 秘密はそう、ちみちみ染み出していく。いずれそれらの言々が堰を切って、許されていた停滞に罰則をするに違いない。

 秘密なんて秘密のままでよくて、きっとそうしていける人もいるけれど俺たちには無理だ。

 それがせめてなるたけ、遅ければありがたい。無茶ななりたちの関係だから、その破綻に耐えうる強度などない。


 昨日の昼の帰り路は、あれだけカラッポだったのに今は景色なんてものが見えない。


「――入江さん」

「はい?」

「……」


 澄川さんはすこし人間的な顔をした。

 ああ、空腹。


「コンビニ寄りましょう」

「はい」


 いまようやく、この関係に惨めさを感じた。俺は俺のしていることをされたくないなと。しかし俺はそれを知ってなおもやる、そういう身勝手で自覚的な独り善がりで済んでいる。よかった。


「かき揚げうどん買いましょう」

「高いと思います」

「あれおいしいんで食べて下さいよ」

「……わかりました」

「服、どこで買いますか。女性のわかんないんですけど」

「いま着ているのを回します」

「俺、洗ってる間どこにいればいんですか。外ですか」

「ごめんなさい」

「いえ別に」


 独り善がりと迷惑心を使い分けて、それできっと成り立つものだ。


「入江さん、私、何をすればいいですか」

「俺が色々押し付けてるだけなんで。特に何もないです」

「……」

「気が済まないって感じですか」


 俺はそれに対して無関心でいなければならない。

 相手のためを思ってなんて思い上がりがだめだと、この話はそういう話だ。


「私、家事が致命的にだめなんです」

「俺、家事得意なんで大丈夫です」

「一人暮らし、してらっしゃいますからね」

「はい」


 ――いつか、この人を、鶴か雪女かと見紛った。真っ白な報恩譚。秘密を秘密のままにしなかったことへの罰則。

 御伽噺は御伽噺でやっていてくれればいい、運命の示唆としてふらつかないでいただけるとありがたい。

 機織りを覗いたりしないし、余計なことを漏らしたりしないから、むやみなことを起こしてここにあるものを害さないで欲しい。

 すべて君次第だとか何とか言って、結局決定されているから得意げな運命というやつを、どうかこうか黙らせることが出来ないだろうか。


「入江さん」

「はいっ」


 また、思考が内向いていたばっかりに返事が強くなった。


「ごめんなさい、驚かせて」

「いえ……すみません、なんですか」

「大したことではないんですけど、お勉強なら、少し教えられるかもしれません」


 ああ、まあ、この人が俺に教えたいという、あくまで彼女の暴力であるなら、それはまったく別事か。


「じゃあお願いします」


 俺がそうするように、彼女もそうやって勝手に満足をするだけだ。

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