姉は貞淑な人でした

和菓子辞典

姉は貞淑な人でした

 僕の姉は非常に貞淑というか、不埒な関心というか、そういったものを徹底的に排除する人でした。かといって恋を否定するような人ではありません。むしろ僕が十五の頃、姉は十八でしたが、腕を引きながら連れてきた義兄さん(当時は道さんと呼んでいましたが現在の呼称にします)とその年のうちに結婚してしまったような激情の人です。


 思えば姉の謹厳はそれよりあとのことだったように思います。かつ、そう考えると原因は十年前の流産だったのかもしれません。その頃から様子が妙だったのです。あれ以降アイドル絡みのあれそれすら毛嫌いして、一層義兄さんに尽くす女になりました。


「姉さん、ただ君は元気かい」

「ええ、とっても元気よ」


 この会話は五年ほど前でした。姉は例の流産から二年後に元気な赤ん坊を産んで、その子に忠志ただしと付けました。謹厳な姉らしいことです。しかしその子が冗談みたいにわがまま坊主で、義兄さんから「どうしたもんだろう」と相談を受けて僕がこう発したのです。


 姉は、僕の質問が大層嬉しいようでした。何か積年の苦労が報われたような顔をしていて、ついに好奇心が僕の喉に妙なことを言わせました。


「あの子の分まで元気かい」

「ええ、そうね」


 姉はなんにも変わりませんでした。




 母は誠実な女性でした。常に夫のためと僕のためを思って呉れています。それだけど、僕はわがまま坊主でいっつも迷惑をかけます。こういうとき僕を叱るのは決まって叔父さんです。僕たち家族は母の実家で暮らしているので、それが普通です。他人の子だからあんまり叱りたくないんだけど、と口癖のようにして穏やかに叱られました。


 これが奇妙な錯覚、もしくは目くらましになっていたと気付いたのは十歳になってからのことです。その日は父の家に泊まっていました。叔父さんはいません。


「忠志ッ、箸もきちんと持てんのか」

「はい、ごめんなさい」


 僕は祖父が苦手でたまりません。この家に来る度いっつもこうなのです。総合して、父の家が嫌いでした。拷問です。ちょっと騒ぐと「煩いッ」とやってくるお爺ちゃんが鬼のようでした。


 その晩のことです。僕はこっそり夜更かししていました。


「道夫、お前の嫁はどうかしとる」

「そんなこと言うかよ親父」

「どうかしとるわ、禄に息子を叱りやせん。息子が怖いんか、あれは」

「いつもは義弟の世話になってるよ」


 そういえば母に叱られたことがないと、その日ようやっと気付きました。


 もう一個だけ大きな事がありました、僕が十六になってからのことです。母が急に、流行りのアイドルのカレンダーを買いました。ちょっとわかりにくい奴でそれっぽくはないのですが、多感な十六の僕にはわかりました。


「どうしたの」

「私もそろそろこういうのしても許されるかなって、思うようになったの」


 許される、という言葉が、思春期の僕の心に深々と残りました。




 姉に流産した息子の話をしたとき、ちょっとまずい空気になったことがあります。当たり前に思うかもしれませんが、僕たちはそのことを穏やかに話せるだけ、大人になっていたはずなのです。


「姉さん、一番最初の子って、生まれたらなんって名前にしようと思ってたの」


 この時は姉と二人っきりでした。


「まあ決めてたわけじゃないんだけど。私は勝手に、秀君って呼んでた」


 姉の、初恋の人の名前でした。




 そんな姉は病弱にして早々に亡くなりました。最後に、「やっぱりばちが当たったなあ」と、何故かカレンダーを見ていたのでした。

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