04

 そうしたら、あっさりと見つけて。


「澄川さん!」


 それで。


「……入江さん?」

「あの、ハンカチ――」


 彼女の目端からひとすじ、光っていた。

 だから何あったんですか。


「……ハンカチ」

「ごめんなさい」


 そうやってまた。きっと俺は腹立って来たのだ。しかしぶちまけても、染み出さしても、きっともう一個ごめんなさいとこぼされる。

 棒立ちに夜風が吹く。忘れていた汗で、胸と鼻先と背筋がよく冷える。彼女も目元が冷えて、沁みて、痛むだろうと思った。


「これ、澄川さんのです」

「ごめんなさい」

「冷えますよ、ここ。どっか入りましょう」


 彼女は詰まって。


「お金ないんです」

「俺が出します」


 泣いて、凍えている、ちょっと知り合った相手におごる。

 まだセーフだ。ちょっとした人情の範疇だ。




 四人席を御簾で区切る居酒屋は、しかし半端田舎らしくそこら中空いて、俺と、澄川さんと、亭主さんと、女将さんだけだった。


「何あったんですか」

「色々ありまして……素寒貧すかんぴんなんです」

「すかんぴん?」

「貧乏で何にもないってことです。わかりにくいこと言ってすみません」

「ああ、いえ」

「それに、まだ高校生ですよね、おごってもらって、ほんとに、また」

「大丈夫ですよ。仕送りとバイトで、無駄にあるんで」


 きっと論点をずらしつつ、チーズはんぺん二皿を迎える。


「いただきます」

「いただきます」


 食んで、焼き目のちぎれ、頬ほどの柔らかさと、とろけの熱を舌に受けた。これでようやく平常気分になって、今度こそ如何するか思う。


「あの」

「はい」

「帰るところあるんですか」

「ないですね」


 この人はいつもだ。いつも自分事が低いところにある。あるいは自分事を、他人事にする。

 果たしてどちらなんだろう。この人は自分嫌いなのか、嫌いも何もないだけなのか。


 俺がなぜ分かろうとしているのか知らないが、多分にどちらでもない。何某かの義務・条項によって善悪を決める人なのだ。

 自分が自分に何を思うかでなくて、予めある条項を読み上げ、自分の道行きを決める人だ。その条項とやらが、彼女に関係なく、彼女を大事にしないよう決まっているだけのことだ。


「携帯、お貸ししますけど、ご家族に」


 俺はいま、探った。


「いません」


 きっとごく最近いなくなったのだろうと、何か思い上がって推理していた。


 そして、


「……何か頼みませんか」

「いえ、もう結構です。これ以上いただくとバチが当たりますよ」


 俺の中で、勝手なものが栓を開けた。思った通りだなどと、思い上がったのだ。

 歳を取ればきっと抑えられたものの抑えを効かさなかった。きっと僭越で、きりがなくて、相手のためにならなくて、まったく独り善がりな刹那の心の働きをこらえなかった。


 絶対にいいようにならない。アウトだ。


 関わりの距離感を間違えた。しばしば手を伸ばしていいか否か考えて、それが独り善がりであることを、断念の言い訳にも実行の言い訳にも使う。そうして大方間違える。どちらも間違いだからだ。


「すみません、たこわさと」

「はいー」

「大葉てんぷら、子持ちししゃも……春巻きも、ふたつずつお願いします」

「え? あの」

「はいー、少々待ち下さい」

「女将さん、私の」

「いや、ちょっと、まじで……」


 語彙を損なって、どうすればいいか決められなかった。

 体が心を追い越してしまった。


「……あの」

「まじで、大丈夫なんで…………」


 掴んだ手の方を女将さんたちが見ない。

 俺も顔を伏せて、相手方、きっとぽかんとしているだろう。


「見てらんない、とかではなく……俺が」

「はい」

「俺がそうしたいってことでいいですか」

「何でしょう」

「何でしょうって、言うと……俺の、独り善がりで、助けさしてもらっても」


 大音が窓を打ちやった。

 あんまりに唐突なものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る