第18話 木元とサクラさんのアレ
「そういえば、インタビュー記事読んだよ。調子良いんじゃない、最近」
「馬鹿、関係ないみたいに言うな。それお前の悪いとこだぞ」
それから、話したことが殆どカットされていたことを殺気を込めて語り出した。「境界の人」で本来語ろうとしたテーマ、相羽沙織という脚本の協力者、これから劇団として表現していきたいこと、全て省かれた。その代わりに記事の面積を埋めたのが、彼の近影、演出のこだわり、木元信一の過去、プライベートのこと。「劇団のインタビューっていうより、俺を主役にしてるんだよな」不機嫌そうに言う。「フェアじゃねえんだよな、まったく」特に、最近の生活を踏み込まれれば、サクラさんのことは話さないわけにもいかない、「トランスジェンダー」という言葉に過剰に反応され、それからは彼女のプライベートまで踏み込まれて困ったと言う。
「流石に、それは関係ないでしょって言ったら黙ったんだけどさ。出来上がった記事見てびびったわ。ちゃんと演劇界隈に受けそうな内容になってるんだから」
「きっと皆、木元に興味があるんだよ」彼を宥めた言葉だったのに、「最近、俺が身なりを小ぎれいにしているからか」鋭い眼光を向けられた。そして、続ける言葉を失った。
正直、それはそうなんじゃないかと思っている。今の木元の身なりは、明らかに「芸能関係」だし、髪も髭も、最近は美容室に適当に任せているのか、綺麗に揃えられている。体に合った冬服、痩せ型の彼にきちんとフィットして、香水も忘れない。これらは全て、サクラさんの功績なのだ。加えて、普段の木元の人柄、気軽にインタビューを申し入れても、変なことにはならないだろうという雰囲気はある。
何かを諦めたように溜め息を吐いて「サクラさんのお陰だわな」暗く呟く。
「良い人を見つけたよね」
「今日の飲み代も、サクラさんの金なんだよ。前の舞台の利益は、アパートの家賃と酒に使っちまって」
「うん」
「俺、サクラさんがチンコを取るために貯めた金で今生活してるのかな」
確かに事実を整理すれば、そういうことになる。陰惨な出来事は今、目の前で起こっているのだ。机にのったレモンサワー、枝豆、煙草の箱、サクラさんの貯めた金で、彼は彼の神を拝むのだ。
「木元とサクラさんのアレは一蓮托生というわけか」
金が貯まってしまえば、サクラさんは手術をする。木元に回る金が無くなる。
「いや、両者択一なんだと思う」
木元に金が回り過ぎれば、手術の金は無くなる。サクラさんのアレは生き延びる。
どちらにせよ悲劇だ。
その日の会計は私が持った。木元は、恐らくサクラさんに持たされたのだろう、ピン札の一万円を財布から取り出して所在なさげに、「いや、そういうわけにも」「悪いなあ」「そういうつもりじゃないのになあ」心底遠慮しているような声色で言う。これが演技なのか現実なのか分からない。私自身、木元を甘やかしているな、と思っている。結局私の奢りで会計を済ませた後、「いい加減、他人に甘やかされることは止めなよ」彼を詰ってしまった。
「そうだよな、本当に、俺、悪いことしてるって思ってる」
膝に手を突いて呟いた彼の態度、他人の金を使うことの忌避感はあるようなのだが、その行為にすっかり慣れてしまっているようだ。罪悪感と行為、彼の中で分離してしまって、生活の質が、サクラさんの資金援助の影響で向上してしまったのだ。煙草は常に内ポケットに入れておかないと気が済まないのだ。
「世間に認められるようにならなきゃ駄目だ」
木元は何かの台詞のように呟いた。感情が籠もっている分、尚更それがフィクションのようだった。それが冗談ではないと分かったのは、むしろその後の長い沈黙のためだった。彼は、私が次に何を言うのか、腹に力を込めて待っているように見えた。付け加えた「だよな」、肯定か否定かを確かめるような切ない響き、それが溶け出した、グロテスクな様相の雪道に吸い込まれた。私は何も言えない。急に一人、取り残されていくような思いで、木元を見つめる。そのとき、今し方出た店から、一人の店員が何かを持って木元に駆け寄ってきた。
彼女は、いつも私たちのテーブルに注文を取りに来る女の子だった。手にしていたのはサイン色紙だった。それを木元に突き出して、「演出家の木元さんですよね。良かったら、サインしてください」と言う。
木元は恐れおののいた。急に挙動不審ないつもの木元に戻って、私の中に、暗い安堵感がじわりと滲んだ。それが問題の先送りであることは分かっていた。
いつも飲んでいるこの居酒屋には、小劇場界隈のサイン色紙が沢山飾ってあったのだった。ちょっと有名になった演出家や役者にはよく頼んでいるんだろう。
「いいじゃん、してあげなよ。サイン」
「恐れ多いよ」
そう言いながらも、しっかりとサイン色紙は受け取って、キャップを付けたままのペンで当たりを取っている。
「相羽、俺、神様になっちゃうよ」調子に乗って馬鹿なことを言う。
「なっちゃえよ。どうせ八百万いるんだから」
「そうか。それもそうだな」
彼のサインは普通に読める、普通の木元信一という漢字だった。
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