2章
第10話 不法侵入は悪いことです
認知症テストでいう今日は何日? という質問は正直苦手だ。というか、忙しくて不定期な休みだと本気でわからなくなる。
子供の時のように、毎日のようにテレビを見て、その番組で曜日がわかるというのも大人になれば録画機能が活躍して、わからなくなった。
今は、単純に何回寝たかで判断するしかないが、正確な日付を数えているわけでもなければ、すっかり忘れてしまった。
「わかってはいたけど、早々溜まるものでもないよなぁ」
異世界に来てからどれくらい経ったかはわからないが、相変わらず川原で生活していた。
あの後、旅団の拠点で暮らすことは考えたが、カイニスは相変わらず黒竜が原因で許可されなかった。しかし、クレアの口利きか、鋼鉄牛を倒したことか、旅団に出入りすることは許可された。
そのこともあり、何度か3階層を探索してみたものの、結論は、カイニスの言った通り圧倒的に”攻略用の資材が足りない”だった。
第一に、食料と水。
これは圧倒的に足りていない。
2階層がおかしいと言われる理由を肌で感じた。むしろ、少人数なら自給自足できることがおかしい。
本当にこの地下迷宮は、じわじわと嬲り殺されてほしい人間を放り込むのに最適な場所らしい。
第二に、武器、防具。
永遠に使える武器はないし、満足に手入れができる状況でもない。
元騎士団とはいえ、日々の手入れはできても、本格的な修理ができるわけではない。大きな刃こぼれのあるものが、第六・五拠点に積み上げられているのを見た。アレを有効活用できれば、もう少し鉄事情が良くなりそうなものだが、転生者にも運よく刀鍛冶や鋳造業がいるわけではない。
いたとしても、現代の設備前提では、地下迷宮では無意味だ。
以上、大きすぎる二点から、迷宮探索は頓挫している。一応、物は試しと攻略の準備も行ってみていた。
それが、保存食作りだったのだが、少人数故の満足できる食料事情であり、多少の余剰を作ったところで、その食料にも消費期限は存在し、まともな設備のない迷宮で作った保存食が何ヶ月も保つわけがない。
この世界独特の技術として、魔法は存在し、魔法での工夫も視野に入れたいところだが、カイニスもクレアも大して使えないらしい。
「はぁ……」
洛陽の旅団に本格的に手を貸すことになれば、この準備も必要なくなるのだろうか。
旅団の方が母数が多い分、食料事情は厳しい。それでも、単独とは違い、補給路が確保されていることは大きい。
しかし、旅団のカイニスを見る目は、恐怖と嘲笑が混じっていて、カイニス自身も仕方ないと笑う顔が気に入らなかった。
「エリサさん。さすがに干し肉でも炙った方がいいっすよ……? 色味は似てますけど、腹壊します」
「……ちょっとカイニスの中の私、どうなってるのか心配になってきたんだけど。さすがに食べないって」
干し肉をしまいながら、立ち上がる。
旅団と交流を始めてから、少しだけ変わったことがある。
「また遊びに来たんか? 今日は間引きしたのしかねぇけど持ってけ」
「間引き瓜? 結構好きなんだよね。ありがとうございます」
旅団が作っている畑の野菜をもらえるようになった。
これが意外でもないが、無駄に立派な野菜なのだ。転生者の中に農家は意外に多く、田舎の家庭菜園程度には立派な畑ができていた。道具は良いとはいえなくとも、土壌は非常に良く、これが植物たちにとっては大きすぎる要因だった。
本来石造りの迷宮が、軽く森になってしまう程度には良い土壌だ。手を加えた畑はそれはうまくいくのだろう。
「爺さん、またひとりでやってるの?」
「若いのは好きじゃねぇみたいでな。まぁ、大して広くもないからいいけどな」
「広く、ない……?」
それなりの都会に住んでいた身としては、住んでいた部屋以上の広さが広くないと言われるのは、それはそれで悲しいものがある。
記憶にある祖父の畑を思えば、確かに狭いかもしれないが、それでもここの拠点一個分の野菜事情をほぼひとりで担っているってどうかと思う。
明日には起きてこなくてもおかしくない年齢してるのに。
「あ、そうだ。ほれ、これもやる。若いのはそういうの食わんからな」
「私、若いの」
渡されたのは、トマトの下が変色して黒くなったもの。
「それ、食っても大丈夫なんすか?」
「尻腐れだから、別に取り除けば食べられるよ。味を良くしようとするとできるらしいけど、したんだ……」
「するだろ」
「するか」
どうせ食べるならおいしい方がいいに決まってる。
しかし、食べられなければ意味は無く、どれだけ食べてもらえないのか、尻腐れ野菜はかごに積み上げられていた。慢性的な食糧不足で、腐っていない食べ物を食べないというのは、大分もったいないが見た目が悪い。腐っていないと保証がないなら、口にも入れたくないのだろう。尻”腐れ”だし。名前がダメだ。
「取り除けばバレないでしょ」
「バレるバレる」
収穫してきたと持ってきた野菜が切れてたら、腐ってたり、カビていたのを取り除いたようにしか見えない。
潔癖の人間は嫌がるだろう。
いくつかもらっていくにしろ、さすがに全ては本当に腐らせてしまいそうだ。
「野菜ジュースにでもして、他の拠点に持っていけば? 豊作だったんです。とか言って」
確か、ある程度拠点ごとに微妙な役割分担があるはず。
一、六拠点は防衛の要であり、旅団の戦闘員が多く、第六拠点は迷宮攻略の拠点でもあり、医療知識のある者も多く存在する。
二~五拠点はその間を繋いでおり、小さな集落のように基本は自給自足で成り立っているが、ここ第三拠点は最も大きな田畑を持っており、他の拠点の食糧事情も支えている。
そんな第三拠点から多めに食料が渡されるなら、喜んで受け取りそうなものだ。
「もし腐ってて、別のところで集団食中毒にしたらどうするんだ。だと」
「水に当たったんだよ」
「それが保証できないなら、信用問題に関わるから配布はできないんだと」
それなら自分たちで食べるなりして、保証すればいいと思うが、旅団で暮らしているわけでもないし、あまり旅団内のことに首を突っ込むのはお門違いかと、口を噤む。
「ヒイラギ殿ー」
柊爺さんを探す声に、三人は目をやると現れたのは、見覚えのある人物。
「クサカベ殿?」
この迷宮で初めて会ったアレックスだった。
「なんだ。知り合いか?」
「はい。お久しぶりです。お噂はかねがね。こちらに来られていたんですね」
拠点は全て魔物除けの柵があり、出入り口には旅団の騎士が立っている。出入りするには必ず旅団と顔を合わせるため、アレックスの耳にも入ることになる。
正しく正面から入ればの話だが。
毎回旅団に睨まれ、カイニスについての小言を言われるし、出入り口まで回り道するのも面倒で、最近は柵を乗り越えている。
「え、よく来られている……?」
言葉にはしないが、カイニスとも思いは同じだった。
「爺さん。とりあえず、これ貰っていくねー!」
アレックスの視線が少しばかり痛い。
譲ってくれた野菜たちを抱えて、逃げるように走り出す。いつもより、畑仕事を手伝えてはいないけど、仕方ない。
「あ、待って――って、あぁ、行ってしまったか」
「明日か、明後日にはまたくるだろうよ。伝言か?」
「伝言というよりも……いえ、また来られた時に、ぜひ小屋の方へ寄ってくださいとお伝えください。それで、こちらで何かお手伝いすることはありますか?」
「おぉ。それなら、収穫したやつらを運んでくれ。さすがに、重くてな」
「承知いたしました」
詰まれたきれいな野菜たちを小屋の方へ運んでいく。
*****
妙に凶悪さを増している罠を避けながら暗い森を歩けば、鼻につく匂いと明かり。
「あ、よかった。戻ってきた」
場違いな明るい声と表情に、一瞬面を喰らう。
わりと嫌われそうなことをしてきたつもりだ。少なくともこうして笑顔をもう一度向けられるような関係ではない。もし笑顔を向けられるとするなら、それはもう決別を覚悟した時だけだと思う程度には、自分の行った行為の大きさはわかっているつもりだが、目の前の女はそれを理解しているくせに、お人好しでもなく、打算とも違う感情で、こちらの思いを裏切ってくる。
共感できなくとも、理解はしなければと思っている。だが、女の隣で微妙な表情で鍋を見つめ、こちらを見て安堵の表情を浮かべたカイニスに、一旦理解するのを辞めた。
「助かった。さすがにこの量食いきれる気がしなくて」
「え、なに。イノシシでも取った?」
「いや、肉はカピカピ腐りかけ干し肉しか入れてない」
焚火に置かれているのは、真っ赤なスープ。轟々と燃え盛る焚火に、粘度を持った液体が絶え間なく沸騰している絵面は、どうにも良くない。
「尻腐れ野菜と腐りかけ干し肉のゾンビ救済鍋」
「すっげー食欲無くなるーそっちの世界はゾンビ食うの?」
「食べません! いません! 人間は食べる種族がいた気がする」
有無を言わさずスープが器に盛られて渡される。沸騰さえしてなければ、見た目と香りは、迷宮に幽閉される前に食べている料理に近いかもしれない。
座って、一口すすれば、久々にまともに舌が機能した気がした。
「……うん。このゾンビ鍋おいしいね」
「この迷宮じゃ、恐ろしいほど贅沢に野菜使ってますからね」
「ほぼ溶けて具が無くなったのは、想定外だけどね。予定では、もっとゴロゴロなラタトゥユ的な煮物だったのに」
悲しみのあまり干し肉を足して具材にしたらしい。
具材はほぼない。粘度のある液体が鍋一杯。
「なんで、こんなことになったの」
「これでも、もらった野菜の7割くらいなんです」
野菜はそれなりに足が速い。
腰を据えて、まともな食事を取るのが多くて朝と夕の二回。その上、安全が保障されていない川原に長期間保存も難しい話。
結論として、腐らせそうな分は豪遊しようということになったらしい。
本当に、自分と同じように、地下迷宮に幽閉され、嬲り殺しにされている仲間なのだろうか。
「……せっかく、味とかも忘れてきてたのにな」
戦場での生きるための味気ない食事は知っているし、それよりも重要なことが多く、味なんてものはどうでもよかった。
しかし、今はどうだろうか。行く先も戻る場所もなく、ただ死ぬまで閉じ込められて、生死すらも上の連中にとってはどうでもいいこと。
生きることを第一にするなら、人間らしいところから捨てて行かないといけなかった。
食事の良し悪しなんて、最たるもので、死ななければいい。どれだけマズかろうが、生きるための糧になればいい。
「ん? 何?」
先のことなど考える余裕など、もうない。
ならば、彼女のように先を考えなければ少しは楽になるのだろうか。
「いや、胃袋掴まれちゃったかもなぁって」
「マジで? いっぱいあるよ」
「限度があるでしょ」
まだ肉とか固形物の方がいい。液体は案外流し込むのが大変だ。その上、腹に溜まらない。
「やっぱり、明日、拠点に持っていきましょう。捨てるよりマシですよ」
「受け取ってくれると思う?」
「僕がついていくよ。そうすりゃ、毒が入ってると思われることはないでしょ」
貴重な資源を無暗に捨てるよりは、その方がいいだろう。
エリサとカイニスの二人が、第三、第五、第六拠点へよく足を運んでいることは知っている。検問が面倒だと忍び込んでいることも。
第三は食料を多く作り、第五は武器などの迷宮攻略の支援物資を整えている。いくつかある拠点の中でも、必要のある場所だけに足を運ぶのは、彼女の性格だからだろう。
「んじゃ、クーちゃん、毒入れないでね」
「いれないよ。僕ってば、そんなに信用ない? なんだったら、朝一番に飲んでみせようか?」
「うん。クーちゃん、どうでもいいって顔してるもん」
なんてことのない会話をするように、エリサは鍋にふたをしながら言う。
「ひどいなぁ……じゃあ、明日は僕が朝食用意してあげるから、楽しみにしててね」
「ヤダ! 絶対何か仕込むじゃん!」
笑顔で誠意を見せれば、心底嫌そうな顔で断られた。
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