第30話 静かな夜

 今日かと思ってバーに行くと、彼女は居ない。じゃあ明日かと思ってバーに行っても、やはり居なかった。それが一週間くらい続き、段々心配になってきた。サクラさんの身に何かが起こったのだ、トラブルは手術で起こったのか、何かの犯罪に巻き込まれたのか、分からない。とにかく、異国の地できっと孤独な彼女を、私はとても心配していた。

 ある夜バーに行くと、木元とカウンターに立っている店長が静かに話をしていた。店長は私に向かって「いらっしゃい」と言った。木元は何も言わなかった。そして木元の隣の席に座ると、店長は淡々とこんな話を始めた。

「たまにいるんだ。手術をしたら、人生をやり直せるかもしれないって思う人が」

 私は何の話か分からなかった。木元はただ、頷いて酒を飲んだ。

「僕や、君たちがサクラにとって悪い存在だったとは思わないよ。きっと、君たちと一緒にいて幸せだったと、それは僕も信じてる」

「ええ」木元は簡素な相槌を打つ。

「だけどね、君たちの存在以上に、あいつにとって辛い存在が世の中にはたくさんある。それは、分かるよね?」店長は子供に言い聞かせるような口調でそんなことを言う。サクラさんのことに関して話しているようなのだが、私の頭には上手く入ってこない、ただ、店長の低い声が、店内に響いているのを聞いていた。静かな夜だった。それが、私の胸をじんと震わせてくる。

「……分かります」

「そういう、彼女にとって辛いものから逃れるには、色々なものを捨てないといけない。それも、分かるよね?」

「分かります」

「だから、君にはサクラを恨まないでいて欲しいんだよ」

 それから彼は木元の返答を待った。伸びた髪の毛に覆われた木元の目許、私からは見えず、けれど、彼の口元は笑っていた。「俺は、アイツが幸せになるんなら、応援したいと思ってます。本当にそれだけですから」

 店長は木元の肩を叩いた。頼りになりそうな男性の手だった。

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