第9話 心の叫ぶままに

 その日の夜、第六拠点元騎士団の詰め所は日下部たちの話題で持ちきりだった。


「鋼鉄牛をひとりで? 能力持ちなのか?」

「いや、能力はないらしい。けど、鋼鉄牛に油をかけて燃やしたんだと」

「はぁ~~なるほどなぁ。いや、油をかけられたのがそもそもすごいが。それで、そいつらは今どこにいるんだ?」

「治療受けて、外れのテントにいるよ。クレアさんも監視で一緒」

「監視? それに外れって」

「そいつと一緒にいたのが、黒竜でさ」


 ”黒竜”その単語を聞いただけで、上がっていた口端が下がる。


 その頃、第六拠点外れのテントには、日下部とカイニス、クレアがいた。


「体、大丈夫ですか?」

「なんか、どこが痛いのか傾いてるのかよくわからない……」


 日下部の怪我は大したことは無かった。軽い打撲程度。どちらかと言えば、カイニスの方が傷が深かった。

 しかし、カイニスが黒竜と知った途端、旅団のひとりは手当てを中断しようとしたが、日下部が勝手に我流で手当てをしようとするのに対し、慌てて治療を再開した。薬も包帯も有限だ。そんなもの適当に扱われては困る。

 そして、治療を終えた後、日下部には外れのテントを宛がわれ、さっそく横になっていた。

 現代社会で、おもちゃのように体を振り回されるのは、小さな子供くらいだろう。ジェットコースターに乗り慣れている学生ならまだしも、そういった人種とは縁遠い人生だった日下部にとって、全身が宙に浮く体験は赤ん坊以来で、さすがに疲れが出た。


「そういえば、あれって牛だよね? 食べられないの?」


 一応、旅団から食事も多少配給されたが、鶏肉のように見えた。

 すでに丸焼きだが、あの鋼鉄牛を解体すれば、それなりの食料になりそうだ。


「魔素が多くて食べられないっすよ」


 狂暴な魔物程、その体を構成する魔素は多く、食には適さない。

 食せば、魔物と同じく、体が変調する。それこそ、飢餓の村が魔物を食し、グールとなった事例もある。

 手間はかかるが、魔素を抜き人間が食せるようにする方法も存在する。ただ、魔素を抜くには全身に流れている血が重要であり、丸焼けの魔物の魔素を抜く方法は無かった。


「じゃあ、犬に食べさせたら翼生える?」

「鋼鉄牛の肉だから硬い体毛が生えるんじゃないっすかね」


 目が輝き起き上がる日下部に、「ダメだからね?」と明るい否定の声が入る。


「えー……」


 外には、数匹犬がいた。前にカイニスが言っていた通り、訓練すれば猟にも使える犬は大事な資源のひとつであり、大切に育てられていた。


「えー……じゃない。つーか、普通にし過ぎじゃない? そいつ、エリちゃん殺そうとしてたんだよ? 一緒にいるとか正気?」

「それはクーちゃんも一緒では?」


 本気度ならクレアの方が確実に高いし、回数も多い。


「それ含めて正気じゃないから大丈夫」


 本気で気にした様子もなく、体を伸ばしている日下部にクレアも小さく唸るしかない。


「それに、あんだけ守られたらさすがに……あ」

「だから、違うっす」

「早い!! いいじゃん! 夜は長いよ!?」

「わかりましたよ。じゃあ、どうぞ」

「獲物を奪われたくなかった! 昔、青虫を奪われると思ったスズメに必死にディフェンスされたことあるからわかる」

「違います」


 有無を言わさない否定だった。

 さすがの日下部も何とも言えない表情で視線を下げている。


「……そこは『はい』って言わないと、全部嘘になっちゃうよ」


 そっとつぶやいた言葉に、クレアも小さく息をつく。


 ここ数日一緒にいてわかった。黒竜であることは事実。だが、カイニスは”良い人間”だ。

 自分と他人、どちらかの一方しか選べない時、彼は他人を選べる。自分が枷になるなら、迷わず自分から離れる選択肢を取れる。

 だからこそ、カイニスは少しでも日下部が恐怖し、離れていくなら、止めなかっただろう。旅団に来る時も、自分の不利になることを理解してついてきた。

 そして、逃げれば保護される状況で、それを決行した。


「はぁ……いいっすよ。もう嘘で」


 ため息と一緒に返された言葉は、意外な言葉で、日下部もクレアも驚いたようにカイニスを見た。


「いや、なんかもう、普通に説得してもこの人聞かなそうだし。っていうか、俺もアンタといるの結構楽しくなってるんすよ」

「なんだろ。少しバカにされた気配がある」

「いやだって冷静で頭いいかと思ったら、脊髄で会話してる時もあるじゃないっすか」


 笑顔で放たれた言葉に、日下部が小さく呻き、そっと目を逸らした。


「俺、領主の息子だったんです。だから、許嫁がいたんです。政略結婚の」


 決して、仲が悪かったわけではない。そうじゃなければ、成人するまで一緒に冒険者でギルドを組むわけもなかった。

 大人数のギルドではなかったが、それなりに冒険を得て、名の通ったギルドになっていった。カイニス自身も人生にとって大事と胸を張れる思い出だ。

 そして、彼女にとっても短い冒険者人生は大きなものだった。彼女は、ギルドの仲間に恋していた。両想いだった。


 気づかないわけがなかった。彼女たちのことを。

 しかし、実家にはどう言い訳をする?

 自分が姿を消したところで、彼女は実家に連れ戻され、別の誰かを結婚させられるだろう。

 婚約破棄をすれば、彼女の家に傷がつき、彼女は折檻を受けることになるだろう。

 彼女たちを逃がす。そうなれば、両家に汚名が付くだろう。

 どれを取ったとしても、相応の覚悟が必要だった。


 カイニスの出した答えは、彼女たちを逃がすことだった。

 彼女たちに会うことはもうできなくなる。それでも、彼女たちが幸せならば構わない。


 しかし、彼女たちの答えは違った。


「アイツらは、根も葉もない嘘で、領主のことを逆らえば拷問にかけて殺す、金を持ってくれば優遇する、悪逆非道の領主だって噂を広めたんです」

「信じたの?」

「そりゃ、領主の息子と許嫁がいるギルドが噂してるんですよ。信憑性高いでしょ」


 噂を否定しようと領主は動いたが、最後には正義心に駆られたひとりに殺され、その死体は見世物として磔にされ、烏に啄まれる頃、燃やされた。

 そして、息子も同罪だと、カイニスにも偽りの正義心は向けられ、カイニスは逃げ出した。

 そこに偶然いたのは、まさに逃げ出そうとしていた彼女たちだった。

 そこでようやく知った。噂を流したのも、領主を殺そうとけしかけたのも、彼女たちだったと。


『ごめんなさい。カイニス。貴方のことは仲間として大事に思ってる。だから、こんなことになるとは思ってなくて……』

『そうだ。途中まで一緒に逃げよう。本当に、俺たちもここまでするつもりはなかったんだ。すまない』


 そこから先の記憶は正直、朧気だ。

 ただ心が叫ぶままに、大切な仲間を殴り殺した。

 もう後戻りはできないと、殺せと叫ぶ声に、殺してみろと応えていた。


 全てが燃えて、無くなって、ようやく燃え上がった心は収まった。


「あとは知っての通り、この地下迷宮に放り込まれたってわけです。って、なんか引いてます?」

「とってもバイオレンスで引いてます。具体的には、鍛えてるであろう冒険者複数相手に殴り殺せたところ」

「案外いけますよ」


 信用していないという顔で、この世界の常識があるクレアに目をやれば、少し考えた後、


「人数によるかなぁ」

「案外いけるっぽい!」


 この世界としては問題ないようなので、納得する他ないらしい。


「まぁ、そんなわけで、俺としてはここに放り込まれてるのは仕方ないかなって思ってるんす。だから、必死になって攻略する気もない。

 でも、アンタは巻き込まれただけでしょ。それなら、俺といるより旅団といた方がいいと思ったんすけど……おもしろそうなんで、しばらく一緒にいてもいいですか?」


 冒険者を始めたころと似たような感覚。

 毎日が楽しくて、輝かしくて、この日々が永遠に続いてほしいという願いすら忘れてしまうような日々。


「俺のせいで迷惑をかけることは多いと思いますけど、今更気にしないでしょ」

「その迷惑は、私の命何個分?」


 呆れたような声色に、カイニスは笑い返した。

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