第14話 惜しい才能
年始の業務が立て込んで、今度は本物の多忙が襲来した。結局一月に行われた木元の舞台は見に行けなかった。最近、妙に自分の作業量が多い。先輩からは、担当部署の一つを半ば強引に引き継がれた。そのお陰で日毎の業務に時間が掛かって、残業で月毎の業務をする嵌めになった。私に引き継いだのは、去年のクリスマスにすすきので擦れ違った先輩。あからさまに牙は剥けられないが、真綿で首を絞めるような、緩慢な殺気。
改築前に、ベッドルームに現れた蟻、部屋に出現した闇の一列、何度も殺して克服した恐怖。今の私は件の先輩にとっての闇か、だったら闘うしか生き残る道はないかもしれない。殺すことでしか恐れを克服することが出来ない。
結局、また顔を出さなかった舞台、「境界の人」の打ち上げに参加した。今回は、私のスケジュールをベースにして調整して貰った。その結果、千秋楽から十日くらい空いてしまったのだった。悪いとは思ったが、それとは別に、千秋楽の後に飲み会を開催していたらしい。つまり、彼らは皆飲んで騒ぎたいのだ。河南から話は聞いていたが、今回の客足は前回よりも良かったようだ。客が前の舞台を覚えていてくれたのか、初動から普段よりもチケットが捌けて、しかも今回、河南は年始であることに遠慮して知り合いを呼ばなかったのだった。それもまた喜ばしい事実、初動に来た客がきちんとリアクションをインターネットに残して、舞台の出来も悪くなければ公演は成功する。言葉にすれば当たり前だが、木元は数年間それを追い求めて止まなかったのだ。
「ぶっちゃけ、木元さんの脚本より相羽さんの方が良いんじゃないですか?」のっぽな役者が顔を赤くして言う。言われた木元、鼻で笑って座敷に寝転んだ。態度の割に、気を悪くしている風ではない。
「そりゃそうですよ。沙織さんは、あの札幌のシナリオコンペで優秀賞取ってますから」
河南が得意気に言う。札幌の演劇界隈で「札幌のシナリオコンペ」と言うとき、大抵は一番規模の大きいシナリオコンペのことを指す。
「えっ!?」近くで見たら美人の劇団員が驚いた。「それじゃあ、相羽さんは、プロ……」と、いつもの妙な節で言い、「いや、してませんよ。優秀賞って要するに頑張ったで賞ですから。賞金一万円だし」と私は慌てて補足する。
「でも、凄いですよ。それめちゃめちゃ惜しいってことですからね」座敷に寝転がっているガタイの良い男、彼は一番酔っていて、この話題に入るまではいびきを掻いて眠っていた。
「いや……」
私は、曖昧に笑って、目許を擦った。
惜しいわけではないのだ。惜しい才能は、既に才能ではない。才能、その言葉は現役の時に何度も何度も頭を過った。そんなものをまともに直視したとき、今まで努力してきた理由も、これから努力していく理由も見失うのだった。惜しいこと、それはもう何も無いのと同じなのだ。そういう虚無感は、過去何度も味わった。味わって味わって、味わい尽くしてそこには何も無くなった。
「沙織さん、どうして脚本書くの辞めちゃったんですか?」
隣に座る河南が尋ねる。あまりにも面倒な話題だったが、そこで身を起こした木元、「まあ、相羽にも色々あんだろ」呟いて、グラスを煽る。
店を出た後、河南が腕を繋いできた。劇団員も解散しきっていないのに、甘い声で「コンビニでお酒買いましょうよ」と言ってくる。彼女はあまり私たちの関係を隠そうとしていない気がする。今日顔を出して、私たちが同棲している事実が平然と知られていることには面喰らった。流石に関係の淫靡なところまでは話していないらしいが、人前でも平気でパーソナルスペースに入ってくる。それはちょっと気安過ぎるんじゃないか、思っても、いや、これがマイノリティであることなのかと自分で自分に言い訳。
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